足跡(あ・し・あ・と)= その 12 =

H. 房子

 子ども達の祈りがあまりにも現実離れした祈りであったので、私たち夫婦は、思わず笑ってしまいました。アパートさえ、なかなか借りるのが困難なのに、「大きな家、広い庭、フェンスのある家」など大都会のシカゴでは、まるで夢みたいな願いごとでした。旧約聖書の中には100歳のアブラハムが、「(90歳の妻サラによって)ひとりの男の子を与えよう」と神様から言われた時に笑った(創世記17:17)とあります。常識では考えられないことだったからです。私たちにも子ども達の祈りが現実には叶わない夢のように思われました。当時、私たち家族が住んでいたところは、一歩外に出れば車が多くてとても危険です。広い庭にフェンスが付いていれば子ども達は安全に遊べるのです。子ども達は神様には何でもお出来になると信じていました。子ども達は、願いをそのまま祈りにしました。あとは、みな神様にお任せして。

 それから数ヶ月過ぎた、ある日のこと、大山牧師と宮川さんが来訪されました。主人はお二人の訪問を「珍客だ」と大喜びでお迎えしました。宮川さんが「今日は、伝道ではなくて、本田さん方にお願いがあって来ました」と言われ、私たちは、(お願いって一体、何でしょう)と思いました。宮川さんは「今度、私たちの教会が新しい教会の建物を買ったので、教会の管理をする人が欲しいのです。それをミセス本田にお願いに来たのです」と続けられました。私は驚いて、内心、(それは、とても無理)と思いました。私は、「教会管理の仕事はとても無理だと思います。4人の子どもの世話だけでも手一杯ですから」とお断りするのですが、宮川さんは「とにかく、教会を見て。それから返事を」とおっしゃるのです。主人は「では、一度見に行こう」と言ったので、お二人は喜んで帰って行かれました。

 私はあまり気が進みませんでしたが、次週の月曜日、子ども達と一緒に出かけました。教会に着いてびっくりしました。建物外側から見ると、想像以上に大きな教会でした。古い二階建ての教会で、会堂は二階にありました。五、六百人も座れるほどの多くのベンチが据えつけてあります。講壇の後ろには、とても大きなパイプオルガンがあります。会堂の真ん中と入口から少し離れた所に石炭ストーブが一つずつ据えつけられています。私はこれを見ただけで、もうこれは私の手におえないと思いました。そんな私の気持を察したのでしょう、宮川さんは、「本田さん、このベンチの全部は拭かなくてもいいよ。皆が座るところだけチョイ、チョイと拭いておけばいいんだよ」と言われました。

 そして、宮川さんから「どうかね」と聞かれました。ちょうどその時です。大山牧師が前に進み出て、講壇に向かって行かれ、ひざまずいて祈っておられる姿が見えました。宮川さんが、「やってみるかね」と言われた時、私は「はい」と答えてから、ハッとしました。なぜ、そう答えたのか、自分でも分かりません。宮川さんは喜んで、「あ、そうか、そうか。よかった、よかった」と大変な喜びようです。あまりの宮川さんの喜びように「いえ、違います。今のは間違いです」とは、言うことが出来ませんでした。一階に下りるとサンデースクールの部屋があり、そこには劇が出来るようにステージもあります。そして、ここにも石炭ストーブが置いてありました。部屋を出ると廊下があり、廊下を隔てて管理人の住居部分と教会の大きな台所がありました。食堂には五、六十人は座れるような椅子とテーブルがありました。

 裏庭に出ると、広い子供の(サンデースクール用)遊び場があります。よく見ると、なんと鉄の"フェンス"が周りを囲んでいるではありませんか。「大きな家、広い庭、フェンスのある家」。なんということでしょう。アブラハムに男の子が与えられたように、子供の願いどおりに神様は新しい家を与えて下さったのです。「あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます」(マタイ21:22)の御言葉の如く、子ども達の願う前から神様は、供えていてくださり、不思議な形で子ども達の祈りに応えてくださいました。私の心では "No" であったにも関わらず、思わず口から出た "Yes" の答えも、聖霊のお導きによるものであったと強く感じられます。

 私たちは、1950年3月に教会の管理人としてのお仕事を頂いて、移り住むことになりました。私たちの寝室がちょうど二階の会堂の講壇の真下になっていました。そのことに長い間、私たちは気が付きませんでしたが、のちに、あることから知るようになりました。

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