家庭集会が開かれる遠藤さん宅へ伺うと、そこに既に集まっていらっしゃったのは、みな一世の方達ばかりでした。年齢から見ますと、皆さん方は私の母と同年代の方ばかりでした。生まれて初めて出席した、クリスチャンの家庭集会でした。私は、少々緊張気味でしたが、皆さんは笑顔で優しく迎え入れて下さり、心が安らぎました。遠藤さんの司会によって始められ、先ず讃美が歌われ、次にお祈りがあり、それからお証しがありました。
私には、全てが新鮮に感じられました。初めて聞いた讃美歌は私の心に温かく響いてきました。
次に田中芳子さんのお証しがありました。初めて聞くクリスチャンの、日々の生活のあり方、その中にお祈りがあり、神を信じての歩みの中に体験された証し。聞く私の心には一つひとつが驚きでした。――田中さんは若くして未亡人となり、三人の小さいお子さん方と、残された大きな借金。明日からどうやって生活して行って良いか分からず、全く途方にくれてしまった。人の下で働くということは、自尊心が許さない。彼女は悩みに悩み抜いて一家心中を企てた。ある晩、子ども達を集め、「お父さんに逢いたい?」と聞いた。そうすると子ども達は、喜んで皆で「ヤー」と叫んだ。そこで、田中さんは、「では、今晩、お父さんの所へ行こう」と言うと子ども達は喜んだ――と話されました。田中さんが、話しながら、泣きながら、涙を拭き拭き、次の言葉を何と言われるかしらと私の胸は騒ぎました。田中さんは話を続けられました。――末っ子(ノッキ)を先ず椅子に括り付け、あとの二人(五才、三才の男の子)を一人ひとり椅子にかけさせてから、まず、小さい子どもに向けて発砲したが、幸いな事に弾は子どもの耳を逸れ、後ろの壁を突きぬけた。すると、そのピストルの音に驚いた子ども達は一斉に泣き出し、田中さんは、その泣き声で我に返った。――「ああ、自分は人殺しをするところだった。許して。」と子ども達を椅子から下ろして三人の子どもを抱いて、「ママを許して」と泣いたそうです。
その時、田中さんは心に神の声を聞いたのです。――「聖書」――と心に示されたそうです。幼い頃、教会のサンデー・スクールで読んだ聖書を日本から来る時に持って来ていたのでした。それまで自分の生活が恵まれた日々であったため、ほとんど祈ることもなく、トランクの中に入れ、忘れていたままだった聖書。彼女は聖書を取り出したものの、どこを読んだらよいか分からず、ページをパラパラと繰っている時、開いた箇所に光が差し込んだと話されました。その箇所は、ピリピ人への手紙四章六〜七節。
何事も思いわずらってはならない。ただ、事ごとに感謝をもって祈りと願いをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るであろう。
聖言によって田中さんは変えられました。子供のため見栄や自尊心を捨てて生きようと、その晩から強い信仰に導かれたと話されました。次の日から子供の手を引いて、遠くに見える牧場へ行って、ミルクびん洗いの仕事を始められました。びん一本洗って一セント。百本洗っても一ドル。その当時、物価は安く、ブレッド一個十セント、ウィニースが十五セント位という時代でした。彼女は家々の洗濯、アイロンかけなど家で出来る仕事はなんでもやり、後に小さいお店を開いて、三人のお子さん方を立派に大学まで出されました。田中さんのお証しのあとに、ローマ人への手紙八章二六〜二八節の箇所を読んで下さり、集会は終わりました。(田中さんの生い立ちを少し書きましょう。彼女は医者の家に一人娘として生まれ、小さい時から、それはそれは可愛がられ、学校に通うようになった時は、女中さんに連れられて通学したというお嬢さん育ちでした。縁あって実業家の人と結婚し、米国ロス市に渡米され、幸せな毎日で、あっという間に十年の日々が過ぎました。けれど、不幸にもご主人が他界され、裕福な生活とばかり信じていたはずなのに、あとに残されたのは大きな借金と幼い三人の子供たち。ご主人の残した家も店も、借金返済のため失い、英語も出来ず、何の技術も持たない彼女は、どうやって生活して行けるだろうと途方に暮れたのでした。死ぬより他にみちはないと思った時、神様は彼女を忘れることなく、聖書を思い出させて下さったのです。神の目からは田中さん一家は、貴い、愛されている家族です。幼い頃、田中さんがサンデー・スクールに通っていた事によって、神様の救いへと導かれたのですね。)
遠藤さんの家庭集会から帰ると主人が待っていました。私の顔を見るなり、「どうだった」と聞きました。私はとても素晴らしい田中さんという方のお証しがあり、感激し、もし、私が信仰を持つんだったら同じ神様を信じたい、と申しました。主人は、「それは、よかったね。行った甲斐があったじゃないか」と言い、嬉しそうにニコニコ顔でした。私は内心、何であんなに喜んでいるのか、ちょっとおかしいな位にしか考えませんでした。
そして、それから幾日か過ぎた頃から、シカゴ・イエス・キリスト教会から宮川原喜兄、松島兄、一安兄と三人の長老(牧師を補佐する信徒代表)の方達が、月に一回は必ず我が家に訪問伝道に見えました。主人は熱心に聖書のみことばに耳を傾け、よく質問もしていました。雨が降ろうと、風が吹こうと、大雪が降ろうが、判を押したように必ず訪問されました。ある時、主人は質問しました。「聖書は聖い書でなければならないのに、どうしてダビデ王やソロモンのような人達も悪を行うのですか」。その問いに、宮川兄は答えられました。「それだから聖書だよ。聖書は悪事も良い事も書いてある。それが人間の本当の姿なんだ。それが罪であり、そのために、そこに本当の神の恵みがあるんだ。神は聖であり、神を信じて、神の教えに従って歩む者に神からの祝福があるんだ。」――私達夫婦の信仰が少しずつ神に近づきつつある事を感じるようになりました。