足跡(あ・し・あ・と)= その 11 =

H. 房子

 1947年4月から主人はco-opグローサリー店で働き始めました。毎日元気で仕事に励んでいる主人を見て、私は心から神様の恵みに感謝の祈りを奉げました。彼は、店でも人気者のようでした。明るい性格で、ユーモアのセンスがあり、よく人を笑わせました。仕事場でも同僚からも親しまれて、与えられた仕事には責任感の強い人でした。彼は、レジを担当しましたが、当時のレジには、合計金額は出ますが、つり銭はレジ担当者が計算しなければなりませんでした。他の担当者達と違って、彼は暗算が得意なので、閉店後に支配人が集計すると彼の担当分はいつも金額がピッタリでした。

 1948年に主人はco-op経営の保険の仕事の話を頂きました。以前、生命保険会社に勤めていた経験を買われ、信用して頂いたようです。思いがけない好条件の仕事に主人は喜んでお受けしました。一軒一軒、訪問するのではなく、オフィスでお客様に対応できるので気分的にも以前より楽ではないかと思いました。聖書の御言葉に「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」(伝道の書3:1)とあります。神様の支配下にあっての恵みと受止めさせて頂き、神を崇め、感謝の祈りを奉げました。真に恵みの中にある日々でした。神の御言葉にお従いし、信仰生活に励む時、主も確実にお取り計らい給うことを知りました。

 1949年、1, 2月頃から私の体調が少しすぐれないので医師の診察を受けました。医師は、「ミセス本田、おめでとう。ご妊娠ですよ」と言われて、私はびっくりして、「少し年をとり過ぎていますよ」と言いました。医師に「何歳ですか」と言われ、「もう33歳です」と答えると、「まだまだ、お若いですよ」と笑いました。私どもの時代は、女は17歳になればお嫁に行かされた時代でした。ですから30歳では子どもを産み終わるのだと考えていました。医師は、「本田さん、古い考えですよ。まだまだ若いですよ」と云われました。私は、そんなものかなあ、と思いながら、どんな風に家族に伝えようかと思い巡らしていました。

 夕食の時、主人は気になったのか、「今日、ドクターに行ったんだろう。どうだった」と聞きますので、私は「グッドニュースよ」と言いました。子ども達は「何よ、何よ。マーミ」と目を丸くして私の顔を見つめています。私は、「あのね、九月頃に赤ちゃんが生まれるのよ」と言うと、子ども達は無邪気に喜びました。主人は「本当か、そうか。病気でなくて良かったねえ。今度、女の子だといいね。直美が喜ぶよ」と付け加えてくれました。家族みんなで大喜びで祝福してくれました。

 その時、長男のマイケルは7歳、次男アーサー5歳、直美4歳でした。9月に子どもが4人になるので、1ベッドルームでは狭く、少し広いアパートを早く探さねばと祈り、毎日、新聞を見ながら探し歩きますが、なかなか貸してくれません。子どもが4人と言うと断わられるのです。ほとほと疲れ果ててしまいました。そうするうちにだんだんとお産の日が近づいて来ます。もう焦っても仕方がない。神様に完全にお委ねしましょうと決心して出産日を待ちました。そして、9月12日に無事に女の子が与えられました。皆の祝福のうちに迎えられた赤ちゃんでした。直美は嬉しくて嬉しくて、アパートのお友達に「ベビー・シスターが出来た」と自分の喜びを皆に知らせていました。

 神様は家族の願いを叶えて下さり、何と言う恵みでしょう。私たちは女の子であれば「百合」と名付けようと話し合っていました。あの、真っ白い百合の花。下を向いて静かに咲いている。なんと謙遜で良い香りを放つ、可憐な花でしょう。私の大好きな百合。私たちはこの赤ちゃんに「百合」と命名しました。皆から可愛がられ、すくすくと成長し、可愛さも益し加わり、家の中が一段と明るくなりました。

 聖日には4人の子どもと一緒に教会の礼拝を欠かしたことはありませんでした。それと共に方々、アパート探しも続けていました。ある晩、子ども達にも祈りの応援をして貰いましょうと、3人の子ども達を集めて言いました。「ダーディもマーミもね、今、アパートを探しているの、わかるでしょう」子ども3人は目を丸くして真剣な顔をして聞いています。「それでね。今晩、寝る前に神様にお祈りして頂戴。アパートが与えられるように神様にお祈りしてね」と言うと、彼らは嬉々として「オーケー、ダーディ、マーミ」と答えました。そして3人はカウチの前に並んで可愛い手を合わせ、お兄ちゃんがするように顔を上に向けて、目を閉じました。そしてニコニコして長男のマイケルが祈り出しました。「ディーア、天のお父様、私たちに大きな家を下さい。そうして広いお庭と周りにフェンスのついた家を下さい。アーメン」。他の子ども達も続いて「アーメン」と祈りました。  狭い部屋ですから、彼等の祈りが台所にいる私たち夫婦にも聞こえてきました。私たちは子ども達の祈りを聞いていて、「これでは神様もさすがにお困りでしょう。こんな大都会で大きな家、しかもフェンスつきの家なんてある筈がないですね」と主人と顔を見合わせて笑ってしまいました。このシカゴに広い、大きな家を借りるなんてありえないと思ったからです。けれど、子ども達は信じて疑わずして、祈ったのです。しかもニコニコと安心して床に就き、安らかな眠りについたのです。

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