ようこそ、「日本の子どもたち」のホームページへ。 「日本の子どもたちの抱える問題」を中心テーマに取りあげていきたいと思っています。 ただし、不本意ながら、方向音痴と呼ばれています。興味の赴くまま歩き回っているうちに、とんでもなく寄り道したり、違うところに出ちゃったりすることもあるかも・・・。 とくに、「わたしの雑記帳」では、あまり枠組みにとらわれずに、誤解や批判を恐れずに書いていきたいと思っています。なんてったって、“わたしの”ページですから・・・。 「日本の子どもたち」は個人サイトです。私の思っていることや伝えたいことを表現する私のための場所です(「日本の子どもたち」というネーミングは、ただ単に、このサイトで扱っている内容を表すためのタイトルです。公的な立場でつくっているサイトではありません)。 従って、そのことを充分考慮に入れて、偏った見方であるかもしれないことを承知のうえで読んでいただくようお願いします。 |
S.TAKEDA |
わ・た・し (2007.12.鳥取砂丘にて) |
2008/5/18 | 「あぶない!の化学 −子どもの事故予防に向けたシンポジウム−」に参加して、考えたこと。 | ||||||||||||||||||||||||||
2008年5月18日(日) 六本木アカデミーヒルズ49階タワーホールにて開催された、経済産業省安全知識循環型社会構築事業「あぶない!の化学 −子どもの事故予防に向けたシンポジウム−」に参加した。 「子どもの事故防止」に関しては、子どもの事故予防工学カウンシル(CIPEC)代表の小児科医・山中龍宏先生の話を何度か聞いたことがある。ただでさえ忙しい小児科医が、事故防止に向けてここまで真剣に取り組んでこられたことを本当にすごいと思う。 それがようやく実を結んで、国土交通省や大学、企業まで巻き込んで、ひとつの形になりつつある。 もっとも、1960年以降、0歳を除いた1歳〜19歳の子どもの死因の第1位を占めているのが「不慮の事故」。病死よりも高い。 しかも、毎年のように、同じ事故が起きつづけている。 子どもの事故と医療機関との連携は実に大きな意味がある。子どもは年がら年中けがをする。しかし、そのなかでも医療機関にかかるというのは、重症度が高いことを意味している。 すべての事故を予防することは不可能だ。しかも、子どもの成長には、小さなけがをすることは危険回避のために必要な経験知となる。しかし、命にかかわる、もしくは障がいが残るようなけがは避けなければならない。 そこで今回は、救急部にて調査した子どもの事故の第1位65%を占めた頭へのけがと、第2位10.4%を占めた手・指・手首へのけがに焦点をあてて、企業と連携しながら、様々な予防のための取組が紹介された。 子どもの事故といじめ問題。とても共通点があると感じる。 子どもが死に続けているにもかかわらず、国は縦割り行政で誰も責任を取らず、そして、通達を出すだけで、真剣に事故防止に取り組んでこなかった。少子化を問題にしながら、子どもが傷つき、死に続けていることを問題にしない。 システムの問題ではなく、子ども自身やその親の問題とされてきた。また、被災者やその親も自分の責任のように感じてきた。 なぜ、同じ事故がおき続けているのか。その主な原因は、 @情報が集まらない。 A分からない(知識化できない) B伝わらない(現場に) 山中先生は、コツコツと事故の情報を集めてきた。しかし、いくら情報を集めても予防にはつながらなかったという。 予防につながる情報を集めなければ意味がないという。 その予防につながるデータにするためには、詳しい発生状況を知ることが不可欠であるという。 実際に保護者に事故の状況の聞き取りをする。そのとき大切なのは、見たことと、推測とを分けること。 @子どもの目線になって、正しく、具体的に事故の状況を把握すること。 A具体的な状況を掴んだら、情報を整理する。 B必要な情報を確認する。 そして、事故情報を安全知識に変えること。次の事故を防ぐための情報を社会に知らせていくこと。 私は、学校事故・事件のことを約10年やってきて、やはり学校にひきつけて、この問題を考えてしまう。 現在、学校管理下の事故は日本体育・学校センターが収集し、毎年、冊子として出版されている。私も何冊かは持っている。 しかし、山中先生が書かれているように、「それは単なる事故の羅列であり、事故予防のための分析は行われていない」。 私自身、読んでいて、臨場感がない。おそらく、学校側が災害共済給付(医療費、障がい見舞金または死亡見舞金)を申請するために書く書類をまとめていることから、最初から事故防止のための情報収集という観点がないのだと思う。 また、給付のための書類ということもあって、学校の担当者が書く。その内容は事故当事者や目撃者、親に見せられることもなく、また、きちんとした情報収集もなされていない。 いじめ問題も全く同じで、文科省の統計も、単なる統計のためのデータ収集であり、膨大な時間と予算をかけながら、肝心の防止目的は明確には打ち出されていない。 山中先生の言う、「子どもの目線」「正しく」「具体的に」の全てが欠落している。それをチェックする機関もない。 いじめ問題の情報収集に関しては1994年11月27日にいじめ自殺した大河内清輝くんの事件とその後も続いたいじめ自殺を受けて、文部科学省所轄の特殊法人・国立教育会館のいじめ問題対策情報センターがつくられた。 全国の学校のいじめ情報がここには集まると当時の新聞には載っていた。しかし、せっかく集められた具体的な情報に一般の人間はアクセスできない。学校や教育委員会に限られているという。 このことも、事故再発防止のための、「事故情報を安全知識に変えること」「次の事故を防ぐための情報を社会に知らせていくこと」がなされていない。 しかも、7年連続いじめ自殺ゼロに対して、同センターは何をしていたのだろう。 いじめ自殺は、いじめのなかでも、子どもの死にかかわる最重要課題であるはずだ。まして、自殺事件をきっかけにしてつくられたセンターであるならば。 センターには、自殺につながったいじめの情報がどれほど収集され、それは、どのように活用されてきたのだろうか。政策に反映されてきたのだろうか。 文部科学省所轄の特殊法人のセンターとなれば、運営資金はおそらく税金でまかなわれていると思う。にもかかわらず、機能していないとしたら、単なるいじめ問題への取組のアリバイづくりや、教育公務員らの天下りとしての機能しかないのではないかと疑いたくもなる(文科省は天下りにおいても、たしかかなり上位を占めていたはず)。とくに、昨今の道路特定財源や年金の使われ方のいい加減さが次々と明らかになるのをみれば。 子どもの大切さ、命の大切さを声高に言いながら、子どもや人の命にかかわることに、予算さえつけようとしない。 人間とは正直なもので、本当に大切に思っているものに、お金をかける。口で言うより、予算の配分を見れば、政府が何をいちばん大切にしているかがわかる。 シンポジウムで配られた「子どもたちを事故から守る 事故事例の分析とその予防策を考える」/子どもの事故予防工学カウンシル(CIPEC)代表の小児科医・山中龍宏 著」に、「死亡率を検討できるのは国レベルだけ」とある。 子どもの事故も、いじめ問題も、国にしかできない対策がある。命にかかわることで、国にしかできないことがあるとしたら、国民の生命・財産を守るべき国が当然、なさなければならないことではないだろうか。 また、事故情報は個人情報保護法の例外規定にあるという。いじめ自殺も、同様に命にかかわることとして、個人情報保護法の例外規定にはならないのだろうか。 不慮の事故に次いで、10歳〜19歳の死因第2位を「自殺」が、「悪性新生物」と争っている。子どもの事故と自殺がなくなれば、子どもの死はもっと避けられる。 とくに19歳以下の自殺を減らすことができれば、20歳〜39歳までの死因第1位である「自殺」にも変化がみられるのではないかと思う。 シンポジウムの内容はとても具体的でわかりやすかった。そして、経済産業省が取り組むことで、大きな連携が期待できる。 各分野の専門家が集まることで、これまで防ぎようの無い事故と思われたものに、具体的な防止策が見えてきた。 産・官・民共働の先進的事例になってほしいと思う。 なお、今回はどちらかと言えば、私自身の備忘メモとして、今回のシンポジウムを通して考えたことを書いた。 シンポジウムの詳細については、キッズデザイン協会 http://www.kidsdesign.jp/ や 事故予防工学カウンシル(CIPEC) http://www.dh.aist.go.jp/projects/child/ のサイトにて。 昨年のシンポジウムの内容は、当サイト内『水泳プール無視された安全管理』/ 林田和行氏 にて。 |
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2008/5/11 | 千葉県浦安市立小学校養護学級でのわいせつ事件 担任と補助教員の証人尋問。 | ||||||||||||||||||||||||||
2008年5月7日(水)、13時30分から、千葉地裁仮庁舎4階405号法廷で、千葉県浦安市立小学校養護学級でのわいせつ事件の民事裁判(平成18年(ワ)第978号)の証人尋問。前回に引き続き、12時50分頃、整理券43、4枚が配られ、30の傍聴席をめぐって抽選。今回は、くじ運の悪さを発揮。しっかり抽選にもれてしまった。法廷前の控え室で待つ。 裁判官は三代川三千代裁判長(女性)、片山昭人裁判官、飯塚素直裁判官(女性)。この日の証人の予定は学級担任と補助教員2人だったが、どうやらT教師は体調不良を理由に出廷しなかったらしい。 3時30分頃、一旦休憩が入り、傍聴を替わってもらって入ることができた。当日は、夏日といえるほどの暑さだったが、裁判所は6月に入ってからでないと冷房を入れられないということで、具合が悪くなるひとが出るほど、蒸し暑かった。 私が聞けたのは、女性補助教員Oさんの証言。予想通り、K教師に有利な証言ばかりだった。K教師が刑事裁判のなかで自ら認めていることさえ否定。そして、肝心なことになると「覚えていない」「わからない」「知らない」を連発した。 なぜかA子さんの「Kサイアク」という言葉に尋問が集中。Oさんは、A子さんは語尾を上げた形で、「何か私に反応してほしそうに、うれしそう、遊んで欲しそう」ななかで、「本当に最悪と思っていないような様子」「楽しそうに、にこにこしながら」言ったという。 そして、A子さんには、ひとが話したことと同じことを話したり、真似たりすることがあると言った。 また、反対尋問のなかで、7月の宿泊研修のとき、女子児童たちが「Kサイアク」と話していたとT先生から聞いたと言った。それを聞いて、Oさんは「えっ」と驚いたと話した。 Kは丁寧な言葉づかいを心がけていた。A子さんとK教師の関係はよかったとした。 そして、学級のなかで男児が、A子さんに前から飛びかかるような形で抱きついたりしたと話した。ただし、覚えているのは1学期に1度のことで、休み時間などみんなが自由にしている時間帯で、A子さんは抱きつかれて笑っていたと話した。同男児は別の女児にもぶらさがるような形で抱きついたことがあるという。また、いすに座っていると足の間に頭をもぐりこませることもあったという。KもOさんも、それらに対して、A子さんに対して「いやなことをされたら、いやって言うんだよ」と言っていたという。 また、みんなの前で性器を出した男児や着替えるときに服を全部脱いでいまう男児の話をした。 ******** 報告会のなかで、S男性担任と補助教員Oさんの証人尋問についての報告がなされた。 基本に2人とも、Kによる虐待場面を見ていない、知らないとした。また、同性介助や常に誰かがいることを理由に、Kと女児が2人きりになることはありえないとしながら、一つひとつについて聞かれると、個別指導や交流授業、交流給食、トイレ介助や立ち歩きへの付き添いなどのときに、それぞれ教室を離れることがあり、出払っていて一対一の指導をする機会があったことを否定しなかった。 なお、支援者の何人かが、尋問が終わったあと、Oさんが教育委員会のひとの前で泣いていたのを目撃している。 今日の尋問に対して、A子さんの父親は、怒りより、先生方がかわいそうになってきたと話した。「記憶にない」という言葉は、すべて「言えない」と聞こえたと。 一方、A子さんの母親は、A子さんや別の女児のPTSDの原因がまるで、特殊学級に所属する男児の行為にあるかのような印象を与えようとしたことを許せないという。 また支援者からは、証言内容が仮に本当だったとしたら、養護学級の教師という、より専門性を要する職種にありながら、子どもの訴えを真摯に受け止めず、他人の真似と決め付けて聞き流してしまう姿勢は非常に問題があるという意見も出た。とくに、性的被害について、子どもは「笑いながら話すことがある」という現実もある。 次回は、K教師ほかの証人尋問。また、傍聴券抽選に並ぶことになりそうだ。 |
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2008/4/21 | 千葉県浦安市立小学校養護学級でのわいせつ事件 原告祖母と母、別の被害女児の母、補助教員の証人尋問(4/23一部改) | ||||||||||||||||||||||||||
2008年4月16日(水)、千葉地裁仮庁舎4階405号法廷で、千葉県浦安市立小学校養護学級でのわいせつ事件の民事裁判(平成18年(ワ)第978号)の証人尋問が行われた。 裁判は10時15分開始だったが、9時半から傍聴券整理券が配られ、抽選となった。 仮庁舎であることも影響しているのか、他の裁判傍聴の整理券と一緒になったのかよくわからないが、どこで整理券が配布になるのか、案内した係員によって場所が異なるなど、混乱した。 抽選はおみくじ形式で、白い棒に赤がついていれば「当たり」、ついてなければ「はずれ」。 朝6時45分に家を出て、満員電車で汗だくになって到着して、傍聴できなかったらちょっと辛いと思っていたが、くじ運の極めて悪い私が、今回は「当たり」をひくことができた。 もっとも、「支える会」のひとたちが、会員に呼びかけて、希望するひとは1回は傍聴できるように、交代で法廷内に入れるよう、調整してくれていた。 450号法廷の傍聴席は36席。内6席が白いシートをかぶせた「記者席」となっていた。 裁判官は三代川三千代裁判長(女性)、片山昭人裁判官、飯塚素直裁判官(女性)で、前回2007年12月26日の第9回口頭弁論(この日は用事があり、私は傍聴していない)から替わった。必ずしも、男性裁判官より女性裁判官のほうが、わいせつ行為の被害者の心の傷や家族の思いを理解してくれるとは限らないが、一般的にはやはり、男性裁判官よりわかってくれる確率が高いように思う。 この日の証人尋問は、A子さんの祖母に始まって、A子さんの母親、原告側証人、当時の補助教員の計4人。 被告席には、前面に弁護士、後ろの席の中央にK教師が座っている。ふつう、民事裁判では義務がないので、被告当事者は法廷に来ないことのほうが多いが、冤罪を印象づけるためか、毎回、出席している。 原告側の訴えをどのように受け止めているのか、少なくともK氏の表面からは全く感情が読み取れない。反省の色が全く感じられないふてぶてしい態度、表情に、ますます原告であるA子さんの両親、支える会のメンバーは憤りを強くする。 |
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午前10時15分から、最初の証人尋問。A子さんの祖母Nさん(Aさんの実母)。 80歳近い年齢、小柄な体。裁判長は気遣いを見せて、聞こえなかったり、理解できない質問は問い返してよいこと、のどが渇いたら水を飲んでもよいこと、気分が悪くなったら休憩するので言ってほしいことなどを事務的でなく、穏やかに話した。 尋問の焦点は、A子さん(当時小6・11歳)の被害が発覚した平成15年(2003年)の夏休みのことと、その時のA子さんの様子や言葉を書きとめた日記の内容について。この日記は、刑事裁判のときには、A子さんの母親でさえ、そのようなものが存在するとは知らず、民事裁判になって初めて、証拠として提出された。 最初に原告弁護士からの主尋問。 Q:平成15年の夏休みのことについて。日記の記載は、本文と欄外とがあるが、どのような順番で書いたのか? A:最初にその日の天気。次に本文。最後に欄外に、気づいたことや俳句、自分のことを書き足している。 Q:A子さんの被害を欄外に書いたのはなぜか? A:日記は自分中心に書くものであり、自分の生活や気持ちを書く。A子のことは、自分の生活以外のことなので、欄外に書いた。A子からはすごい言葉を何度も何度も聞かされた。A子が被害を受けて、言葉では言い尽くせない、苦しさ、大変さを聞かされ、悲しい、辛い気持ちを自分なりに書きとめておいた。 Q:日記には、A子さんから聞いた話のみを書いているのか、それとも、母親から後で聞いた話も入っているのか? A:母親からあとで聞いた話は入っていない。A子から聞いた話のみをその日のうちに書いている。 Q:もっと後になって書いた内容はあるか? A:ない。 Q:平成15年の7月27日から秋田の祖父母の家にA子さんは行っていた。「A子が豆腐を食べない。なんで?」と書いたことについて。 A:A子は豆腐が大好きで、来ると毎朝、味噌汁に豆腐を入れていた。それが「おばあちゃん、トーフ、食べられない」と言うので、驚いた。そのときは、体調が悪いのかなあと思った。 A子が歯ブラシを使いながら、「おばあちゃん、トイレに入れられて流されると死んでしまうの?」と言うので、「えっ、なんのこと?」とびっくりした。 Q:どうしてそんなことを言うのか尋ねたか? A:尋ねていない。誰かが言っていて、そんなことを言うのかと思った。 「おばあちゃん、トイレに入れられて流されると死んでしまうの?」と、A子はたたみかけるように何十回もしゃべり続けた。 「Kが言った」。「えっ、先生がそんなことを言ったの?」。「Kがトイレについてきて、ドアをあけるの」「Kね、トイレについてきて、ドアを開けろ、開けろと何度もうるさく言ってドアをたたく。開けるまでうるさく言ってドアをたたくから、こわかった」と話した。 以前はそういう話をしたことはなかった。 A子が「トーフを食べられない」と言うので、豆腐を寄せて、汁だけにして食べさせた。 「Kが手をひっぱって、自分の足に触らせた」「トーフのように白くてやわらかいだろって」「ゲボが出るほどいや」と、自分の足を指して言った。びっくりして、「先生は冗談にしろ、面白いことを言う」と思った。 Q:7月30日の記述について。 A:私が台所に立っているとき、掃除、洗濯をしているときもずっと、A子は尻についてきて、「トイレで流されると死んでしまう」という話を繰り返した。 また、「プールの時間に、Kが着替え室に入ってくる」「体を触って、こわかったよ」」「着替えをしているときに、Kが入ってきて、おっぱいを押さえられた」と言って、両手を胸のところにもっていって押さえるしぐさをした。 「いすに座るとき、Kは手のひらを上にして、その上に座るように言われる」と話した。A子はピアノをひくのを楽しみにしていた。ピアノのところで、「おばあちゃん、Kがいすの上に手を置くの。こういうふうに手を置いて、イスの上に座れって、言ったの。いやだから、ちょっとずらして座ると、その上にちゃんと座りなさいって」「座ると、お尻を触る」。 Q:「目隠しをされて、おもちゃの鉄砲をあてられた」という記述について。A子さんは正確にはどのように話したのか? A:おもちゃの鉄砲というのは私の解釈。A子は「Kが目隠しをして見えないようにして、たまの出るようなので、顔にあてたの。こわかったよ」と話したので、おもちゃの鉄砲だと私が解釈した。 Q:8月7日付けの「いうことをきかないと、ビリビリ電気が出るガンを押し付ける」と書いているのは? A:「Kがビリビリっと電気が出るのを出して、いうことをきかないとおっかないぞと言う」と言いながら、A子は手をあげて光が見えるような様子を手で表現した。私はどういうものか理解できなかったので、体に近づけると電気を出す銃のようなものではないかと思って、「ガン」と書いた。 Q:白いおしっこの記述について。 A:「特別教室のカーテンをひいて、Kがこれから面白いことをするからって言って、白いおしっこをかけられた」とA子が話した。 (ここでNさんは、「話すのも辛い」と言って泣いた。) A子が「カーテンをひいてね、これから面白いことをするからねと言って、おしっこマットのようなのをしいて、白いおしっこをかけられたの。こわかったよ」と話した。 Q:もっと詳しく内容を聞いたか?A子さんにはなんと声をかけたのか? A:びっくりした。A子があまりにかわいそうで言葉が出なかった。何も聞いていない。 Q:8月23日、「家にいると口をおかずにワアワアしゃべるので」と書いているが? A:夏休みの間、トイレの話を繰り返し、何十回となくいう。自分の怖さを聴いてもらいたいのだと思った。 Kがトイレに入って来て怖かったこと、トイレで体に触られたことを毎日、毎日、繰り返し、繰り返し、言葉にしていた。 Q:日記に書いてある被害はA子さんが自分から話した内容なのか?A子さんの母親から聞いて付け足すようにしたことはないか? A:A子母から電話で、「あのね。A子がね、担任の先生にすごく体に触られたりして怖かったんだって」と聞いていた。しかし、具体的にどういうひどい目にあったかは聞いていない。A子が秋田滞在中も母親から聞いていない。 A子からは積極的に聞かないように心がけていた。A子の知能、性格から考えて、こちらから問いただしたら、たたみかけたり、感情を入れたりするときっと話さなくなる。「ばばが心配するからやめる」というやさしさがある。 「その次は?」ということは一切していない。できるだけ言いたいことを受け止めて、安心させるようにした。怖かったことを受け止めてやりたかった。 Q:Nさん自身、教員の経験があると聞いたが? A:特殊学級を5年間受け持ったことがある。叱咤激励や強制的指導では、個々の気持ちがくじけてしまう。障がい児にはプレッシャーをかけないように心がけていた。個々の知能程度も違う。それに応じた指導をする。協調性を大切にして、わきあいあいの学習や生活を心がけた。その経験が今回、たいへん生きた。 Q:トイレの話はどう思ったか? A:最初は先生の面白いジョークと思った。ホラーの花子さんのトイレ(「トイレの花子さん」のこと)の見すぎかと。 しかし、A子の恐怖感、怖さ、大変さを感じた。「おっかなかったね」「たいへんだったね」「よくがまんしたね」と声をかけた。 被害がただならない。ひとつや2つの怖さではない。恐怖にとりつかれていて、体を硬くして、「おばあちゃん、怖かったよ」と言うのを聞いて、私までも怖いという気持ちになった。 Q:昨年までの様子とは違っていたか? A:違っていた。A子は小さいときにハシカにかかって脳症から障がいを負った。大人しく、こちらから問いかけたり、「○○しようね」と言わないと動かないし、何も言わない。ほしいものがあっても、こちらから働きかけをしないと、自分から要求することはない。 Q:担任に触られたと昨年まで話したことがあったか? A:全くなかった。 Q:本当にされた被害について話していると思うか? A:思う。 Q:秋田にいる間のことについて、A子さんの母に伝えなかったのはなぜか? A:親は全部わかっている。聞かされていると思っていた。 Q:その頃、裁判になるし予想していたか? A:夢にも思っていなかった。 Q:日記を刑事裁判に証拠として提出しなかったのはなぜか? A:日記は自分のもので、他人に見せるためのものではないので、見せようと思わなかった。 Q:証拠として、裁判で使うことを考えたことは? A:ない。教師という職業的に子どもたちのことを記録することが習慣としてあった。いつか話すこともあるだろうと書きとめた。 学校、教育委員会は子どもが二度とこのような被害を受けるようなことがないようにしてほしい。 (原告代理人弁護士が時間がないのでと話をさえぎろうとするのをNさんは、「これだけは言わせてください」と制して、一気に話した) 忘れられないことがある。まざまざと今でも思い出す。小学校卒業の平成16年3月。卒業記念のアルバムを開いたら、A子がいきなり、ツメである人の顔を傷つけて、「いちばん、大嫌いなKがここにいるの」と言った。「やめなさい」と言ってもやめないでこする。「この顔を消すの」「ツメで消して見えなくするの」と言った。 8ヶ月たった3月に、改めてA子の心の傷を思い知らされた。 障がい児教育のモデル校として特殊学級をつくったからと言われて、孫をお願いしたのに、心身に暴行を受けてメチャメチャにされた。改めて許せない。今も悲しみは消えることはない。これからも、一度受けた傷は消えない。苦痛と恐怖から逃れることができない心理状態で生きていかなければならない。 トイレでパンツに手を入れられたなどということは6年生の知的障がいのある子どもが考えられることでも、大人が教えられる話でもない。 ******** ここから、被告K氏の代理人弁護士から反対尋問。 Q:日記は7月27日から8月27日まであるが、1枚、1枚、カッターで切ってあるのはなぜか? A:日記は自分のためのもので、誰かに見せるためでも、貸すものでもない。必要な部分を必要な方にと、その部分を切ってしまった。 Q:日記はコピーしている。見せたくない部分を隠してコピーすればよかったのではないか? A:その時は考えなかった。 Q:欄外は本文と同じ日に記述したのか? A:ほとんどそうだ。 Q:ペンは、N用、夫用を使用したとあるが? A:自分用を使用しているが、夫用を使ったこともある。 Q:A子さんから被害を聴取した状況について? A:私のほうから積極的に聞きだしたりしたことはない。私がA子の話に返事をせず、相づちをせずにいると、肩をたたいたりして、話した。 Q:A子さんが話すことにいちいち肯定したのか? A:「違う」と否定したことはない。 Q:日記には、「K」「先生」「教師」といろいろな書き方をしているが? A:A子は「K」と呼び捨てにしていた。私がそれを「先生」「教師」と書いたが、使い分けはとくに意図していない。 Q:「トイレに流されると死んでしまうの?」というのを聞いてホラーの見すぎと考えたと言っていたが? A::「トイレに流されると死んでしまうの?」と何回も何回も言うので、先生の冗談が過ぎると考えた。 Q:A子さんがビデオの観すぎではと思ったと言っていたが、A子さんはホラービデオが好きなのか? A:ちょっと恐ろしいものが入ったのが好き。 Q:7月30日のところに、プール授業の更衣室のことが書いてあるが、学校では男女に分かれている。男の先生は男の子、女の先生は女の子と別れている。「怖かった」と話したのは、証人(Nさんのこと)の関心をひこうとして話したのではないか。 A:そうは思わない。 Q:体を触られたのは、プールの授業のときか、別のときか、言っていたか? A:言っていない。 Q:「先生って何もしないのに大きな声で怒るの。お父さんと同じだ」とA子さんが言ったと書いてあるが、父親も同じように、大きな声を出して怒ることがあるのか? A:お父さんも大きい声で怒ることがあるので、そのことを言っていると思う。 Q:父親は子どもに厳しいひとか?カルテに、「以前にスイミングの先生を嫌がって、A子さんがいやがったのに、無理やり連れて行った」と書いてあるが? A:ちょっと厳しいところはあるが、ふつうだ。 Q:カルテに「寝つきが悪い」と書いてあるが。自宅でも、夜9時半頃ふとんに入って、1時過ぎまで寝ないことがあると書いているが、知っていたか? A:知らない。 Q:「学校のトイレ」とあるのはM学級内のトイレのことか? A:学級内のトイレについてくるので、先生に見つからないように、廊下をはさんだところのトイレに行くと言っていた。 Q:A子さんはトイレには一人で行けるのか? A:行ける。 Q:「いつも大きい声で怒ってばかり。お父さんと同じ」「おばあちゃんどう思う?」と聞かれて、どう答えたのか? A:父親も大きい声を出すから、そう言ったのかと思う。「たいへんだね」「そうおもうね」と言った。 Q:「ガン」という言葉をA子さんは言っていないのに、「ガン」と書いたのはなぜか? A:玉の出るのとは違うガン。それに対する認識がわからないので、勝手に解釈した。 Q:「カーテンをひいて」とあるが、どこにあるカーテンかわかるか? A:わからない。「特別教室」のカーテンと自分で勝手に解釈した。 Q:8月18日のところに、「組の男の子たちも写真をとられた子がいたよ。裸にして」と書き、8月13日のところにも、「女の子たちも写真をとられた子がいる。他にもいるよ」と書いているが、男の子の話が出たときに女の子の話は出なかったのか?逆は? A:ひとつひとつ聞いたことを書いた。その時どうだった思い出せない。 Q:「おもちゃの鉄砲」とは、実際にはどういう言い方をしたのか? A:「玉の出る」と言った。 Q:「白いおしっこをかけるような行為」と書いてあるが、「ような」とはどういうことか? A:言いにくい。 Q:「白いおしっこ」と聞いても詳しく聞かなかったのか?レイプ被害にあった心配はしなかったのか? A:した。 Q:それでも聞かなかったのか? A:聞かなかった。 Q:被害が心配なのに、どうして一人で帰したのか?心配ではなかったのか? A:妹と一緒に帰る予定だったのが、学校に行きたくなくて残った。ひとりで帰れるとA子が話した。だいたい飛行機で来ることが多かったので、大丈夫だと思った。 ******* 被告の県代理人の弁護士から Q:A市にいる間のできごとについて、母親とは具体的にやりとりしていないということだったが、これだけのことがあったら、母親に聞くのではないか? A:親は十分にこのことをわかっていると思っていた。また、電話で話をするだけの内容ではないと思った。 Q:「親には言わないでくれ」とA子さんが言ったと書いているのだから、親には話していないとは思わなかったのか? A:思わない。子どもなりに、親に心配をかけて、じじとばばにまで話したことを知れば、また親が心配すると思ったのだろうと考えた。 Q:母親は「先生に触られた」と抽象的なことしか言っていないが、詳しい内容や先生の処分について、母親に聞かなかったのか? A:聞かなかった。 K被告の代理人弁護士から Q:豆腐のことは娘に電話で話したのに、レイプの心配をしながら白いおしっこのことを話さなかったのはなぜか? A:豆腐は食生活。毎日のこと。白いおしっこの件は、口にするだけでもおぞましくて、自分からは言えなかった。 Q:本文と欄外は別々のときに書いたのか? A:時間差は少しあるが、その日に書いている。一度に書くにも、いろいろと仕事がある。自分のことはわりとさっと書ける。欄外のせまいところに書くには、どういうふうに書くか考える。できるだけ本人の言葉を書くようにした。 ******* 男性裁判官から質問 Q:特殊学級の名前を知ったのはいつか? A:T小学校に入学してすぐの4月に聞かされた。M学級のことは、はっきりとは覚えていない。 Q:隣の教室が空き教室になっていることは誰から聞いたのか? A:A子から聞いた。 女性裁判官から質問 Q:トイレに流される話を聞いて、何と言って安心させたのか? A:「本当にそんなことがあったら怖いね」「本当は流すことができないんだけどね」と話した。 Q:ビリビリと電気を発するものとはどういうものを想像したか?スタンガンという言葉は知っているか? A:わからない。A子が動作をしたのを見て、ビリビリと光って刺激を与えるガンと理解した。 裁判長から質問 Q:A子さんはホラー映画がすきなのか? A:夏休みに花子さんのトイレ、トイレの花子さんだったかもしれない、のビデオを見ていたことがある。 Q:ほかにはどんなタイトルがあったか? A:・・・。思いつかない。 原告代理人弁護士から補足質問 Q:母親から、そういうビデオが好きと聞いたことは? A:ない。 Q:ホラー映画は平成15年より前に見たのか?平成15年の夏に借りて見た記憶は? A:前に借りて見たことはあるが、平成15年の夏に見た記憶はない。 12時10分に終了。 |
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午後1時30分から、A子さんの母親の証人尋問。 (マイクが入っているのか、いないのか、午前中に比べても音声がとても聞き取りにくかった。聞き逃しもあるし、聞き違いもあるかもしれない) 原告代理人弁護士から質問。 Q:A子さんに被害を告白されたのはいつか? A:平成15年7月4日に、ドアを開けたら玄関を入るなり、A子は「今日、Kにおっぱいギューされた。3回ギューされた」と言った。一瞬、わけがわからなかった。偶然、手が触ったのかと思った。しかし、A子は自分の両手を胸にもっていって、「ギューした」と話した。夜、寝る前、「Kがズボンのチャックおろすんだよ」と言った。「チャックおろしてどうするの?」「パンツ引っ張るの」と話した。 Q:それは母親が質問したから話したのか? A:質問したから話すこともあったが、自分で繰り返すこともあった。近くにいるとき、ボソッと言う。台所に来て、ボソッと言う。 「トイレに流されるとしんじゃうの?」「Kがチャック下ろすんだよ」「下ろされたんだよ」。何十回も、何十回も繰り返した。気がつくとそばに来て話す。最後は、かわいそうで、聞いているほうが辛くなって、疲れてきた。 Q:夏休みに田舎に行っているとき、祖母からはKについての話を聞いていたか? A:おばあちゃんから、「朝から晩まで先生の話ばかりして、頭のなかがおかしくなりそうだ」と言われた。私は「たいへんだよね」と言った。下が小3、A子が6年生。手がかかるから、忙しくしている。妹から私あてにだいたい電話が来る。おばあちゃんは、今、忙しいというのが目に浮かぶ。うんざりしていたし、母も大変だろうとわかっていたので、申し訳なくて聞けなかった。 Q:その時は裁判について考えていたか? A:考えていなかった。 Q:A子さんが伝えた被害について。 A:「K、チンチン出すんだよ」と突然言った。ぎょっとして聞くと、「ほかの子どもの前でも出すんだよ」と言った。 「Kがトイレに入ってくる。中に入ってくることもあるんだよ」とも言った。私は「カギ閉めればいいじゃない」と話した。 「中に入るとき、おまた触るの」と言った。「やめてって言わなかったの?」と聞くと、「顔をたたくんだもの」「やめてって言ってもやめてくれなかった」と言った。 次から次へと、自分の口から出てきた。こちらが口をはさむ余裕がないくらい、次から次へと話す。目の焦点があっていない。表情はうつろで、初めて見る顔だった。いつものA子でないみたいだった。 だんだん話し出しているうちに、興奮して早口になって、また興奮したりした。 7月12日、「Kがチャックをおろすんだよ」と言われて、A子の前で泣き出してしまった。なるべく冷静を装っていたが。 あまりに次々と話すので、覚え切れないと思い、メモをした。 Q:どのようにA子さんの話を受け止めたのか? A:どう受け止めていいかわからなかった。受け止めきれなかった。 (中略) Q:今まで告白できなかった理由を聞いたか? A:「なんで今で言わなかったの?」と聞いた。A子はお腹をさすりながら、「カッターでお腹を切って、殺すからねと言われて、怖くて言えなかった」と話した。これ以上のことはないと思っていたのに、またこんなことまで言われてショックだった。 Q:A子さんうそをついたとは思わなかったのか? A:あんまり内容がひどすぎて、子どもが考えられる内容ではなかった。繰り返し言ってくる。私は「本当のことしか言っちゃダメなんだよ」と言うと、A子は「本当だよ!」と怒っていた。 Q:白いおしっこについて。 A:A子は「Kは教室でおしっこするんだよ」と前から言っていた。もしかしてと思い、「何色だった?」と聞くと、「白だった」と言った。「黄色じゃない?」「透明じゃない?」と聞いたが、「白」と言った。「Tシャツや髪の毛にもつけられて洗った。臭くて、気持ち悪かった」と話した。 (中略) A:冷静に聞かなきゃと思っていたが、娘の前で泣いてしまった。 2学期、繰り返し話した。一つの被害のことを繰り返すこともあれば、いくつもの被害をたたみかけるように言ってくることもあった。 Q:おばあちゃんは、A子さんがホラー映画を好んで観ると言っていたが? A:特にホラー映画ということではないので。アンパンマンやディズニーも好き。ホラーと言っても「トイレの花子さん」ぐらい。 Q:今も被害は深く残っているか? A:小学校低学年の頃、なかなか学校になじめなかった。いじめもあった。高学年になってようやく学校に行く楽しさ、意味がわかるようになって、前向きになっていたのに、メチャメチャにされた。 5年たった今も、夜寝付けない、怖い夢を見る、夜中うなされる。男の先生への恐怖心があり、ちょっと注意されるだけで、体がガタガタ震える。今だに辛い様子がわかる。被害を受けた子どもたちが、一日も早く、心に受けた傷を回復することを祈っている。 ******* K被告の代理人弁護士から反対尋問。 Q:現在は普通学級に通っているのか? A:普通学級に通っている。 Q:「学校なんて火でもえちゃえばいい」とM学級前にも言っていたことがあるか? A:何回かあった。 Q:Kにたたかれたと知ったのは? A:妹がA子がKにたたかれている様子を目撃して、A子に聞いてから。 Q:あなたが作成したメモがあるが、6月27日金曜日のところに、妹の話を記述していないのはなぜか? A:妹がいいにくそうだったので、A子の言葉を書いたほうがよいと思った。 Q:A子さんの頭をたたいたのは、Kのみか? A:他は聞いたことがない。 Q:S先生が何もしていない時に頭をたたいたと聞いたことは? A:ない。 Q:A子さんはKから「言うな」と脅されていたのに、頭をたたかれたことを言ったのか? A:妹に「言ったほうがいいよ」と言われて、言った。「言ったら、家族を殺される」「やったことを言ったらだめと言われた」と話した。 Q:6月30日の午前中に授業参観があったが、なぜ、このことに触れなかったのか? A:一対一の個別授業が多かったので、復讐されたらいけないと思い、言えなかった。 Q:またいじめられると思わなかったのか? A:その時は、他の被害は知らなかったので、なるべく婉曲な表現で、被害をけん制するような形で言った。 Q:7月4日、「おっぱいを3回ギューされた」というのは、A子さんは明確に言ったのか? A:言った。「先生におっばいギューされて、とても痛かった」と話した。 Q:A子さんが言ったことそのままか? A:まとめて書いた。 Q:3回と書いていないのはなぜ? A:どんな被害かわかればいいかなと思った。 Q:Bさんと、Cさんの母親が、K先生のことをいろいろ言っていた? A:その場にいなかった。 Q:B母に尋ねなかったのか? A:自分が言われた被害で頭がいっぱいだった。 Q:BさんもA子さんと同じように被害にあっていると言わなかったか? A:言わなかった。 Q:7月8日、9日の宿泊学習について、心配ではなかったのか? A:一生懸命に参加しようとしている娘に対して、その場で強く言えなかった。 Q:以前、いじめにあったとき、学校から対策が出されない限り登校させないと言うことは? A:話したことはあった。 Q:平成15年の虐待のあと、学校に行きたくないということは? A:そのときは言わなかった。 Q:記録に「今はいじめがなくなっても、A子にちゃんと話したが、恐怖心が残っていて学校に行きたがらなかった」と書いているが、このときは言わなかったのか? A:言わなかった。 Q:「先生におっぱいギューされた」「頭をたたかれた」「足たたかれた」と何回も言った理由はどのように考えるか? A:辛くて、辛くて、次から次へと気持ちがあふれたのだと思う。 Q:母親にかまってもらうためのパターン化した会話ではなかったか? A:ありえない。 Q:このとき、担任を替えてほしいとは要求していない。A子さんの担当だけ替えてほしいということか? A:学校のシステムがわからないので。 Q:他の子を担当するなら、KがM学級で教えてもいいと思ったのか? A:他の子どもも被害にあっているかもと思っていたので、そういうことは考えなかった。 Q:S先生に指摘されてパニックになったのはどうしてか?7月4日のことが実際には存在しないからでは? A:それはない。 Q:7月15日のところで、A子さんが教室のなかの3箇所を指差したとあるが、被害にあった場所について、どことどこを指したのか? A:最初にカーテンスペース。トイレのある場所。 Q:あの時に、2人きりになる時間はなかったのでは?「A子は焦りだして、髪の毛をむしり出して、ピアノのところを指した」とあるが、もう1箇所は? A:私は2箇所だと思っている。「3回ギューされた」と話したので、S先生が勘違いしたのでは。理由もないのに被害を受けているA子の辛そうな様子から、それ以上、聞くことをしなかった。 Q:ひとつの被害について、何度も聞くことはしたか?「詳しく教えて」と聞いたか? A:A子の知的レベルではむずかしい。どこでとか、簡単なことを聞くしかなかった。 Q:A子さんの被害が心配だったのに、祖母のところに行かせた理由は? A:母は教師をしていただけあって、私よりずっと子どもと接するのが上手。私は母に対して全幅の信頼をしている。秋田に行って、辛いことを忘れられたらいいのにと思っていた。 ******** 男性裁判官から質問 Q:A子さんが「K」と呼び捨てにするのはいつ頃から? A:6月末に被害を訴えたあと。最初の頃は「先生」と言っていた。 女性裁判官から質問 Q:他の先生も呼び捨てなのか? A:他には後にも、先にもない。 Q:A子さんはマンガは読むか? A:あまり読まない。 Q:姉の持っているマンガを読むということは? A:見たことがない。テレビやビデオが主。難しい内容はわからない。 Q:平成15年の夏休み、2人を自分の母親に預けた気持ちは? A:A子が心配だった。母は今までも私が困っているとき、話を聞いて全部受け止めてくれるような母だったので、信頼していた。 Q:A子さんが繰り返し被害を話た内容で一番、多かったのは? A:「おっばいギューされた」とか。「先生がチャックをおろす」とか、毎日のように繰り返し話していたが、「トイレに流されたら死んじゃうの」が一番多かった |
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10分から15分の休憩をはさんで、4時15分から、当時、M学級の補助教員W(男性)の証人尋問 (あとから聞いた話では、刑事事件のときにも、証人として法廷に立った教員とのこと) 被告K代理人弁護士から主尋問 Q:6月7日のプールの授業後のこと。A子さんがKに2回、頭を殴打されるのを見たか? A:見ていない。 Q:他のプールの機会に、殴られているのを見たことは? A:ない。 Q:プールの授業のときにA子さんが怒られているのを目撃したことは? A:ない。 Q:プールの着替えはどのように? A:職員と生徒が一緒に、男女別々に着替える。 Q:プールの授業のあと、プールに足を入れて、話すことがあるか? A:ない。授業後すぐに着替えて、次の授業がある。そんなことをしたら、集中力がないので、次の授業に差し支える。 Q:着替えたあと、誰かがいなかったらすぐわかるか?プールの授業後に誰かがいなかったことは? A:ない。 Q:(現場の見取り図を指し示しながら)更衣室2つ、シャワー室2つあるが、男性、女性が行き来できるか? A:できない。 Q:K教師だけが一人で別行動することはあるか? A:担当の子の着替えを手伝わなければならないので、別行動することはない。 Q:Kは着替えは誰を担当していたか? A:○○くん、○○くん。 Q:Wさんは、K教師に意見を言えたか? A:フランクに言えた。 Q:KがA子さんを殴ったり、髪の毛を抜いたのを見たか? A:見ていない。A子さんが自分の髪の毛を噛んだり、ひっぱったりしたのは見た。「そんなことをしたらダメ」と注意した。 Q:M学級でスタンガンを見たことがあるか? A:ない。 Q:プール内のボールをKが何度も顔面や体にぶつけたのは見たか? A:見ていない。ふざけてやっても、子どもが真似をするのでそういうことはしない。 Q:Kが、ガムテープで口をおおい、足を固定してボールをぶつけたのを見たことは? A:ない。 Q:ガムテープは置いてあるか? A:床が盛り上がって危ないので、補修用においてあった。 Q:A子さんの手がめがねに当たった際、Kがたたいたことは? A:見ていない。 Q:教材庫に閉じ込めたのを見たことは? A:ない。 Q:生徒は教材庫のカギやスイッチの場所は知っていた? A:教材を取りに行ってもらったので、知っている。 Q:A子さんが「トイレに流されると死んじゃうの?」と言うのを聞いたことがあるか? A:聞いたことがある。A子さんが「赤ちゃんがトイレに流されちゃった」と言った。そこで「本当は流されないんだけれどね」と話した。テレビで見て、怖い映画か何かで見たと言った。 Q:Kが性器を生徒たちに見せたのを見たことはあるか? A:ない。○○くんがトイレで失敗して下半身裸で戻ってきたことがあった。 Q:A子さんはトイレは誰と行くのか? A:一人で行く。一人で行けない子は、男児は男の先生、女児は女の先生が一緒に行く。最初の話し合いのとき、K先生が提案して、みんなで合意して決めた。 ※ここまで、ほとんどの質問が「K先生が○○したのを見たことがあるか?」「ない」の繰り返しで、一部のみ掲載する。 ******** 原告代理人の反対尋問 Q:当時のW先生の担当は? A:○○くん。 Q:Kの担当は? A:C子さん、A子さん、B子さん。 Q:ほかは?3人だけだったのか? A:当時、3年生をS先生が担当していた。ほかはよく覚えていない。 Q:担当は、いつ、どのように決めたのか? A:4月初め、手のかかる子はマンツーマンでということになり、あとはK先生がフォローすることになった。 Q:Kが3人の担当になった理由は? A:すでに決まっていた。担任と、請けもち部分と。 Q:○○くんがあなたの担当になったのはなぜか? A:車イスなので、保護者からW先生でと、学校が始まってすぐに。 Q:Kの担当が決まったのも学校が始まってすぐか? A:はい。 Q:個別指導は? A:平成15年5月から、低学年と高学年で分けた。場所はM教室、図工室と隣の空き教室4年4組。 Q:2階の生活科を使用していたことは知っていたか? A:知らない。 Q:1人だけ個別指導することは? A:あった。算数と国語の個別指導を空き教室で行った。高学年は、低学年と一緒だと集中できなかったので。 Q:A子さんとKが二人きりのときもあったか? A:交流授業のとき、あったと思う。 Q:KがトイレにA子さんと一緒に入ったことは? A:ない。 Q:親が迎えに来たあとは? A:○○を玄関まで送って、そのあと、教室に戻る。高学年の授業に戻って仕事をしていた。S先生の手伝い。 Q:Kが性的な発言をするのを聞いたことは? A:ない。 Q:「胸が大きくなった」と話しているのを聞いたことは? A:生徒下校のあと、職員室で話し合いのなかで、K先生がした。 Q:具体的には? A:話し合いのなかで、「最近、○○さんの胸が大きくなってきた」と言った。 Q:「○○は出ているところが出ていて、引っ込んでいるところは引っ込んでいる」と言った発言と同じか? A:同じだと思う。 Q:それを聞いて、どう思った。 A:とくに何も思わなかった。 Q:まずい発言とは思わなかったか? A:別に、そういう感じではなくて、単発で終わってしまったので。 Q:Kと子どもたちとは、どのようなスキンシップがあったか? A:持ち物を忘れたり、少し遅れた子やどかせるために、わき腹や前をくすぐったりした。 Q:それがスキンシップか?どこをくすぐったのか?何回くらいあったのか? A:うでをくすぐった。4、5回あった。 Q:誰を? A:A子さん、○○、○○、○○、○○、○○。 Q:4、5回というのは、全員あわせて1回ずつくらい? A:だと思う。 Q:「胸が大きくなった」発言やくすぐりについて、市教委の調査で話したか? A:「胸が大きくなった」と発言したかと聞かれて、「ありました」と話した。くすぐりについては、特には聞かれていない。 Q:市教委の調査について、「A子さんがKサイアク」と言っていたと述べていたと話しているが、A子さんはどういう状況で、いつ言ったのか? A:学校で、休み時間に、ふざけて本人が言っていた。 Q:いつ頃? A:何回かあった。 Q:2学期以降も言っていたのか? A:1学期はなかった。 Q:どういう状況で? A:ふつうの会話をしているなかで。 Q:「赤ちゃんがトイレに流されるのをテレビで見た」とA子さんが言っていたということは、市教委に話したのか? A:話したと思う。 Q:県教委から調査を受けたことは? A:あると思う。 Q:いつ頃か? A:2004年3月くらい。 Q:何を聞かれたのか? A:市教委に聞かれたのと同じこと。 Q:24項目のことか? A:はい。 Q:場所は? A:市の教育委員会で。 Q:どのくらいの時間? A:15分くらい。 Q:教材庫のかぎはA子さんが自分から開けたり、閉めたりしたのか? A:自分から。こちらから入れないように閉めたりした。 原告代理人の児玉弁護士から質問 Q:障がい児教育は何年? A:学校で2年。 Q:子どもの虐待、性虐待については知っているか? A:知っている。 Q:Kが女児のトイレに入っているのを見たことは? A:見ていない。 Q:障がいのある子をくすぐるのは、どういうときか?どうやって? A:出席のとき。表情がよくないときと反応を見たり、関わりをもつときに。 Q:生徒は喜んでいた? A:はい。 Q:「Kサイアク」と言ったのは2学期だというが、前とは何か違っていたか? A:変わっていない。 Q:この言葉をどういう意味でとらえたか? A:本人はふざけて言っていたので、本当の「最悪」の意味では言っていなかったので。 ***** K代理人弁護士から補足質問 Q:個別指導で、K先生とT先生が一緒になって別教教室に移動していたが、単独になることはあったか? A:だいたい一緒だった。 Q:くすぐるとき、K先生が積極的だったのか、子どもからせがむことはなかったか? A:一方的にはなかった。やってほしそうな態度は表した。 Q:A子さんは? A:かまってほしいような様子だった。 Q:「サイアク」というのは、嫌っている様子だったのか? A:誰かの真似をしている感じだった。 Q:子どもの冗談? A:そうです。 **** 男性裁判官から質問 Q:担任と担当の違いは? A:担任は名簿上で、成績をつける。担当は日常生活をみる。 Q:11名の生徒の担任はすでに決まっていたということだが、担当はどのように決まったのか? A:わからない。 Q:「豆腐」についての発言は? A:B子さんが「豆腐を食べられない」と言っていた。2学期も他の子はみんな食べていた。 Q:個別指導で、4年4組の教室で、KとB子さん、A子さん、C子さんだけのときはあったか? A:・・・・(長い沈黙)。はっきりとわらない。 Q:「Kサイアク」は2学期以降ということだが、この頃にはKは担当を外れていた?M学級で接触を持つことは? A:接触をもつことはなかった。 Q:2学期にKがどこにいたか、児童はわかっていたのか? A:知らない。 女性裁判官から質問 Q:Kが担当、担任を外れた理由を聞いたか? A:詳しくは聞いていない。 Q:どのような理由と想像したか? A:何人かの保護者とトラブルがあったのかと思った。 Q:「サイアク」というのは、具体的にどのような文脈で言ったのか?それに対して、どのように対応したのか? A:最初、B子さんが言った。それを真似して言っていた。突然、ぽんと言って、相手の反応を見ている。 Q:あなたは、どのように反応したのか? A:・・・・(無言)。 Q:B子さん、A子さん、C子さんの3人は何て言ったか? A:何も言わなかった。とくには。 Q:2人が、それ以外の先生について、このように言うことは? A:他はない。Kのみ。 Q:4年4組の個別指導はKとT先生だったというが、いつも一緒に受けていたのか? A:T先生の受けもちの児童と学年が違うので、教室の前と後ろで分かれて授業をしていた。 Q:交流授業その他で、T先生がよそに出ていることは? A:個別指導は覚えていない。 Q:「Kだけになったことはなかった」とは言っていない? A:はい。 ***** 被告代理人から補足質問 Q:B子さんはいつまで学校にいたか?6月末までではなかったか?1学期のことでは? A:そうです。 |
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TAKEDA私見ほか。 裁判は朝から夕方まで一日がかりで4人の証人尋問だった。しかも、午後からはマイクが作動しているのかわからないような状態だったので、内容は聞き漏らしや聞き違いもあると思う。必死でとったメモも、あとから読み返すと、意味不明の箇所もいくつかあったので、だいたいの流れを感じ取ってもらえればと思う。(後日、他の方から指摘があれば、内容を訂正する可能性あり) それから、こういうわいせつ事件に関しては、サイトにどこまでを載せるべきか毎回、非常に悩む。性的関心や興味本位で、わいせつ事件ばかりをツアーを組んでめぐっているひとたちと出くわしたこともあるし、2チャンネルなどで面白おかしく取り上げられる可能性についても考える。 一方で、とくにこの裁判では、刑事事件で、2人の障がいのある女児の証言の信憑性が認められず、日時の特定がなされなかったことを理由に被告のK元教師は無罪となり、民事裁判でも冒頭から冤罪を訴え、毎回の裁判にも堂々と法廷内に座っている。冤罪事件支援の著名なひとも向こうについているとも聞いている。これが、原告側の捏造ではないことを多くのひとにわかってもらうためには、真実こそが何よりの説得力になると思うので、いたずらに好奇心をあおりそうな箇所を除いて、かなりの部分を書かせてもらった。 そして、これを読んだ多くのひとたちには、もし自分の身近な大切な人間が性的被害にあったら、ということを真剣に考えてもらいたいと思う。 どうやって周囲は気づいたらよいのか、被害者はどのような状態になるのか、傷ついた心にどのように対応したらよいのか、二度とこのようなことを起こさないためには何をするべきなのか、学校として教師として、してはならない事後対応とは何か、学ぶべきことは多い。 私は、メキシコのNGO施設で、性的虐待にあった幼い少女、そして少年たちの話を直接聞いたことがある。日本でも、いじめのなかでの性的虐待、施設内での性的虐待の被害者やその家族から話を聞いたことがある。性的虐待についてのセミナーに参加したり、本も読んだ。 今まで出会った被害者たちはみな、被害について語るとき、とても口が重かった。涙を流す子もいた。このまま、聞き続けて本当にいいのだろうかと、何度もためらいを感じた。 被害は口にしたくないもの。言葉にすれば、さらに傷つくもの。言葉にできるようになるのは、時間がたって、ある程度、客観的にものごとを見られるようになってからの回復の過程という思い込みが、いつの間にか、私のなかに形成されいたように思う。 ところが今回、法廷で聞いた話は、その知識や経験をくつがえすものだった。 祖母の話はとても具体的で、秋田でのA子さんの様子が、目の前に浮かぶようだった。 一旦、口に出した怒りはとどまることを知らない。一日中、被害を口にする、恐怖と怒りを吐き出す。 それは、家族という安心した関係のなかでのみ、見せることのできる被害者の真の姿かもしれない。あるいは、A子さんのもつ知的障がいが、心の鍵を外すことをより容易にしたのかもしれない。処理しきれない感情を言葉にして吐き出すことは、自分の心を守るために必要な作業だったのではないだろうか。そのことを本能が知っていた。 それは信頼できる祖母の元でこそ、可能だったのだろう。 A子さんの母親の選択は正解だった。親はどうしても冷静でいられない。子どもに対して感情を見せてしまう。時には泣いてしまったり、問いただしてしまったり。やりきれない思いから、つい目の前の子どもを責めてしまったり。 そして子どもは、親が悲しむ姿、苦しむ姿にとても敏感で、口を閉ざしてしまう。心を閉ざしてしまう。 じっと見守ることのできた祖母は、誰よりもすぐれたカウンセラーの役割を果たしたのではないだろうか。早い時期に、秋田の祖母のところに行けたことは、心理的な癒しの面ではとても大きな効果があったのではないだろうか。 かつて教員をしていたというNさん。きっと長年、誇りをもって教育の仕事に取り組んで来られたに違いない。真摯に子どもたちに向き合ってきた経験が、はからずも自分の孫に生きた。 一方で、同じ教員から、自分のかわいい孫が一生残る深い心の傷を負わされた。それを他の教師も、教育委員会も、守ろうとはしなかった。みんなでないことにしようとした。どれほど、情けなく、裏切られた思いだろう。 性的虐待の加害者にはいくつかのパターンがあるという。 幼い子どもが性的虐待の意味が理解できないのをよいことに、やさしい態度や言葉がけをしながら、自分の性的欲望を満たすやり方。被害を受けた子どものなかには、自分だけ特別扱いされている、愛されていると思って、嫌がらない子どももいるという。 そして、その行為のもつ意味を理解するようになって初めて、愛情だと思っていたものが、単なる欲望だと知って、その餌食にされたことに衝撃を受けることがあるときいた。 少し大きくなると、「脅し」を使うという。「ママに言うと、ママが悲しむぞ」「一緒に暮らせなくなるぞ」「ママに嫌われるぞ」「このことが知られたら、みんなに嫌われる」。「言ったら、殺す」などなど。羞恥心と恐怖心で縛って、思い通りにする。 やさしさと暴力を交互に繰り返し、相手が自ら自分に従うようにコントロールする場合もある。 学校の部活動内のセクシャルハラスメントでは、体罰を含む厳しい指導とセットになっていることが多い。教師の指導を絶対のものとし、「いや」と言わせない。体に恐怖を覚えこませ、逃げられなくする。あるいは、特別な指導やレギュラーの座を駆け引きにつかう。 今回、K氏は、完全に暴力で支配しようとした。殴るなどの有形の暴力と、「殺す」という言葉と態度での脅しで、強い恐怖心を植えつけて、いうことをきかせようとした。 知的障がい、養護学級という事件の背景から、もっと、だましだまし性的虐待を加えることもできただろうと思う。しかし、それさえしなかった。それは、K元教師の子ども全体に対する考え方の反映ではないかと思う。 子どもを自分の欲望を満たす道具としかみていない。家畜かなにかと思っている。心があるとは思っていない。 恐怖で支配された子どもたちの心の傷は深い。 子どもたちは、なぜ、被害を口にできないか。親を悲しませたくないという思いやり。うまく説明できないし、言っても信じてもらえないだろうというあきらめ。 そして、がまんすることを日ごろ、強要される障がい児教育のあり方もまた、影響を与えているのではないだろうか。 障がい児・者は、経済最優先の国の方針のなかで、価値のないもの、迷惑なものと位置づけられてきた。障がい児を生み育てた親も、本人も、肩身の狭い思いをさせられてきた。 日本の障がい児教育は、個性を大切にし、その子どもが持っている能力を引き出すことよりもむしろ、健常者のじゃまをしないようロボットのように周囲の言うことに従う、集団からはみ出さない、他人の手を煩わせないことに重点を置いてきた。 結果、障がい児・者は、自分の存在に自信が持てず、常にコンプレックスを抱き、自分の気持ちを素直に出してはいけない、不満を言ってはいけない、何事もがまんしなければいけない。叱られたり、不当な扱いを受けるのは自分に問題があるからと思い込まされてきた。 障がい者に対する、国全体の人権軽視が、事態をより深刻なものにしたのではないか。 証言された被害の内容は、子どもが到底、考え付くような内容ではない。知的障がいがなくとも、このような内容を子どもに言えと教え込むことなどできるはずもない。 まして、親は自分の子どもがこのような被害にさらされたなど、認めたくもないだろう。大人の想像さえ絶する虐待行為。口にすることさえおぞましい。 それを、子を愛する母親が、孫を心配する祖母が、好奇の目で見られることを覚悟しながら、人前で話さなければならなかった。どれほど心引き裂かれる思いだったろう。 それでも、「無罪」を訴え、「冤罪」を声高に叫ぶK元教師には何も届かないのだろう。そして、被告の県は、市教委は、弁護士たちは、やはり何も感じないのだろうか。(今回、わいせつ行為や虐待の具体的な内容は、原告弁護士からではなく、むしろ被告側の弁護士から、質問の形で具体的に提示された。それがなければ、一般傍聴人には知りえなかったことのほうがむしろ多い) 被害者側が、これだけの思いをしても、信じてもらえなかった、事実と認めてもらえなかった刑事裁判で、Aさん一家はどれだけ傷を深くしただろう。そして、世の性的被害を受けた女性たち、男性たちが、子どもをもつ親たちが、障がい児をもつ親たちが、裁判の結果にどれほどの絶望感を抱いたことだろう。 一方で、他人の人権を平気で踏みにじる、性的虐待をする大人たちが、どれほどほくそ笑んだだろう。 今回のこの事件の問題は、K元教師個人の問題にとどまらない。 前の学校ですでに保護者とのトラブルがいくつもありながら、その事実を隠して、浦安市の小学校のしかも養護学級に配置したこと。養護学級であれば、多少のトラブルが発生しても、対象人数が少ない、児童生徒に理解力がない、発言力がないために発覚しにくい。また、親が知ったとしても、手のかかるわが子を預けている引け目から、文句がいいにくい。そんな馬鹿にした考えで、あえて養護学級に配置したのではないか。 もし、知的障がいのある少女たちであれば自由になると被告人が考えたとしても、その意図を見抜く責任が教育委員会にはあったと思う。 そして、事件後の市教委、県教委のおそまつな対応。大人の都合ばかりが優先されて、肝心の子どもたちが置き去りにされた。形式だけの調査。自分たちの管理責任を問われたくないがために、教育委員会も、同僚教師たちも、「何もなかった」ことにしようとする。その結果が、すべて子どもの安全を脅かす事態につながるのだということを自覚さえせずに。 唯一、世の中の不正義を正してくれるかと思われた刑事裁判も、障がい児の特性、性被害の特性に配慮することなく、無罪のお墨付きを与えてしまった。 千葉県在住の小さな子どもを持つ親たちは、Aさん一家に感謝すべきかもしれない。 刑事裁判で、日時があいまいということで無罪になったことを理由に、教育委員会は、Kを現場復帰させることも考えていた。「少なくとも教諭から被害を受けたという女児供述には一貫性があることなどから、疑問を差し挟む余地がないようにも思われる」という判決文の内容を知りながら、それを無視した形で。 もし、Aさん一家が、民事訴訟を起こさなければ、Kは依願退職することはなかっただろう。前科もなく、前の学校での情報もないまま、新しい学校に赴任していたかもしれない。それは、養護学級だったかもしれないし、小学校の低学年だったかもしれない。部活動の顧問を引き受けていたかもしれない。 そして、全国の子どもをもつ親たちは気をつけてほしい。教員免許を剥奪されたわけでもなく、前科がついたわけでもなく、名前も写真も公開されていないK氏が、ある日、突然、あなたの町にやってきて、大好きな幼い子どもたちに接する仕事につくかもしれない。場合によっては、養護学級ての経験のある元ベテラン教師として。 さらに、このような教師はもちろん彼ひとりではない。いじめに対する対応か日本全国どこでも一律であるように、わいせつ教師、体罰教師をかばう学校・教師、教育委員会の体質もまた、どこに行ってもハンで押したように同じであろうということを危機感をもって受け止めてほしい。 女児たちの身に起きたことが、次はあなたの身近な大切なひとにも起きてしまうかもしれない。 |
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2008/4/6 | 第4回ハートフルコンサート 〜ジェントルハート(やさしい心)コンサート | ||||||||||||||||||||||||||
2008年4月5日(土)、川崎ミューザシンフォニーホールで、第4回ハートフルコンサートが開催された。 このコンサートは、「いじめ」問題に取り組むNPO法人ジェントルハートプロジェクトが、「やさしい心でつながりあうことの大切さを音楽を通して多くの人に感じてほしい」という願いを込めて企画。 出演は、元ジャングルスマイルの高木いくのさん、作曲家でエレクトーンプレイヤーの中村幸代さん、かえつ有明中・高等学校マーチングバンドESTEAM。後援は川崎市、川崎市教育委員会、音楽のまち・かわさき推進協議会・川崎大師ロータリークラブ。 最初に「天国のこどもたち」のメッセージと豊田純子さんによる詩の朗読。 そして、高木いくのさんが、恐竜のヘリコプター、希望、同じ星、抱きしめたいと、新曲の「生きる」を披露してくれた。 今までシークレット扱いされていた高木いくのさんの出演を今回は事前に告知することができたことが、けっこう集客につながった。ただ、私たちが心配していたのは、チケット売り出しから早々に、会場中心部分の座席を確保したいくのさんのファンが、いくのさんの出番が終わった途端にゾロゾロと帰ってしまったらどうしようということだった。 しかし、事前にいくのさんのマネージャーさんから、「いくのファンは大丈夫です。そういうことはしません。もし、する人がいればファン同士で注意するくらいですから」と言われて安心した。実際にいくのさんの出番が終わっても席をたつ人は一人もいなかった。みな最後まで聴いてくれた。そして、感想を読むと(私はまだ一部しか内容を把握していないが)、いくのさんの歌を聴きたくてコンサートに来たが、いじめをなくしたいという主催者の思いを理解し、賛同してくれたひとたちがたくさんいた。 いくのさんはコンサート後に、「今日は泣かないって決めていたのに、最前列のひとたちがいっぱい泣いていて、自分も危なかった」と話していた。 会場でも、そして、コンサートの前と後。いつも変わらず飾ることのないいくのさん。ファンとのつながりもとても大切にして、コンサート後にロビーで、熱心なファンたちと喜びの再会をはたしていた。 会場では、「窓の外には」のCDと理事の書籍等を販売していたが、多くのひとたちがいくのさんのCDがないか目で探しているのが感じられた。またCDが出せるといいのにと、期待する。 そして、中村幸代さん。今年は映画「ポストマン」の音楽を担当し、会場でも披露してくれた。 幸代さんは毎年、多彩なミュージシャンを引き連れてコンサートに参加してくれている。じつは高木いくのさんを私たちに引き合わせてくれたのも彼女だった。 心地よいメロディー。そして、とてもバラエティにとんだ創作活動。音楽のことはまったくといってよいほどわからない私だが、とてもすばらしいものだということだけはわかる。そして、いつも思うこと。子どももいるのに、この人はなんでこんなに美しいんだろう!とくに、笑顔がとっても素敵。ピアノをひく姿もとても絵になる。 幸代さんと同じく、今回で4回目の出場となるかえつ有明中・高等学校マーチングバンドESTEAM。先輩から後輩へと受け継がれる「窓の外には」。亡くなった小森香澄さん(高1・15が9歳のときに父親のワープロに残していた詩を書き足して、メロディーをつけた。それを手話つきでいつも演奏してくれる。 マーチングバンドは動きが大きくて、小さい子どもたちにも大人気。歌やビアノ曲にはあまり関心を示さなかった子どもたちでも、身を乗り出して見入ってしまう。 せっかく春休みに開催したにもかかわらず、例年より子ども連れが少なかった気がするのが、今回、とても残念だった。 ジェントルハートプロジェクトでは、できるだけ子どもたちに本物の音楽を届けたいと思っている。そのために、来れば来るほど赤字になるとわかっていて、学生500円という金額にしている。 この金額がネックになって、チケットぴあなど外部にも頼めないでいる。学校にもチラシをたくさん配らせてもらっているのだが、子どもたちの手にわたっているのかいないのか、親に関心がないのか、いまひとつ振るわない。 もっと多くの親子に来てもらい、心の大切さ、命の大切さを感じてもらいたいと思っている。 そして今回、大人から子どもたちへのメッセージとして、法人の理事として参加することにもなった大貫陵平くん(中2)のお父さん大貫隆志さんが、舞台で詩を朗読した。小森美登里さんの「ありがとう」の詩とともに、今後もジェントルハートプロジェクトからのメッセージとして、多くの子どもたちに伝えたい。 最後は、例年通り、参加者全員と観客とが一緒になった「翼をください」の合唱で締めくくられた。 私はスタッフとして会場を出たり入ったりのなかでの報告なので、不十分なところが多々あると思うが、雰囲気はわかってもらえただろうか。 来年、2009年3月21日(土)のミューザシンフォニーホールの会場はすでに押さえてある。「ハートフルコンサート」という名称があまりに多いこともあって、来年は「第5回ジェントルハート(やさしい心)コンサート」に変更になる。 地方でも、このジェントルハートコンサートを開催したいという動きもあり、教育委員会からの視察の方たちもいらしていた。 音楽にのせてやさしい心を広げていけたらと思う。 (2007年のコンサートの様子はme070422にて) |
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2008/4/4 | 岡山のホーム突き落とし事件といじめの心の傷 | ||||||||||||||||||||||||||
2008年3月25日(火)、岡山県岡山市のJR岡山駅の山陽線ホームで、電車を待っていた県職員・仮谷国明さん(38)が今春高校を卒業したばかりの少年(18)に突き落とされ、電車にはねられて死亡した。 現行犯逮捕された少年は、「人を殺せば刑務所に行ける。だれでもよかった」と供述し、ナイフも持っていた。また、経済的理由による進学断念を理由のひとつとして家を出たといい、「大阪を離れたかった。行く先も確認せず電車に乗った」と話しているという。 この事件では、加害者の父親(56)が記者会見を開いて遺族に謝罪したり、マスメディアの取材にも応じている。 少年は小さいときから気が弱かった。阪神大震災で自宅が壊れ、兵庫県尼崎から大阪府大東市に転居したあと、小学校では同級生にゲームをとられたり、暴行されて青あざができたこともあった。中学校ではさらにいじめはエスカレート。同級生らは体格のよい少年を「格上狩り」と称してからかったり、机やイスを投げた。修学旅行では海に沈められたりしたという。 中学校卒業時に1回だけ、「いつか仕返ししたるねん」と口走り、父親が諭したという。 高校は、いじめ加害者らにあわないよう、1時間半かけて遠くの学校に通った。 高校時代は比較的、穏やかにすごしたようだ。少年は大学進学を希望していたが、経済的な理由で断念し、働いて金をためてから進学するつもりだったという。 父親はいじめが原因で自分の子どもが自殺するのではないかと恐れていた。親子仲はよかったようだ。 逮捕された少年は、父親のことを「友人よりも好き」と話しているという。 少年は3月23日(日)、茨城県土浦市のJR常磐線・荒川沖駅で起きた8人殺傷事件もニュースで見ており、父親は「こんなことしたらあかんよ」と言い、少年も「うん」と答えたという。 世間一般のひとは父親の記者会見をどう見ただろう。自分の息子が起こした重大事件の責任を過去のいじめに転嫁していると思うのだろうか。しかし、いじめの心の傷の深さを知っていれば、やはり因果関係はあると思う。 小学校、中学校といじめられ続け、同級生らかも、教師からも助けてもらえなかった。見捨てられ感。怒り。 親子仲はよかった。そして常識的な親。父親の前では、自分の怒りの感情を押し殺してしまっていたかもしれない。 学校でいじめを受けた子どもたちのなかには、家庭内暴力に走る子どもたちも少なからずいる。安心して怒りを出せる場所だからこそ、荒れる。あるいは、自分の気持ちをせめて家族はわかってよというサイン。 しかし、少年は家族に気持ちをぶつけることができなかった。 学校の成績は悪くはなかったという。いじめられた挫折感を勉強で見返したいと思っていた部分もあるのかもしれない。しかし、努力が報われなかった。経済的な理由による進学のあきらめ。就職活動も思うようにいかない。挫折感。焦り。 親元を離れることにより、今までの自分とさよならして新しい自分をやり直したい、リセットしたいという思いもあったもしれない。しかし、どれもこれも現実には思うようにいかない。なぜ、自分だけという思い。 土浦市の事件をきっかけに、自覚もないまま、自分のなかの怒りに火がついてしまったのではないか。 少年による殺人事件等の重大事件15事例について専門家たちが分析した「重大少年事件の実証的研究」(平成13年5月 司法協会発行)には、単独で事件を起こした10事例の少年たちの共通してみられる特徴として、 @事件の直前に、深い挫折感を抱き、あるいは追い詰められた。 A非常に視野が狭くなっているため、ささいな問題であっても現実に照らして考えたり、相談したりすることもできず、最後には、このような危機状況を回避する手段として破壊的な方法しか思いつかない状態に陥って、重大事件に至っている。 B重大事件を犯す前に実際に自殺を試みたり、自殺を考えたり、周囲に自殺を相談したりした少年が10事例中7事例あった。 C「心的外傷」の経験を繰り返していると、人としての情緒が育たず、自分がどういう感情をもっているのかさえ自覚することができなくなる。このような場合に、ささいな刺激によって、押さえ込んだ感情が爆発的に再燃することがある。 などがあげられている。 集団リンチとその後の加害者らの恫喝でPTSDになった服部太郎くんの言葉を思い出す。 2000年5月に佐賀のバスジャック事件が起きたとき、太郎くんは強い恐怖を感じたという。実際にその頃から、ナイフを持ち歩くなどの行動をとるようになった。 暴力の被害者である太郎くんがその時感じた恐怖は、「自分もいつ再び被害にあうかもしれない」「殺されてしまうかもしれない」という恐怖感ではなく、「自分と同年代の男性をみて、自分もしてしまう」「加害者になってしまうかもしれない」という恐怖感だったという。太郎くんは自分から申し出て、その後、入院治療をしている。 PTSDの治療は10年スパンで考える必要があると専門家は言う。医学的権威のある文献には、「PTSD患者の約50%は慢性化し、イベントから1年以上たっても症状は軽快しない」と書かれているという。 また、アメリカの精神医学雑誌において、125人のPTSDおよびPTSDの部分診断を呈した症例を調査したところ、34から50ヶ月後も48%が治癒していなかったという。「とくに回避が強い子どもにその傾向がある」という。(me060608参照) 事件を起こした少年は自分自身でも、いじめによる深い心の傷を自覚していなかったかもしれないが、PTSD状態だったのではないか。被害を受けたことによって心のうちに溜め込まれた怒りの感情が、無差別殺人事件をきっかけに爆発してしまったのではないかと想像する。 怒りの感情は、傷を与えた相手に向けられればまだ回復はしやすいという。しかし、多くは、心の傷ゆえに、本当に対峙すべき相手とはきちんと向き合えない。頭では考えたとしても、きっと今でも、いじめの加害者と面と向かってしまえば体が震えたり、思うように自分自身をコントロールできないのではないか。だから、全く関係のない第三者に向けた。しかも、こちらに背中を向けて電車を待っている極めて無防備な人間に対して。 そしてもし、土浦の事件がなければ、少年は自殺をしていたかもしれない。東京日野市の中学校を卒業した少年が、家出の書置きを残しながら直後に自殺した事件とも、とても共通したものを私は感じる(990427 参照)。 太郎くんの場合、親にある程度経済的なゆとりがあり、高い治療費を捻出することができた。治療のなかで、太郎くん自身が気づいていなかった自分の心の傷の深さとその症状を自覚することもあったという。 カウンセリングがどれだけの効果があるかわからない。しかし、いじめの被害者がもっと安心してカウンセリングなどのケアを受けらればと思う。あるいは、家族以外にも、自分の気持ちをわかってくれる友達や教師がいたら、少しは他者を信じることができたり、他人の痛みを思いやることができたのではないか。 もし、いじめがなければ、そして、心的外傷後に適切なケアを受けられていれば、少年は殺人など起こしはしなかったのではないかと、とても残念に思う。この事件に限ったことではないが。 |
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2008/4/1 | 岡崎哲(さとし)くん・殴打死 茨城県警の捜査を問う国家賠償訴訟 控訴審 第2回口頭弁論(3/24) | ||||||||||||||||||||||||||
2008年3月24日(月)、午前11時から東京高裁808号法廷で、岡崎哲くん・殴打死の第二次訴訟【国・県に対する裁判】控訴審第2回口頭弁論が行われた。裁判長は大坪丘氏。裁判官は、宇田川基氏、新堀亮一氏。 この日、控訴人である岡崎さん側から、犯罪被害者学の第一人者である諸澤英道氏の意見陳述書が提出される予定だったが、多忙のため遅れているとのことで提出がされなかった。しかし、大坪丘裁判長は意見書に関心を示し、「必ず読みます」と言い、提出を待つと言う。さらに、岡崎さん側が主張している人証調べに対しては留保し検討するとした。 多くのひとは、一審の地裁で負けても高裁の審議があると思っているだろう。しかし現実には、よほど新しい証拠や主張が出てこない限り、高裁は書面だけをみて判断し、人証調べなど新たな証拠調べは行われないことも多い。 そんななかで、即日却下されずに検討してもらえるだけでもよいとしなければならない。 次回は6月11日(水)。東京高裁808号法廷で、10時00分から。 ************ 茨城県警の不当な捜査を訴えているこの裁判中、3月23日(日)、茨城県土浦市のJR常磐線・荒川沖駅で、殺人事件で指名手配中の金川真大(かながわ・まさひろ)容疑者(24)に8人が刺傷される事件が起きた。次々に明らかになる茨城県警の不手際。捜査のやり方に批判が集中している。 3/27の『定例会見で小風本部長は、「警戒中の警察官の目前で、指名手配中の容疑者に第2の犯行を許すという失態について「(8人死傷という)結果が出ているので反省している」と述べ捜査態勢の不手際を認め、検証するとした。だが、犠牲者に対しては「捜査中に8人の死傷者を出して遺憾」と述べるにとどまり、謝罪の言葉はなかった。』(3/27産経ニュース)とあった。結局は、岡崎さんの事件、猪野さんの桶川ストーカー事件、須藤さんのリンチ殺人事件と同様、世間に騒がれている間は多少なりとも頭を下げてはみせても、しばらくすれば開き直って、警察に責任はないというだろう。 岡崎さんの裁判の証言で明らかになった警察官の初動捜査のいい加減さ(me030313 me030607)。 そのことに疑問を持つこともなく、反省もない警察。それでよしとする裁判官の感覚。 日ごろ、ほとんど批判されることがない国家権力が、歪みを生み、怠慢を生み、犯罪をはびこらせているのだと思う。殺傷された8人の犠牲者はそのツケを背負わされた。そして、おそらくまた、警察の責任を問うて裁判をし、負けてさらに傷を深くする被害者遺族らと同じ悔しさを背負うことになるだろうと思う。 国家賠償裁判で被告側が負けるようにならなければ、この体質は今後も変わらないだろうと思う。 「捜査は公共の利益のためにやっているのであって、被害者のためではない」この結論(me071001 参照)対して、これ以上の被害者を生み出さないためにも、岡崎さんの控訴審では「被害者の権利」を問う。どれだけ「被害者支援」のための法律ができても、実際に使えなければ、絵に描いた餅になってしまう。 |
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2008/3/23 | 学校の事件や事故で亡くなった子どもたちの卒業式。森啓祐くん(中2・13)の卒業証書(4/6画像追加) | ||||||||||||||||||||||||||
2008年3月19日(水)から24日(月)の予定で、横浜新都市センター市民フロアで「ジェントルハートメッセージ」を開催。 22日(土)には、福岡県筑前町でいじめ自殺した森啓祐くん(中2・13)のお母さん・森美加さんが来場。小森美登里さんが手書きの卒業証書を手渡した。 生きていれば、この3月に卒業するはずだった啓祐くん。 多くの学校事故・事件で亡くなった子どもたち同様、卒業式に遺族は呼ばれない(me010327参照)。 事件・事故のあと、教育委員会は校長や教頭、関係する教職員を他校へと異動させる。直後の3月に移動がなくとも、たいてい同級生らの卒業と同時に異動させる。教師も生徒もいなくなると同時に学校から、完全に痕跡を消したいと願うのだろう。 しかし、本当に忘れてしまってよいのだろうか。それは、学校のため、子どもたちのためになるのだろうか。 むしろ、一生忘れないようにしっかりと心に刻み付け、二度と他人を傷つけない、心と体への暴力をふるわないという誓いこそが、卒業に際して必要なことではなかっただろうか。それこそが、ひとを傷つけ、自らも傷ついた子どもたちが、不幸な過去を教訓として生かし、未来を切り開く唯一の道だったのではないだろうか。 2005年3月26日、中学校校舎から飛び降り自殺した安達雄大くん(中2・14)のご両親が長崎県・長崎ビューホテル11階で、雄大くんの卒業式を行った。 タイトルは IT'S A MIRACLE TO MEET US TOGETHER <長い長い人生の中、君に出会えたことは奇跡だと思うんだ> 雄大と共に・・・。この一年を振り返って 〜ありがとう〜 そのときの同級生からのメッセージは今、ジェントルハートメッセージのひとつとして、各地の学校で、横浜の会場で、展示されている。そして福岡の会場でも展示されると思う。 同じ親の思い。一方で、教師の叱責が原因で亡くなった雄大くんの展示にはたくさんの同級生らが参加したが、クラスでいじめにあっていた啓祐くんのメッセージ展にはどれだけの子どもたちが来てくれるのだろう。 かつて、横浜でいじめ自殺した小森香澄さん(高1・15)の両親が学校の卒業式に呼ばれず、卒業証書ももらえなかったのを知って、福岡県の私立飯塚高校の古賀洵作(しゅんさく)くん(高2・16)のお母さんが、手書きの卒業証書を贈ってくれたという。それがとってもうれしかったから、今度は香澄さんのお母さんの美登里さんが、啓祐くんのお母さんに贈った。 まさしく、啓祐くんが小学校の卒業文集に書いていた「僕は優しくすることをいろんな人に教えてもらいました。優しくすることを僕が下の人たちにしてあげて、その下の人もその下の人にしてあげたら、みんな幸せになると思います」という言葉の実践がそこにある。 2008年4月3日(木)10時00分〜16時00分、福岡県の西鉄グランドホテル(天神)で、森啓祐くん(中2・13)のご両親主催のメッセージ展が開催される。小森美登里さんも駆けつける予定。 たった一日だが、一般の方の参加もOKということなので、ぜひ会場を訪れてほしい。 そして、大人も、子どもも、今一度、心について、命について、啓祐くんが私たちに残していってくれたものについて、亡くなった子どもたちが私たちに残していったメッセージの意味を考えてほしい。 私たちが、亡くなった子どもたちにできることは、それしかないのだから。 |
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2008/3/9 | 所沢高校井田将紀くん・自殺事件裁判が結審。 | ||||||||||||||||||||||||||
2008/2/27 さいたま地裁にて、所沢高校井田将紀くんの裁判(平成18年ワ1206号)が結審した。 裁判長は岩田眞氏、裁判官は瀬戸口壮夫氏、清水亜希氏。 この裁判は第1回目から傍聴していたにもかかわらず、私の講演などとバッティングしてしまい、肝心の証人尋問を1回も傍聴することができなかった。もっとも、504号法廷の部屋が狭く、多くのひとが傍聴支援に駆けつけながら、傍聴することができなかったという。また、記者席と書いた白いカバーがかけられたイスが空いていても、そこに一般の傍聴人が座ることも許されなかったという。 弁護団がせめて証人尋問のときだけでも大きな法廷にしてもらえないか打診したが、検討さえしてもらえず、却下されてしまった。結審においても、傍聴券の配布はなかったが、やはり何人もが部屋に入ることができなかった。(私はなんとか席につくことができた) 裁判官によっては、補助イスをわざわざ用意してくれたり、短時間であれば立っての傍聴を許してくれることもあるが、一切、受け入れてもらえず、これから裁判員制度がはじまろうとしているときに、流れに逆行している感じがする。 結審にあたって、将紀くんのお母さんと杉浦ひとみ弁護士、それぞれが陳述書を読み上げた。(陳述書 参照) そして、判決の日程。なんと、7月30日(水)1時30分から、新館の101号法廷にて。 一瞬、聞き間違えかと思った。弁護士が念のため確認。 通常、判決は2ヶ月前後で出ることが多い。こんな先になるのは私が傍聴したなかでは初めてだった。 裁判長から理由についての説明はなかったが、原告弁護団は、それだけ慎重に判断してもらえることだと思うと話した。 もちろん、もうすでに結論が裁判官たちのなかで決まっているのであれば、即決できるのだろうから、そういう意味ではちゃんと審議してくれるつもりはあるのだろうと思う。 しかし私は少しいやな気がした。以前に、どこかの地裁で、裁判官から「他に大きな裁判を抱えているので」という説明で判決がかなり先になった覚えがあるからだ。ほかに考えられるとしたら、3月で裁判官が替わることが影響。新館を建てていることから、法廷の都合。裁判員制度が始まるので忙しい。など。 いずれにしても、原告側はその間、へびの生殺し状態。落ち着かない。考えても仕方がないとわかりつつ、判決についてもいろいろ考えてしまうだろう。子どもを亡くした親にとって、わが子のために何かをしていられるうちはまだいい。何かできることをしてやりたいと願いつつ、何もできないのは辛いだろう。 せめて、理由の説明ひとつ欲しかったと思う。 原告、被告双方に対して和解の打診もなかった。もともと、厳しい判決が予想される裁判。 それでも、何かひとつでも原告の意を汲む判決が出ることを祈る。 あるひとから聞いた話では、裁判をするひとは被害にあったひとの2%に過ぎないという。そしてそのなかで、判決にまで行くひとはさらに2%とか。これが正確な数字なのかどうかはわからないが、ひとつの裁判のかげに、多くの同じような被害者がいる。 声をあげたくてもあげられないひとが圧倒的多数であるということ。 必死の思いであげた声に応える社会でなければ、ますます被害者は声をあげにくくなってしまう。 それは、裁判官だけではなく、私たち一般市民にも言えることだと思う。 |
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2008/2/19 | 草野恵さん(高1・15)の事件。いい加減な死因究明のなかで。 | ||||||||||||||||||||||||||
東京都杉並区の専修大学付属高校のバレーボール部の草野恵さん(高1・15)が合宿中の新潟県で突然倒れて亡くなったのは、2003年7月31日。 2003年12月に、私は初めて草野さんのご両親に知り合いの弁護士事務所でお会いした。 あれから4年超。事実解明に向けて、本当に地道に努力されてきた。当初は、会うたびに泣いてばかりいて、裁判の参考にと傍聴した小森さんの裁判(me040909)では、具合が悪くなって裁判所のロビーのソファーでぐったりされていた。 そのお母さんが今や、情報とつながりを求めて、積極的に裁判の傍聴や会合に顔を出されている。 こうやって母親はどんどん強くなっていくのだと思う。亡くなったわが子を今だ守ろうとして。 草野さんが専修大学付属高等学校をあいてどって民事裁判を起こしたのは、2006年7月25日。不法行為の時効3年、ぎりぎりだった。この時期にまでずれこんだ理由のひとつは、新潟県警が当時の顧問らを立件してくれることを期待していたからだと私は思っている。 現場にかけつけた警察官(検視官?)が、恵さんの状態を見て、解剖に回したほうがよいのではないかとご両親に勧めたという。もちろん、迷いはあったと思う。誰が好んで自分の子どもの、しかも15歳の女の子の遺体にメスを入れたいと思うだろう。 しかし、お母さんは決心したという。娘の死に原因を知るために。 それから4年もたった2007年12月5日、新潟県警は顧問の男性教師(39)と女性教師(38)の2人を業務上過失致死の疑いで書類送検した。なぜ、こんなに時間がかかってしまったのか、私にはわからない。 しかし、2007年6月26日に、大相撲時津風部屋の力士・斉藤俊(たかし)さん(17)が親方らの暴行で亡くなった事件が影響しているのではないかと、個人的には思っている。 斉藤俊さんを解剖した新潟大学の医師と、恵さんを解剖した医師とは同じだという。 日本における不審死の原因究明のいい加減さに警鐘を鳴らしている医師だと時津風部屋事件の報道で知った。 同時期の同様の相撲部屋力士の死因一覧を見て、私は学校の隠蔽体質と同じものを感じた。 急性心不全が多いが、死因が不明なときにつけられやすい。斉藤俊さんも当初は急性心不全と診断されていた。 そして、夏に多い死亡。私は、熱中症を疑っている。 力士は太っていること、室内競技であることなどから、通常以上に熱中症になりやすいと思われる。 そこに、体調が悪くても休めない、適度な休憩や水分補給がなされない、などが重なれば熱中症にもなる。 学校災害でも、1986年8月7日に熱中症で倒れ、翌日死亡した千葉県立船橋高校相撲部の滝口浩二くん(高1・16)の死因は急性心不全だった(S860807)。 民事裁判の一審、二審とも、顧問教師の応急措置と医療機関に搬送する注意義務違反の過失があったとして、学校側の過失を認め、県に約3600万円の支払い命令が出ている。 1988年8月6日、愛媛県新居浜市の市立新居浜中央高校で、バスケット部の練習後に死亡した阿部智美さん(高1・16)も、当初、急性心不全との診断を受け、裁判の過程でスポーツ・ドクター等の証言から、ようやく熱中症とわかった(S880805)。 学校での死亡に関しても、遺族が疑問をもつことは多い。きちんと死因が特定されていたら、その後の遺族の苦しみが少しは緩和されていたのではないかと思わずにいられない。
日本では、ひとの死がいい加減に扱われている。死は、そのひとの人生の総決算でもある。死因をないがしろにすることは、ときに、そのひとの人生をないがしろにしているとさえ感じる。 この国は、経済効果が望まれるものには惜しみなく金を出すが、ひとの生命にかかわることに対して金を出したがらない。いつも、後手後手に回っている。予算をつけない。知恵を出さない。 2004年1月に千葉大学法医学教室が行った実験では、20体の変死体を死後CT撮影したところ、4体の死因が、警察官や検案医の検視結果と違っていたという。地域格差も大きいが、日本全体としてあまりに解剖数が少ないという。 家族を解剖することに同意するのは決断が必要になると思う。しかも、亡くなった直後にしかできない選択でもある。警察官や遺族に解剖の決断に迷いがあるのであれば、せめて死後CT撮影を受けられればと思う。 そして、身内を亡くした直後に適切なアドバイスが受けられればと思う。 それが期待できないなかで、「死因究明 葬られた真実」(柳原三佳著・講談社)(亡くなってから時間がたっていても死因究明の手がかりが得られるかも=武田註)、「焼かれる前に語れ」(岩瀬博太郎・柳原三佳・WAVE出版)を読まれることをお勧めしたい。 なお、草野さんの裁判は現在、進行協議が続いています。 公判日が決まれば、裁判情報 Diaryにてお知らせしたいと思います。 |
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2008/2/18 | 中井佑美さん(中1・12)いじめ自殺裁判(2/18)の傍聴報告。小学校時代のいじめが、中学校に・・・。 | ||||||||||||||||||||||||||
2008年2月18日(月)、東京地裁103号法廷で中井佑美さんのいじめ自殺裁判の口頭弁論が行われた。 大法廷の約3分の2は支援者らで埋まっていた。 今はまだ書類のやりとりで、法廷では原本の確認が行われた。 今回は、小学校時代に佑美さんと担任教師の間でやりとりされた交換日誌の原本が回覧された。 日誌で、佑美さんはいじめのことを担任に訴えていたという。 前回、いじめに関する記述があるところだけを抜粋して出したところ、それではいつの、誰が書いたかがわからないので、それ以外の部分も含めて提出してほしいと被告の北本市から要請があったことに応えて、今回の提出となった。 小学校から中学校にはほとんどの生徒が一緒に進学している。実際に、中学時代のいじめは、その延長線上にあったと思われる。適切に引き継ぎが行われていたら、いじめは防げたのではないかと原告側は主張する。 一方で、文部科学省のほうは、7年間いじめゼロを受けて再調査をしたが、わずか数日しかないなかで調査ができるはずもなく、佑美さんの件を「いじめの事実は認められなかった」と結論を出すのはおかしいのではないかとの原告側の主張に、認否さえ明らかにしようとしない。 次回は4月28日(月)、10時から103号法廷にて。 ************ いじめは小学校低学年からあるが、低学年のときには比較的、やったり、やられたりが多い。それが、小学校3、4年生で固定化しやすい。小学校5、6年生で内容がエスカレートする。そして、小学校で解決されなかったいじめは中学校に持ちこされる。 中学校にはいくつかの小学校から生徒が集まる。そんななかで、みんながなんとか自分はいじめのターゲットになりたくないと思う。誰かがいじめられている間は比較的、他の生徒は安全でいられる。そのために、障がいがあったり、外国籍だったり、体型がみんなと違っていたり、性格がみんなと違っている子を、ターゲットにする。また、過去にいじめられていた生徒もターゲットになりやすい。「あの子は小学校でいじめられていた」つまり「いじめてもいい子」なんだとする。 いじめのリーダーもへたをすると、自分がターゲットになりかねない。そこで、できるだけみんなの納得のいく理由づけをしやすい相手を選ぶ。 実際に小学校の同級生らからいじめにあっていて、中学校で死に追い詰められた事件はわかっているだけでもかなりある。 報道されるのは主に自殺直前のいじめについてのみであることからすれば、もっとずっと多いことが予想される。
中1ギャップと言われ、不登校がよく問題にされるが、背景に小学校時代からのいじめの継続や再発、原因としてかなりあるのではないだろうか。 そして、1度、いじめによって深い心の傷を負った人間が、再びいじめなどの人間関係のトラブルをかかえると、死に至るリスクはより高くなる。 地域が密着している中学校では、小学校からの情報共有が欠かせない。 |
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2008/2/14 | 開智学園・杉原賢哉くん(中3・14)自殺事件 証人尋問。 | ||||||||||||||||||||||||||
2008年2月1日、さいたま地裁501号法廷で、杉原賢哉くん(中3・14)自殺事件の証人尋問が行われた。 裁判長は近藤壽邦氏、裁判官は河本晶子氏、多々良周作氏。 10:30〜12:00が授業クラス担任のS教師。13:30〜15:00がA学年主任。15:15〜16:45がクラス担任(女性)のM教師。 私は自分のサイトでは10時半からと書きながら、手帳に転記する際、誤って13時30分からと書いてしまい、午後からの傍聴になった。午前の部では傍聴券の配布が行われていたが、定数には満たなかったこと、午前中だけで帰ったひともいることから、法廷には入ることができた。 B学年主任の話をおおまかにまとめると、被告弁護士の主尋問に対しては次のようなことを話した。 杉原くんは、悪い意味で目立たない生徒、一生懸命ものごとに取り組む生徒という印象。 自殺の原因は思い当たらない。 杉原くんから、最初に盗難目撃のことを聞いたのはS教師。 S教師からの報告で、A学年主任は、盗難の目撃の件と、杉原くんがこのことについて「他の先生とも話してみたい」と言っていたことを知った。 杉原くんからは「あの件、どうなっていますか?」と何回か聞かれた。しかし、話し合うために「時間ある?」と聞くと、「補習があるから」と言って、7月3日にようやく、話をきくことができた。 しかし、その時の話は、S先生から聞いていた内容と違うことがあり、ブレザーをまさぐっていたのか、サイフを取り出すのを見たのかも、不確かだった。そこで、クラス担任のM先生が「7月5日の定期考査が終わってからでいいから、見たことを書き出してみたら?」と言った。 目撃証言がはっきりしないことについて、見たわけでもないのになどと厳しいことを言った覚えはない。 盗難の目撃については、8000円が盗られる事件があったが、その生徒はブレザーは着ていたといい、杉原くんが目撃したことと同一のものかどうかはわからない。 7月4日の杉原くんが自殺した日のことについて。 朝、杉原くんは登校せず、3時半頃、警察からM先生あてに電話があって、どういうことがあったかわかったことがあったら教えてほしいということだった。 20分くらいで経緯をまとめ、教頭と私と担任のM先生の3人で警察に行った。 警察で1時間ほど話をしたあと、部屋を出たところで杉原くんの両親に会った。 母親は「うちの子、何か変だったんでしょうか?」「前日、頭が痛いと言っていた」「フラッとぶつかったのでは」などと話した。 (この答弁で、杉原くんの母親は、原告席から声を押し殺して、「うそだ」「うそつき!」と繰り返していた) 父親からは「学校で何があったんだ!」「お前らが殺したんだからな!」とと怒鳴られた。初めから、自分たちのせいだと決め付けられた。 原告弁護士からの反対尋問では、 杉原くんが、「この学校には盗難で退学になった生徒はいるか」と聞いていたことについて尋問が行われた。 杉原くんは、「盗難の犯人は一般にどうなるのか」と聞いたが「、一律には何ともいえないが、退学になることもある」と答えたという。 退学になった生徒についての質問に対して、他学年のことなので具体的な処分のいきさつは知らない。この学年で退学になった生徒はいないとした。 平成10年10月に男子生徒が学校を辞めたことについては、関係がないと言った。 また、7月3日に杉原くんと話をしたあと、補習に参加するまでの約45分間、杉原くんの行動については知らないし、調査もしていないとした。 再テストの答案は大抵はきちんと杉原くん自身が保管していたが、B教師のテストの答案のみ丸めて捨ててあったこと、平成18年にテレビ番組で杉原くんの事件が報道されたあと、番組あてにイニシャルで、○○先生によるヒステリックな指導があったと書いてあったことについては、A教師は○○先生というのはたぶん自分のことだと思うが、内容については心当たりがないという。 杉原くんの死については、 自殺かどうかは自分にはわからない。自殺の原因がどこにあったかの調査はいていない。自分は関係者なので「私はこの件についてはかかわってはいけない」と思った。 7月13日に原告の弁護士事務所に行ったとき、「委員会を立ち上げて調べたら」という話が出たが、自分は何もしていないし、調べたかどうかも知らない。 全校生徒に情報を求めることもしていないが、なぜしないと言われても理由があるわけではない。 裁判官からの質問に答えて。 Q:杉原くんから、ブレザーをまさぐっていたという生徒の具体的な名前は聞いたのか? A:聞いたが、ここでは言えない。 Q:教卓のところに杉原くんの悪口が書いてあり、そのことを杉原くんから指摘され謝った生徒がいるということだが、聞いていた人物と同一人物なのか? A:そうだ。 Q:杉原くんがサッカーボールをぶつけられて頭が痛いと言っていたというが、ボールをぶつけた生徒とトラブルのあった生徒は同じか? A:違うと思う。体育の授業は一緒ではないので。 Q:杉原くんが自殺した原因を考えることは? A:何かあったのかなあと考えることはあるが、自分が勝手に考えていることなので差し控えたい。 Q:杉原くんの印象は? A:大人しい子。悪い意味で目立つはとのない。一生懸命に物事に取り組む。 Q:事件後の経緯について。学校側から先生方に対して、調査はしたのか? A:関わっていないのでわからない。 Q:調査委員会はつくられたのか? A:知らない。 *********** ここから、クラス担任の女性M教師の尋問。被告弁護士の主尋問から始まる。 開智中学高等学校の教諭として採用されて4年目。杉原くんが3年生のときから担任。 盗難事件目撃のことは、7月1日の学年会のときに知った。それまでは知らなかった。 S先生は、杉原くんが、みんなの意見を聞きたいと言っていると話した。盗難の当事者が一致することは断言できないので、もう少し杉原くんから話を聞こうということになった。 7月3日、A先生に、これから杉原くんと話すからと呼ばれた。杉原くんに、もう一度見たことを教えてほしいと言ったが、あいまいなところもあったので、「紙に書いてみたら」と言ったところ、杉原くんは普通に「はい」と答えた。変わったこと、とくに感じたことはなかった。 7月4日、ホームルームに杉原くんがいなかった。今まで休んだことはなかったので、珍しいと思った。次の日がテストで、休んでいる生徒が多かったから、体調を崩しているのかなと思った。 A先生に報告すると、前日、頭が痛いと言っていたので、連絡してくださいと言われた。病院に行って遅刻する生徒もいたので、すぐには連絡をしなかった。 帰りのホームルームでもまだ来ていないのを確認した。 警察から杉原くんは学校に聞いてますかと電話があって、「休んでいます」と答えると、事故にあったと教えられた。A先生と教頭に、杉原くんが亡くなったことを伝えた。 警察には、「いじめはありましたか?」と聞かれて、「ありません」と答えた。「いじめはなかったと思うが、昨日、話を聞いたことがあるので、直接、話したほうがよいと思うので伺いますと言って、警察に行った。 警察での事情聴取のあと、杉原くんのお母さんがA先生と話していたのをそばで聞いていた。父親はあとから来た。警察の一室を借りて、何があったんだと言われた。最初から、「学校で何かあったに違いない」とかなり興奮されていた。 欠席確認の連絡しなかったことを言われて、場所を移して話をしたが、一方的に責められた。また、「子どもがいない人は親の気持ちがわからない」などと言われた。 その後、携帯電話で話しをした。杉原くんが亡くなったことをどのように生徒に伝えたのかと聞かれた。怒鳴られるとかした。 杉原くんの自殺の原因については、思い当たることはない。悲しいことではあるが、その時、賢哉くんが何を考えているを知ることはできなかった。 原告弁護士からの反対尋問。 Q:7月1日の学年会の前に聞いた内容は? A:杉原くが盗難を目撃したと、本人が見たことは少しあいまいだが、訴えていることを他の3学年の先生にも知って欲しいといっていると聞いた。 Q:犯人の名前は名指しされていたのか? A:名指しされていた。7月3日、盗難したら退学になるのかと聞いていた。 Q:杉原くんが、他の先生にも知って欲しいと言ったのはなぜだと思うか? A:みんなは自分の話をきちんと聞いてくれるかと思ったのだろう。 Q:盗難目撃の日時や場所は? A:日時は覚えていない。5月上旬。 Q:場所は英語の教室か? A:記憶にない。 Q:杉原くんの位置、犯人の位置は聞いているか? A:杉原くんの話は、7月1日にS先生に聞いたのと違うとA先生が言ったので、そうなのかなと思った。ブレザーのかかっている位置が違うが、「ああ、違う」ということだけで、よく覚えていない。また、実際にまさぐっているだけだったのか、出していたのかもあいまいだった。 その後、お金を盗られた子はブレザーを着ていたというので、まさぐっていたのはサイフかどうか、別の事件かもしれない。 Q:7月3日に補習があることは知っていたか? A:把握していない。7月3日の昼に、話を聞くのに「放課後はどう?」と聞いた時、「ダメです」「時間がない」と言われて、あんなに結果を聞きたがっていたのに、ちょっとムッとした。S先生からは「あの件、どうなっていましか?」と3回も聞いていたのに、矛盾していた。7月3日、補習A先生に「4時から補習があるので、それまでいいですか?」と声をかけられるまで、ダメな理由は知らなかった。 Q:学校を辞めた女性教師が、その日、杉原くんから「面談があるので社会の補習は遅刻します」と聞いていたというが? A:覚えていない。 Q:その後、杉原くんは面談終了後、社会の補習に5時15分頃来た。そのあと、5時半頃から数学の再テストを受けている。4時過ぎから1時間以上、どこで何をしていたのか?気にならないのか? A:当時は知らなかった。今は、いろいろな教科を掛け持ちしていたので、他にもあったのかなあと思っている。 Q:学校で調べればわかることだと思うが、何も調査していないのか? A:補習に出ていない生徒は気になるが、その時は把握できなかった。 Q:自殺したあとは、どうして誰も調査しなかったのか? A:している人がいると思うが、私のところには情報が入ってきていない。 Q:調査しているという根拠は? A:その時間に社会の補習に来たとわかっているのだから、調査していると思う。 Q:現在、連絡なく生徒が来ていない場合はどうすることになっているのか? A:2時間目のはじまりに、家に電話すると学校全体で決めた。 Q:当時は各教師の裁量に任されていたのか? A:はい。 Q:被告の準備書面には、「生徒の主体性、自主性を尊重して、危険があると予見した場合以外は連絡はないとあるが、いつごろまでに家庭に連絡することになっていたのか? A:とくに決まっていない。 Q:生徒手帳には、欠席する場合は8時15分までに保護者から担任に連絡するようにとあるが、その趣旨と目的は? A:所在をあきらかにすること。 Q:中3になれば緊急と予見した以外は当日の連絡でこと足りると? A:そう思う。当時は、そう思っていた。 Q:今は? A:今も、様々な家庭状況の生徒がいるので、一律にこうとはいえない。連絡はしなければいけないと思うが、親の職場や携帯に電話するのは、緊急性がなければいいと思う。 Q:朝のホームルームが終わった時間に、A先生から、「連絡をしてください」と言われたのに何故電話をしなかったのか? A:杉原くんが前日に頭が痛いと訴えていたと聞いたので、病院にでも行っているのだろう、それから登校するのだろうと思った。 Q:帰りのホームルームにもいなかったが? A:うちで寝ていることも考えた。 Q:A先生の陳述で、担任のM先生は心配そうにしていましたといっているが、心配していたが、忘れた? A:忘れたというより、緊急性、必要性を感じていなかった。 Q:校長は、母親が通学ぐつではないものを杉原くんがはいて出かけたと気づきながら、学校に電話しなかった。風邪でもひいているのではないかと思った担任が自宅に電話しないのとどこが違うのかと書いているが? A:比べられることではないと私は思う。私も杉原くんが家をちゃんと出てきたと思っていたので、その間にどこかに行くとは思っていなかった。 Q:7月4日に警察で会ったとき、M先生から謝罪がなかったというが、開智には自殺の原因はないと思っているからか? A:1時40分には欠席の連絡はしたので。また、杉原くんは盗難の目撃者であって、被害者でも加害者でもないから。 Q:別に原因があるとは考えないのか? A:考えないのではなく、思い当たらなかった。学校に自殺の原因はないと思う。 Q:自殺の原因の調査はしたのか? A:私のほうに聞き取りはなかったが、調査はしたと思う。 Q:誰が調査したのか? A:わからない。 Q:警察から電話があったときに、いじめを否定しているが。十分に調査してから来なさいと言われる可能性は? A:校長や教頭にそういうことはあったのか?と聞かれて、聞いていないのでわからないと答えた。 目撃したこともはっきりしないうちに亡くなってしまったので、それが原因ということも全く考えもしなかった。 Q:匿名メールで、Aのヒステリックな指導について書いてあったが、心当たりは? A:わからない。7月3日も、A先生は気を使って話していた。杉原くんと目撃した生徒とは面識があるので、その子との関係がぎくしゃくしないよう、慎重にしなければならないと彼にも伝えてある。 Q:杉原くんの自殺の原因について。 A:一方的に学校が悪いと言っているが、多くの時間をすごしたご両親との関係はどうだったのか。父親のことを杉原くんはとても怖いと思っているようだと二者面談のときに感じていた。 Q:家庭に原因があると思っているということか? A:はい。 Q:「杉原賢哉くんについて」は、裁判になってすぐにまとめたのか?いろんな先生に聞いたのか? A:以前の担任の記録を見たり、関係の先生から聞いたり、私が見たことをまとめた。思い込みが強く、教員に訴えることがあった。他の生徒と離れて一人であることが多かった。急にきれることもあり、怖いと思っていた生徒もいる。 Q:Oくんとのトラブルについて? A:杉原くんは殴られて鼻血を出して、早退した。翌日、診断書を持ってきたことを知ってびっくりした。 Q:なぜ、びっくりしたのか? A:Oくんを訴えようとしたのかなと。 Q:大げさだと? 賢哉くんは診断書はもらっていないと思うが、持っているのか? A:今となっては診断書か記憶にない。勘違いかもしれない。 裁判からの質問。 Q:杉原くんは前に休んだことは? A:4月以降、なかった。 Q:前任から問題のある生徒の引継ぎは口頭で行うのか? A:はい。 Q:何人か引継ぎのあった生徒はいたのか? A:3学年にはいなかった。 Q:心身の健康は? A:4月から5月にかけて面談をする。杉原くんは格闘技、とくに相撲が好きと言っていた。カラテを習い始めたと言っていた。 Q:勉強ができないことを悩んでいた様子は? A:とくに心配なことはなかった。 Q:母親との面談は? A:亡くなったあと。その前に学級全体の懇談会はあった。 Q:生徒の様子を把握することは? A:なるべく情報を共有する。職員室の机はそのために学年でまとめてある。 ********* ここから私見。 杉原賢哉くんはどちらかと言えば大人しい生徒であったようだ。 その賢哉くんが、盗難の目撃を教師に告げるにはきっととても勇気が必要だったと思う。もしかすると、はっきりと目撃したのはその時が始めてだったかもしれないが、なんとなく、問題のある生徒の動向を察知していたのではないか。 午前中の授業担任のS教師の尋問を私は聞けなかった(ぼそぼそと小さな声で答えたときく)。賢哉くんは、そのS先生のことは好きだったらしいという話もある。信頼したからこそ、不正を見て見ぬふりをできず、正義感から盗難目撃のことを打ち明けた。しかし、期待に反して、具体的に動いてはもらえなかった。 一方で、ホームルーム担任のM教師は信頼していなかったのではないか。だから、盗難の話を直接せず、話し合おうという誘いに対しても、おざなりに答えている。 M教師は、賢哉くんは盗難の目撃者であって、加害者でも、被害者でもなかったのだから、盗難事件と自殺とは関係ないとしている。また、警察から電話があってすぐに「いじめはなかった」と答えている。 どうして、調査もせずに「いじめはなかった」と断言できるのだろうか。今のいじめは、とくに恐喝など犯罪的ないじめは巧妙に隠されるということが散々言われている。 しかも、学校側は調査をした形跡さえなく、両親がつかんでいる事実だけをとっても、盗難の犯人とされている生徒と、賢哉くんが教壇に悪口を書かれたという生徒は同一人物。ほかにも、殴られたり、サッカーボールをぶつけられるなどしている。 賢哉くんは無口で大人しく、一人であることが多かったとも言っている。その賢哉くんが、盗難目撃のその後をとても気にして、「犯人は退学になるのか」と教師に聞いている。 あくまで、私の想像でしかないが、学校には問題のあるグループがあり、そのうちのひとりの盗難を目撃し、教師に伝えたことから、「ちくった」として、盗難の生徒やその仲間から報復を受けるようになっていた。 いじめにおびえる生徒が、成績が落ちたり、対抗するために格闘技を習うことはよくある。 Oくんとのトラブルも、診断書があったかどうかは別として、殴られて鼻血を出したことを教師に懸命に訴えた。その時の印象が、「診断書を示し」になったのでは。そして、それをM教師は放置した。だから、盗難のことも、M教師に言っても無駄だと思ってS教師やA教師との話し合いなら応じる気になった。しかし、そこでもまともに取り合ってもらえない。M教師に言ってもだめ、S教師に言ってもだめ。だからこそ、他の先生にも聞いてもらいたいと賢哉くんは訴えたのではないか。 8000円盗まれたという被害者がいて、盗難の目撃があって、それでも学校は具体的に動こうとしない。犯人は退学にもならない。 開智学園は中高一貫校だ。中学3年生。成績にも自信がもてないなかで、いまさら、他の高校を受験する気にもならない。 そんななかで、死に追い詰められてしまったのではないか。 民事裁判では、原告側に立証責任がある。賢哉くんの自殺後も調査さえしないなかで、公立以上に決められた報告書などがあがってこない私立では、遺族が知ることはより困難となる。 しかし、生徒が自殺してさえ生徒たちに聞き取り調査さえしない、自分たちには責任がないとして、家庭の問題を言い立てる。そんな学校だからこそ、いじめを訴えても、盗難を訴えても、まともに調査さえせず、告発者の安全さえ省みられない。 誰も守ってくれない絶望感。 それにテストが追い討ちをかけた部分も少なからずあるのではないか。 自殺を考えるほど追い詰められている生徒は当然、成績はふるわない。いじめのことは、親にはなかなか話せない。自分のプライドの問題もある。親が怒鳴り込んでも事態は悪くなるだけということは目に見えている。成績がふるわないことへのふがいなさと、成績が下がれば「なぜ」と家族に聞かれたり責められたりする。 そして、そんな追い詰められているときに補習や再テストを何度も受けなければならなかったこと。精神的にくたくたになってしまったのではないか。 いじめや教師との確執で悩んでいた生徒が、試験の前後に自殺するケースがいくつもある。一見、原因は成績を悩んでと思われがちだが、子どもたちの遺書にはそうでないことが書かれていたり、神戸の事件のように、あとで原因が発覚することもある。 そして、賢哉くんは亡くなる前にゲームをしていた。実は、多くの子どもたちが亡くなる前にゲームをしている。あるいは前から欲しがっていたゲームを買って欲しいとせがんでいる。ゲームをしている間だけは没頭できて、嫌なことを忘れられる。何もかも忘れてしまいたかった。あるいは、最後くらいせめて思う存分ゲームを楽しみたかった。それをこの世の最後の思い出にしたかったのではないか。 賢哉くんの自殺の原因が、学校内の暴力にあったとしても、私は驚かない。可能性は十分にあると思っている。 しかし、これだけいじめ問題が騒がれるなかで、その可能性に沿った調査さえしようとせずにふたをしてしまう学校のあり方は容認されるべきではないと思う。 しかも中高一貫校の中学3年生。こんな中途半端な時期に、他の生徒だって、学校と対立してまで知っていることを話したりはできないだろう。ただ、よく考えてほしい。今だ、盗難の犯人は放置されている。過去にも、恐喝で相手が死んでさえ、追求されることがなければ平気で恐喝を続けていた少年がたくさんいる。学校は、在校生は、ほんとうにこの問題にふたをしてしまっていいのだろうか。これは、杉原さんたちだけが考えるべき問題だろうか。 次回は、2月22日(金)13時30分から。校長と原告母の証人尋問。 ※なお、開智学園・杉原賢哉くん(中3・14)の自殺事件に関しては、me070419 me070922 を参照。 |
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2008/2/14 | 岡崎哲(さとし)くん・殴打死 第二次訴訟【国・県に対する裁判】 控訴審 第1回口頭弁論 | ||||||||||||||||||||||||||
2008年1月30日、東京高裁808号法廷にて、11時から岡崎哲(さとし)くん・殴打死の第二次訴訟【国・県に対する裁判】 1審の敗訴判決(me071001)に対する控訴審)の第1回目の口頭弁論が行われた。 裁判長は大坪丘氏。裁判官は、宇田川基氏、新堀亮一氏。 今回から、登坂真人弁護士、大石剛一郎弁護士に加えて、全国犯罪被害者の会「あすの会」の顧問弁護士である高橋正人弁護士が参加した。 岡崎さんをはじめとする多くの国家賠償裁判は、平成2年2月20日の最高裁の判決、「捜査は公益上の見地から行われるものであり、犯罪の被害者の被侵害利益の回復ないし損害の回復を目的とするものではなく、被害者ないし告訴人が捜査によって受ける利益は、公益上の見地から行われる捜査によって反射的にもたらされる事実上の利益に過ぎず、法律上保護された利益ではない」の文言に阻まれて、勝訴を得ることができなかった。 それに対して今回、2004年12月8日に成立した「犯罪被害者等基本法」や2007年6月20日に成立した「犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事訴訟法等の一部を改正する法律」を根拠に、「被害者はその尊厳にふさわしい処遇を保障されるべき」で、刑事司法は「被害者のためにもある」、法律が変わったのだから司法裁判も変わるべきとの主張をまとめて提出したという。 裁判長は、「法律論を検討する」ことに関心があると口にした。 また、原告は「時津風部屋の力士死亡事件」について書かれた週刊誌と、日本の死因究明制度の不備について書かれた「焼かれる前に語れ」(岩瀬博太郎・柳原三佳/WAVE出版)を資料として提出した。 |
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2008/2/14 | 七生養護学校「こころとからだ学習」裁判 | ||||||||||||||||||||||||||
2008年1月24日(木)、東京地裁103号法廷にて、13時30分から七生養護学校「こころとからだ学習」裁判の証人尋問が行われた。 裁判長は矢尾渉氏、裁判官は澤野芳夫氏、長博文氏。 人証調べは、被告の元都教委副参事K氏と・当時の校長M氏。 元都教委副参事K氏の証人尋問中は、M氏は別室で待機。 かつて都教委だったK氏は現在は都立の養護学校の校長をしているという。 平成15年当時の調査のきっかけは、都議会議員の指摘だったという。機関紙に公立学校の教員が性教育の実践事例を書いているが、執筆者は事前に校長に申し出ているのかという内容から始まった。 それ以外に都教委が主に問題としたのは、養護学校の児童生徒に歌わせていた「からだうた」。小学校低学年では不必要で、聞いた内容をそのまま外でも発音してしまう児童もいるということ。そして、学習指導要領では、性器の名称は日本の学術用語を用いるようにと指導しているが、外国の医学用語を使っていること。 また、人形を使って、性交を具体的に教えたこと。指導要領では出産を具体的に取り扱わないように指導しているが、教えていること。外国の性的虐待のビデオを見せて、低学年に家族に対する不信や不安を持たせたなどとして、七生養護学校の「こころとからだの学習」が不適切であると並べ立てた。 それまでは、先進的な取組をしていると評価されていた七生養護の教育が、都議らの介入後、一転して不適切なものとされた。しかし、都教委が作成したマニュアルにも、不適切と指摘された外国の医学用語が使われていた。 また、それぞれの障がいにあわせた指導をするためには、人形などを使って具体的に教えなければ、理解できない。 「教えることに意味がない」という出産のこと、性交のこと。知ることで、弟や妹が生まれたときに適切な対応ができたという評価もある。また、知的障がいのある子どもたちが性的な加害者になったり、被害者になったりするのを防ぐためにも、正しい知識や虐待に対する知識も必要だ。 また、必要な性教育は「家庭教育で十分やること」であって、学校教育は指導要領の範囲でやるものというのを強調。学習指導要領に反することが問題だとした。 しかし、国の指導そのものがコロコロと変えられ、現場はそのたびに混乱している。また、七生の子どもたちは障がいを負っていること、家庭から育児放棄され施設で暮らしている子どもたちもいることなど、家庭に適切な性教育を期待するのは難しい。 尋問から見えてきたことは、結局はこじつけでしかないということ。 その真意はどこにあるのか。 これは、あくまで私が感じたことであるが、その後の元校長の尋問を聞いて思ったのが、「所沢高校」の卒業式、入学式騒動に似ているということ。 学校主導で自治がうまくいっていたことが、許せなかったのではないか。 強権発動する校長をわざわざ赴任させて、学校自治を国の管理下に取り戻した。 国、政治家はずっと教育を自分たちの思い通りにしたくて画策してきた。日の丸、君が代問題もその一環として行われたと私は思っている。政府は長い間、教員組合の反対に阻まれて、自分たちのしたい教育方針ができずにきた。時間をかけて、法律を駆使して、教員組合を骨抜きにすることに成功したが、七生の先生方が子どもたちのための教育を協力しあって、自分たちの手で作り上げていくことに脅威を感じたのではないか。 このままでは、教育への権限が自分たちの手から離れてしまう。その見せしめ的に、七生養護がターゲットにされたのではないか。 教育を子どもたちのためでなく、自分たちのために利用したいと考える政治家たち。 七生の先生方と、新しい校長、都教委、都議たちをはじめとする政治家たち。誰がいちばん、目の前の子どもたちの利益だけを考えて行動したのか。障がいのあるなし、家庭のあるなしにかかわらず、子ども一人ひとりが、人生を幸せにおくれるために努力を惜しまなかったのは誰か、裁判で白黒をつけるまでもなく、明らかだと思う。 上ばかりを見る教育者を国が一生懸命につくっていった結果が、子どもたちの荒れやいじめ問題の未解決につながり、不祥事の隠蔽につながっている。 子どもたちの最善の利益を考えるなら、権限は現場にこそ委譲し、国はサポートに回るべきだと私は思う。 この裁判は負けてはいけない。政治家の横暴が許されてはいけないと思う。 |
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2008/1/24 | 自閉症児Nくん転落事件の裁判。専門家の意見。 | ||||||||||||||||||||||||||
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