三蔵会
旧暦の2月5日は玄奘三蔵の忌日にあたり、 興福寺では3月5日に画像を奉懸して、三蔵会(さんぞうえ) を厳修します。
法相宗祖は慈恩大師・窺基で、 その窺基を出家させて導いたのが天竺より帰国の玄奘であり、 玄奘三蔵を法相宗鼻祖と崇め、 古くより興福寺で三蔵会が修められてきた。
”三蔵”とは、経論に精通した僧侶に対して皇帝が与えた称号で、 他には鳩摩羅什や不空・金剛智などの密教僧もいる。
因みに、日本人で三蔵の号が与えられたのは、 804年に空海らとともに渡唐し、 826年頃五台山で客死した興福寺僧の霊仙三蔵のみ。
とりわけ、玄奘が”三蔵法師” として親しまれているのは、 明の時代(16世紀末)に呉承恩の小説 『西遊記』の主人公とされ、 日本でも江戸期には『西遊記』 が大衆小説としてひろく読まれたことによる。
テレビドラマの『西遊記』では、薄命の美女・ 夏目雅子が三蔵法師を演じ、率いる孫悟空(堺正章) ・猪八戒(西田敏行)・沙悟浄(岸部シロー)のコンビネーションは絶妙で、毎回楽しみに観ていた。
そう言えば、後の『西遊記』でも、 三蔵法師役には、 宮沢りえ、牧瀬里穂、深津絵里といった女優がキャスティングされている。
そのせいか三蔵法師を尼僧だと思い込んでいる人がいたのには驚いた。
隨が滅び唐が興って間もない頃、国家が安定せず街中には戦乱で多くの屍が転がっている状況のなか、 玄奘は佛の教えに救いをもとめ、自ら経論の原典を学ぶために、鎖国政策の国禁を犯し、 27歳で遥かなるインド遊学の旅に出た。
629年より17年間の艱難辛苦の旅を終え、645年の帰国では夥しい数量の経典を持ち帰り、 亡くなるまでの約20年間を弟子たちと経論の翻訳事業に捧げた。
1335巻にも及ぶ情熱的訳経の偉業は今日に語りつがれている。
664年に玄奘三蔵は鬼籍に入り、その後、 遺骨や服飾品の盗難をおそれてたびたび改葬されたらしい。
1942年に南京城中華門外で駐留日本兵が発見し、 南京の玄武山に埋葬されるとともに、東京・増上寺へも請来されたが、 戦局がはげしくなると遺骨は埼玉県岩槻の慈恩寺へ安置された。
戦後、蒋介石が” 日本における三蔵の顕彰は誠によろこばしく、返還には及ばない”という意向を述べ、 慈恩寺に十三重塔が建立され丁重に納骨された。
その後、慈恩寺の遺骨は昭和30年に台湾へ、同55年には奈良・ 薬師寺へも分祀されている。
三蔵会は、 午前10時より本坊客殿にて行います。
玄奘三蔵の遺徳を偲ぶ法会に是非ともご参拝下さい。
- 投稿者:fukui
- 日時:15:55
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すき焼きおいしかった。