いよいよ、新しい仕事、苺耕作。どんなものか分からないけれども、やるだけやってみよう、と思った時、新しい力が湧いてきました。1年半お世話になった米本さんの花園の従業員住宅をあとにして、神様のお導きを信じて苺畑のキャンプへと移住しました。このキャンプには、私どもを加えて7家族の人たちが働いていました。
次の日、お隣に住んでおられる岡本さんという方が、私どもが耕作を受け継ぐべき畑に案内して下さいました。見渡す限り苺畑が広々と続いています。暫く歩いて、足を止められ、
「あれですよ」
と言われました。指差された方を見ると、驚いたことには、その畑の中には、ぼうぼうと草が繁っているではありませんか。子供が畑の中に入っても隠れてしまうくらい高く、草がのびているのです。
「これは一体、どうしたことですか」
と尋ねると、岡本さんは、
「この畑は、お年寄り夫婦が手に負えず、止められたのです」
と言われました。なるほど、そうなのか。無理もない。こんなに草取りに追われていたのであれば、お年寄りの方には大変な事だと思いました。この草を見た私たちさえ、くじけそうになります。
さあ、明日から草取りです。見るところ、大変な重労働です。しかし、ここまで主が導き給うたからには、何としてでも私たちは、やるより他はないと、心にしっかりと受け止めました。
そして、私たちには大きな希望がありました。それは、教会の土地を買うことでした。建物付きの土地を与えて下さることをキャンベルの信徒たちは祈っていました。その当時、主人は教会の会計をあずかっていました。そんなこともあって、私たちも、ここでしっかり働いて、その収入の一部を教会の土地を買うための資金に充てたいと願い求めていました。
終戦となった1945年から日本人は、カリフォルニアに戻ってくる人々が多く、人生の再出発をし、殆どの人は農業に戻って、野菜や果物の栽培などをしました。その頃は、苺の価格も良かったのです。多くの日本人は、強制収容所から出て、苺耕作を始めていた頃でしたから、大うけに受けていた時でした。(こうした日系人たちのことを今の若い方々に知って頂きたいと思います。)特に苺耕作は、私の知る限りでは、殆どが日本人で、なぜか他の国の人はしていませんでした。(今は、メキシコから苺がどんどん入荷しています。日本人が苺作りをしていた当時の働き人は、殆どメキシコ人でした。長い間、日本人のところで働いていたメキシコ人が苺の栽培技術を覚え、本国で苺の栽培を始めたのも不思議ではありません。今は、日系人で個人として苺耕作をしている人を私は知りません。)
さて、私たちは次の日から朝早く起きて、畑に出ます。朝のすがすがしい空気とともに、一日が希望に満ちた思いで鍬を手にし、草をとり、一生懸命働きました。でもなかなか仕事がはかどりません。二人共、慣れない仕事でしたが、毎日、毎日精一杯働き続けました。
ところが、主人は時々、居なくなるのです。疲れるのでしょうか。根気が続かず、どこへ行ったのかと頭を上げて見ると、お隣の畑で岡本さんと話しているのが見えます。なかなか仕事に集中できないらしく、彼はお百姓には向かない人です。いくつになってもまだ、学生肌の抜け切らないところがあります。(どちらかと言うと、彼は学者タイプ。勉強の好きな人で、いろんな本を読んでいました。音楽もピアノ、ハーモニカ、バイオリン、その他いろいろ弾いて楽しみ、これと言って特に上手なものはありませんでしたが、好きでした。私とはまるで反対の性格です。)
必死に草刈りに励んでも、草はますます、上へ上へと伸びていきます。堅く決心したはずの私ですのに、ある時は、泣きたくなって来ます。とうとうある晩、床に就く前、私は神様に祈りました。
「神様、もう私は疲れてしまいました。神様、助けて下さい。もう限界です。どうしたら良いでしょうか。主よ、御心をお示し下さい。私の力では、もう続けられそうにありません。主の憐れみによってお祈りいたします。」
身体はくたくたに疲れ切っていますので、夜はぐっすりと眠ってしまいました。
朝早く起きて外を見ると、何としたことでしょう、私たちの畑のそばに多くの人たちが立っているではありませんか。何事かと私が大急ぎで出てみますと、キャンプの人たちが手に手に鍬を持って、私の来るのを待っておられたのです。皆さんはニコニコして、
「今日は皆で、草取りのお手伝いに来ましたよ」
と言われました。私は本当に思いがけない出来事に何と言って良いか、言葉もありませんでした。それから皆さんは仕事を始められ、みるみるうちに畑の草は、綺��に刈り取られて行きました。3,4時間の内に綺��になり、見違えるほどになりました。苺の苗は、と見ると、何と小さな草と間違えるくらいの苗が植えられていました。
キャンプの人たちは、「本田さん、心配ないですよ。これから肥料と水をやれば、苗はどんどん大きくなりますよ。」と私たちを励ましてくださいました。神様と人々に助けられ、やっと難関を乗り越えることができました。
「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(コリント10:13)
ハレルヤ、ハレルヤ、と神の御名を崇めました。まだまだこの後も大変な仕事が次から次へと私を追って来ました。苺作りがこんなにも大変な仕事であるとは夢にも思ってみませんでした。