福田康夫首相が都内で講演し「新福田ドクトリン」と位置付けられる包括的な対アジア外交政策を発表した。
父の故福田赳夫元首相は一九七七年、日本の経済支配を懸念する東南アジア諸国連合(ASEAN)に対し、平和に徹し軍事大国にならない、心と心が触れ合う信頼関係を築くなどの福田ドクトリンを発表した。
今回の包括的対アジア政策はこれを踏襲し、発展させた内容といえる。太平洋を人と物が行き交う地中海のような「内海」とすべく米国や中国、ロシアを含む環太平洋諸国の経済連携強化を訴えた。「開放」がキーワードだ。日米同盟をアジア・太平洋地域の公共財と呼び、強化する考えも示した。各国とともに歩む姿勢を鮮明にし、「ともに汗をかく」とも述べた。
具体的には中国・四川大地震やミャンマーのサイクロン被害を踏まえ、大規模災害や鳥インフルエンザに共同対処するアジア防災・防疫ネットワークの構築を提唱した。ASEAN共同体実現を支持し、共同体の基本文書となるASEAN憲章発効後にASEAN担当大使や代表部を置く方針も示した。
ミャンマーの軍事政権を念頭に、透明で民主的な法に基づく統治の必要性も指摘した。
アジア情勢は父の時代から大きく変わった。ASEAN諸国のほか中国やロシアが大きな経済発展を遂げた。
経済的な相互補完関係が強まる一方で、ASEANとの経済連携をめぐって中国や日本が競い合い、ASEAN側も相手を値踏みするといった状況が生まれている。そうしたいま、日本の首相が、環太平洋の国々に共生を呼び掛ける意義は大きい。対立が深まれば互いに不幸になるだけだ。
日本が各国の発展を支援する立場ではなくなったという点でも、三十一年前とは違う。「ともに歩む」姿勢は、その認識に立ったものだろう。
欧州と違い、国によって政治体制や宗教が異なるアジアの多様性を踏まえながら、協力して悩みに対処していく必要性が高まっている。
典型が自然災害であろう。数々の経験を重ねてきた日本が、環太平洋の各国に伝えられることは多い。直近の災害の被災者支援とともに、培ってきた防災技術の域内への普及などに努めたい。
東シナ海での中国とのガス田問題など利害が対立する場でこそ、共生の理念が問われる。首相は首脳会談などで、理念への理解を積極的に求めていくべきだろう。首脳同士の共鳴が、問題の解決を早めよう。
大型サイクロンに直撃された被災地への本格的な人的支援を拒否してきたミャンマーの軍事政権が、援助要員の受け入れを表明した。発生から既に三週間を経ている。被災地では約二百四十万人が飢えや感染症の脅威にさらされているという。国際社会は総力を挙げて支援活動に取り組むことが必要だ。
ミャンマーの軍政は近隣国からの少数の医療関係者を除いて外国の人的支援を拒み、国際的な批判を浴びてきた。国連の潘基文事務総長は、軍政トップのタン・シュエ国家平和発展評議会議長に再三電話会談を申し入れたものの断られたことから、事態打開のためにミャンマーを訪問し、被災地も視察した。異例なことだ。
タン・シュエ議長は潘事務総長との会談で、すべての援助要員の受け入れを認めた。さらに、援助要員への入国査証(ビザ)発給の迅速化と、最大都市ヤンゴンの空港を援助物資輸送の拠点として使用することにも同意したという。
一方で、これまで民主化を求める欧米諸国や国連に対して嫌悪感をあらわにしてきた軍政がどこまで協力するか、慎重な見方もある。被災地の一部で延期していた新憲法案の是非を問う国民投票が二十四日、強行された。既に承認と結果が発表された投票を被災住民に強いており、まったく理解に苦しむ。
とはいえ、ようやく開きかけた人的支援の門戸を、着実に広げなければいけない。二十五日には国連と東南アジア諸国連合(ASEAN)が中心になり、外国援助を調整する国際支援会議がヤンゴンで開かれる。被災地で支援物資が行き渡るよう方策を協議する予定だ。ベールに包まれていた被害状況の詳細も明らかになれば、より効果的な支援につながるに違いない。
(2008年5月25日掲載)