私の病気も気候の良い環境の中で日毎に強められて行きました。子供たちは、新しいお友達が出来て、毎日楽しく通学し、主人はパロアルトの Co-op 経営の保険部の仕事を頂いて、サンタクララから毎日、通勤していました。この仕事もシカゴの Co-op 支配人の方の紹介で与えられたのです。 神様の恵みは、人を通して働きなさることを深く知らされました。「主に感謝せよ。主は、まことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」(詩 136:1 )
神様にある平安のうちに 1954 年の春を迎えました。ある日のこと、米本さんと仰る方が訪ねて来られました。その方のお話によれば、大きな花園を経営しておられる由で、私に花の温室栽培の仕事をして貰えないだろうか、という頼みでした。まだ、病み上がりである自分には少々無理と思い、ご厚意に心からお礼を申し上げながら、一応、お断りしました。ところが、忘れた頃にまた訪ねていらして、半日でも良いから来て下さいませんか、という再度の頼みでした。随分、人手不足で困っておられるのかと思い、主人とも話し合って、考えさせて頂きますと申し上げました。
夕食後、主人にそのことを話すと、ちょっと考えていたようですが、「半日位だったら、却って運動になっていいかもしれないよ。房子さえ良ければ、自分は言うことなし」と言いました。私が仕事をお引き受けすることになって米本さんは、大変喜んで下さり、 1954年4月から私は半日だけ働くことになりました。仕事は、温室の中でのカーネーションの蕾取りです。だんだんと仕事に慣れて来て、半月後には一日働くことになりました。
そこには花園で働く、4家族用に家が4軒並んでいました。私たち家族が住むことになったのは、その一番端の家で、道を挟んで向こう側には、フェンスに囲まれた米本さんの屋敷がありました。4軒の家の家族は日本人の人たちばかりで、すぐお隣の村井さんご家族と、増田さん、木村さんのご家族でした。ここで私たちは、家庭集会を開きました。若谷師夫妻に来て頂いて、毎月、聖書からのメッセージをお話しして頂きました。日曜日には、ここの子供たちをサンデー・スクールへ連れて行きました。全部で9人の子供たちです。シカゴを発つ前に主人が思い切って買った、大きな Buick Road Master は大変、活躍してくれました。
また、週末や機会ある度にミセス村井に個人伝道しました。祈りに祈って、1年後には見事にイエス様を救い主として受け容れ、信仰をもたれて受洗されました。その後、ミスター村井も不思議な主のお取り計らいで、イエス様を信じられました。彼は、その頃、不幸にして胃ガンにかかられて入院、手術をされていました。私が病院にお見舞いに行った時に、息子さんのタムさんが来ておられました。私はミスター村井に「お祈りしても宜しいでしょうか」とお尋ねしました。彼は、快く承知して下さり、私はまず、聖書のヨハネ 11 章 24-26 節を拝読しました。そして、心を注ぎだして祈りを捧げました。そして、「一日も早く家に帰れる日をお待ちしています」と申し上げました。それから間もなく退院されまして、佐久間牧師によって病床洗礼を受けられ、数日後、安らかに天に召されました。神様のなさることは、その時にかなって美しいと、主の聖名を崇めました。ミスター村井は、働く人の中の支配人でした。米本さんからの信頼も厚く、よく忠実に働いた方でしたので、彼を失ったことは米本さんにとって大きな打撃だったようです。働く、私たちにしても、心淋しい思いでした。
子供たちも成長し、末娘の百合も6歳になり、お隣の末っ子のお子さんも幼稚園に行くようになり、毎朝、同じスクール・バスで家の前から通うようになりました。米本さんの下のお子さんのブルースは、時々フェンスの向こう側から声をかけます。向こうから「ユーリー」と呼ぶと、こちらからは百合が「ハーイ」と応えます。百合が「カマーン」と言うと、向こうでは「アイ、キャーンツ」と言っています。「どうして」と聞くと、「分からない」と言います。ブルースのお母さんは、見識の高い人で、自分の子を働き人の子供とは遊ばせなかったのです。ご主人の米本さんは大人しい方で、働いている人たちにも人当たりの良い人でした。
ある日、米本さんから突然、前触れなしに「本田さん、家を空けて欲しい」と言われて、びっくりしました。「ここに夫婦で働く人を入れたいので、1ヶ月の猶予をあげますから、、、」と続けて言われました。出てくれと言われれば、出なくてはいけません。さあ、それから家探しです。あちらこちら探し歩いても、なかなか見つからず、ほとほと困り果ててしまいました。祈っても、祈っても何の答えも得られず、だんだんと日が迫ります。ある日、ある方に「本田さん、お子さんがたくさんおられますから苺を作りなさいよ」と言われました。苺作り---経験のない、私たちに出来るはずがないと考えてみても、もはやどうすることもできません。否応なしに苺の耕作をすることになってしまいました。そのため主人は、保険のしごとも止すことになりました。
考えてみる時、何と人というのは、信頼できないものかと思いました。私たちが好んで米本さんの所で働かせてもらいに行ったのではありません。向こうから二度も足を運んでの頼みだったのです。ところが、都合が悪くなれば、「家を空けてくれ」とは、何とも言いようのない思いが、悲しく心に迫って来ます。
「鼻で息をする人間を頼りにするな。そんな者に何の値打ちがあろうか。」(イザヤ 2:22 ) 人間は何と弱いことでしょう。頼るべき御方は、神のみです。
神を信じ、神に従う者は、どんな時でも喜んで立ち去るべきであることを示され、「お世話になりました」と別れを告げました。米本さんの所で働かせて頂いたおかげで、村井さんご夫妻が神様の救いにあずかり、4人のお子さん方をサンデー・スクールにお導きできたことは、大きな収穫でした。ハレルヤ。聖書の御言葉、
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに望んでおられることです。」( I テサロニケ 5:16-18 ) 御言葉に励まされて、米本さんのキャンプを後にして、新しい地での苺耕作のため、神のお導きを祈りつつ、出発しました。