現在位置:asahi.com>文化・芸能>文化>文化一般> 記事 行方不明だった屏風絵 狩野永徳作だった2008年05月24日02時47分 狩野派の屏風(びょうぶ)絵で、数十年にわたり行方不明だった逸品の存在が、最近ふたたび確認された。しかも、新たに調べた専門家は、安土桃山時代を代表する絵師・狩野永徳(1543〜90)の作と判断した。織田信長や豊臣秀吉が重用した永徳は、真筆と目される作品が約10件しか現存していない。
見つかったのは、六曲一双(6枚折りの屏風が左右1隻ずつ対となる)の「松に叭叭(はは)鳥(ちょう)・柳に白鷺(しらさぎ)図屏風」。右隻は、渓流のほとりに松が太い根を張り、黒い叭叭鳥(水墨画などによく描かれた鳥)が13羽。左隻はやはり太い幹の柳と池、それに16羽のシラサギが配されている。両隻とも水墨画で、高さ160.5センチ、幅約350センチ。墨の色も濃く、力動感あふれた作風だ。 もとは、実業家で古美術品収集家としても知られた原三渓(1868〜1939)の所蔵品で、当時は永徳の祖父・元信(1476〜1559)作の「鷺烏(ろう)図屏風」と考えられていた。原の所蔵品売り立て目録「松風閣蔵品展観図録」に写真が載り、その後は数十年、在りかが分からなかった。 辻惟雄(のぶお)・東大名誉教授(日本美術史)は約40年前から、写真しか手がかりのなかったこの作品を、元信でなく永徳の作だと推測していた。最近になって、古美術商から情報がもたらされ、都内の画廊でついに作品と対面。樹木の根や岩の描き方など、作風から、やはり永徳と判断した。 永徳には京都府・大徳寺聚光院に残る国宝「花鳥図襖(ふすま)」がある。今回の屏風はよく似た作風から、辻さんは、それより少し若いころの制作と推定している。 ◇ 作品は7月8日から東京国立博物館平成館で開く「対決―巨匠たちの日本美術」展に出品されることが決まった。 PR情報この記事の関連情報文化・芸能
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