キャンプの多くの皆さん方の助けによって、あの大変な草をきれいに採って頂き、感謝は尽きません。おかげで、苺はぐんぐんと成長して行くのが目に見えてきます。すると今度は苺の苗から蔓が出て来ます。次は、蔓を切って行く作業です。一株の苺の苗から蔓が7,8本も出て来ます。その中から2本だけを残して、あとは全部切り、取り除けて行きます。その2本の蔓を間、間に植えて行くのです。この仕事が、また大変時間のかかる仕事です。毎日、毎日、苺の蔓切りをします。長い畝ですから、ひと畝を済ますのに1時間はたっぷりかかります。見る見るうちに蔓は延びて行きます。そうすると、今度は蔓と蔓とが、絡み合ってしまいます。また、気が焦ってきます。そんな私の気持ちにはお構いなしに絡み合って行く蔓を1本、1本ほどきながら2本だけ残して植え替えて行くのです。一難去って、また一難と、押し寄せて来るのです。どんなに頑張っても、農作業に慣れない者は哀れな者と、またも自分を顧みるのです。しかし、ここまで神様が守り、導いていて下さるのですから、きっとこれからも見守り給うことを信じて、弱音を吐かずに頑張ろうと心に誓いました。
来る日も、来る日も主人と2人で汗を流しながら、一生懸命に朝早くから夕方まで食事の時間も惜しいくらいの思いで、精を出しました。
そんなある朝のことです。私たちの右隣に住んでおられるミセス西岡が、
「本田さん、お手伝いしますよ」
と言って下さり、ニコニコ顔で私たちの畑の中に入って来られました。その時の嬉しかったこと、今も忘れません。本当に皆さんの愛ある助けに一度ならず、二度までも隣人愛に支えられました。西岡さんご夫婦は、そうお若くはない方々ですが、作業になれていらっしゃるのです。お二人とも60歳近くではないかとお見受けしましたが、なさる仕事がとても早いのです。私たち夫婦が一畝行く間に、彼女は、二畝を終わろうとしていらっしゃいます。私も主人も本当に驚きの目を見張りました。ミセス西岡のお助けによって、畑の中はきれいに蔓も切り除けることができました。
2月の下旬から3月になりますと、ポツポツと苺の花が咲き始めます。4月の初めには苺が実ります。下旬から5月にかけてボツボツと苺の収穫が始まります。
初めの年は、苺の実も大きく、収穫も多く、苺の値も良かったです。収穫期になりますと、多くのメキシコ人の労働者がメキシコから入って来ます。勿論、英語は話せません。主人は、少しスペイン語が話せましたので、彼らは大喜びで、主人の指図によって良く働いてくれました。私たちも農作業に慣れて、少し気分的にも落ち着きを取り戻しました。仕事がどんなに忙しくても、私と子供たちだけは、礼拝は休むことなく行きました。主人は働き人を使っていますので、仕事から離れることは出来ませんので、心ならずも欠席せざるを得ませんでした。
キャンプには、たくさんの子供さんたちがおられますので、夜、月に1回は子供のための家庭集会を開いていました。その頃(1955年)は、戸田ジェームス先生ご夫妻が英語部の牧師として赴任しておられました。集会では賛美が歌われ、主人はトランペットを吹きました。大変、賑やかな、楽しいひとときでした。また、子供たちもよく伝道しました。あのキャンプから6人の子供さんが、サンデースクールに行くようになりました。
毎週教会に子供たちを連れて行く私たちを見て、近所のある人は
「また教会に行かすたい。こんなに猫の手も借りたいという忙しいときに、教会にようし行かすたい」
と陰口を言われました。私たちは勿論、食物のために働かねばなりません。けれども食物のためばかりではなく、聖書には
「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい」(ヨハネ6:27)
とあります。キャンプの人々は皆、親切で、愛のある方々でした。ただ、神様を信じていらっしゃらないので農作業の繁忙期に教会に行く私たちの姿が理解出来ないだけのことです。子供さん達が小さい時から神様を知るということが彼らにとってどんなに大切であるか、親御さんにはまだ分かって貰えないのです。私たちは、皆さんに本当の神様を知って欲しい、イエス様を信じて貰いたいと願い、いつかきっと神様が導き給うことを切に祈りました。
そのような中で早、秋も訪れようとしています。畑の方は収穫も終わり、冬がやって来ます。冬は身体を休める時です。秋から冬にかけて私たちは祈祷会、秋の伝道集会と励みます。「命の収穫期」です。一番楽しく、恵みの季節でもあります。キャンプからミセス清水が礼拝、祈祷会へと御一緒することが出来ました。本当に神様の恵みの深さに心の底から感謝で一杯です。ミスター清水は、奥さんの教会行きに大反対でした。けれども、信仰は本人の自由だ、と言われて、ミセスの教会行きは止められませんでした。私はご主人に内心で本当に感謝していました。いつの日か、きっと御主人もイエス・キリスト様を信じて下さる日が訪れることを信じ、ミセス清水と共に祈りました。
今から50年前、まだ一世の方々が60歳くらいです。私がシカゴからカリフォルニアに帰って来たのが36歳になる頃でした。苺耕作を始めた年は、私は39歳後半でした。まだ若かったので、あのような重労働に耐えて来られたのだと思います。あの時代の一世の女性の方々で車を運転なさる方は稀でした。当時、教会日語部で車を運転する女性は、私ひとりでした。それで、若谷師を助けて、信徒の送迎は、ほとんど私の仕事でした。主人は他の仕事で多忙で、なかなか自由に動くことが出来ませんでしたし、信徒の方々は、御婦人ばかりで、主人よりも私が送迎する方が気楽で喜ばれていたようでした。
あの頃は、教会の建物がありませんでしたので、ウィンチェスター街にある、白人教会を借りて、土曜日の朝に礼拝を守っていました。祈祷会は水曜日の夜7時30分からでした。集会後、皆さんを家に送り届けて私が家に帰り着くのは夜の10時過ぎになります。身体は疲れていましたが、心は喜びに溢れています。私が動かなければ、この方達は教会に行けないのです。私が迎えに行くのを楽しみに待っていて下さるのです。神様への尊い御奉仕です。この方々の喜びは、私の喜びであり、また恵みです。励ましです。聖書の御言葉の中に
「堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分の苦労が主にあってむだでないことを知っているからです。」(第1コリント15:58)
とあります。地上の朽ちる宝のためでなく、永遠に朽ちることのない宝を天に蓄えましょう。