雑記
2008/05/24 Sat [Edit]
今日は晴れだか雨だかよく分からない。服を買いに言ったがものすごい人々々。給料日後だからこうなのか?
アサヒる!
2008/05/24 Sat [Edit]
アジア演説―福田さん、その言や良し
アジアは世界史の主役に躍り出た。この地域のネットワークをさらに勢いあるものとするため、日本は他のアジア諸国や米国と一緒になって汗をかいていく――。
福田首相がアジア太平洋地域の政治家や有識者を前に、都内でこんな演説をした。今後のアジア外交の基本について、考え方をまとめたものだ。
アジア外交といえば、77年8月、首相の父、福田赳夫首相が東南アジア諸国歴訪のしめくくりとしてマニラで行った政策演説を思い起こす。「福田ドクトリン」と呼ばれる。
日本は軍事大国にならない。真の友人としての「心と心のふれあい」を大切にする。そんな原則をうたい、その後のアジア政策の基調となった。
当時は、経済高成長で日本が急速に存在感を増していたころだ。摩擦が起こりがちだったアジア諸国との関係を安定させる目的があった。
それから30年あまり。東南アジアなどが急成長し、さらに中国が大国として台頭する中で、日本としてのアジアへのかかわり方を再定義するのが、今回の演説の狙いだった。
ポイントはこうだ。
経済的、政治的に力をつけた東南アジア諸国連合(ASEAN)の地域協力を強化し、そこに日本、さらに米国などが加わって太平洋の平和と繁栄のネットワークを築く。
日米関係とアジア外交を相互補完的に位置づける、首相の「共鳴外交」の考え方を発展させたものと言っていいだろう。
この演説からは、近年の日本外交が犯した二つの失敗の反省がうかがえる。ひとつは小泉首相時代の「日米さえよければ」という対米一辺倒から抜け出したことだ。中国との関係改善を軌道に乗せた自信がその背景にある。
もうひとつの失敗は、安倍前首相や麻生元外相の「価値観外交」である。自由や民主主義という言葉を前面に押し立てるあまり、アジアなどの反発や疑心を招いた。
演説では、北朝鮮の核や中国、ミャンマーの人権問題に対しては静かな語り口に終始した。抑制的すぎるとの批判もあるかもしれないが、強い言葉が必ずしも外交上の効果を生まないことも、首相が学んだ教訓なのだろう。
首相は、日本の目指す将来像として「困った時に頼ってもらえる国、一緒に協力しようと思ってもらえる国でありたい」と語った。世界やアジアの平和のために、労苦を惜しまず汗をかく「平和協力国家」として自らを鍛えていくとも述べた。
30余年前と比べると、日本の国際的地位も大きく変化し、担うべき役割や責任も様変わりだ。それを果たすには大変な覚悟がいる。だが、まずはこの福田演説、その言やよしである。
アサヒる
始めに断っておきますが、私は必ずしもアジア外交を否定するわけではありません。米国と中共の蜜月関係が続く中、米国の助けなしにどう敵国である中共を押さえつけるかということを考えるためにも、アジア外交は必要なものです。
さて、本題です。今日のアサヒも正常運転♪上の記事は福田の抽象的過ぎる外交戦略をマンセーしまくったアサヒ社説です。この福田戦略は、記事の「北朝鮮の核や中国、ミャンマーの人権問題に対しては静かな語り口に終始した。」から分かるように、肝心のチベット問題やミャンマーなどの事柄がすっぽり抜けており、とてもではないが一国の首相が考えるようなものとはよべない代物です。
この社説はそんな代物を弁護するドアホですが、極めつけはこれといえるでしょう。
この演説からは、近年の日本外交が犯した二つの失敗の反省がうかがえる。ひとつは小泉首相時代の「日米さえよければ」という対米一辺倒から抜け出したことだ。中国との関係改善を軌道に乗せた自信がその背景にある。
もうひとつの失敗は、安倍前首相や麻生元外相の「価値観外交」である。自由や民主主義という言葉を前面に押し立てるあまり、アジアなどの反発や疑心を招いた。
小泉ちゃん時代は、特亜との関係が冷え込んだのは確かですが、それが日本の責任であるというのはどうなんでしょう。自らを棚に上げ、当然の行為である靖国神社参拝を何時までも捲くし立てる特亜にその責任があります。
また、アサヒは価値観外交も「失敗」とほざいていますが、自由や民主主義を前面に出して何が悪いのでしょう。いつもは「言論の自由」だとか「小泉改革は反民主主義」だとか言ってるアサヒは、反自由主義、反民主主義の特亜(韓国は価値観外交の枠内でしたが・・・)にはとても甘いアサヒは流石です。
今日はアジア外交の大切さと福田の稚拙さ、アサヒの正常運転を再確認できました。感謝感謝