誕生日に免許証更新
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またひとつ歳を重ねる。
「住職」になって夢中で駆けだした「38歳」のこの1年。
心も体も不安定な時期もあったけど、
なんとか「支えられ」て、歩いてこれました。
ありがとうございます。
去年の5月末日、
「住職」の任命を戴く為に参加した京都・東本願寺の「研修会(住職修習)」でご一緒した石川県の”ぐり♪さん”のブログで、以下の文章に出逢った。
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『心を仏地に樹て』
人間が人間であるよりどうにもならぬのに、その「人間」をうけとっている人もまた少ないのである。人を貶(けな)すことは、その人を自分がうけとれないことを表現していることだ。
私は私の人生をうけとれる人間になりたい。そして周囲の人を貶(けな)さないで、人や出来事をよく味わっていく生活がしたい。
そして最後に一人死ぬこともうけとっていきたい。うけとるということは、なにごとも「よい」と思うことではない。よく心に消化する意味である。
人間が人間の条件から逃れることができないのに、どうしてその人間を肯定することができないのであろうか。
人よ、友よ、すべてを肯定して ことあげすることなく、人生を楽しもうではないか。 私どもの人生は、またとない、よい機会なのだから。
※【高光一也著 『別冊ひとりふたり これでよかった ~私の歎異抄ノートより~』(昭和59年 法蔵館)P.41】
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これは、ぐり♪さんのお爺様がお書きになった著書である。
そして、僕はさっそくこの本をインターネットで取り寄せて、日々、味わい読んでいる。
この1年の日々の中で、こんなにまっすぐに僕に問いかけ、突き刺さってくる「言葉」はなかった。
僕は僕の人生をうけとれる人間になりたい。
色んな状況を如実に知見し、喜びも、そして哀しみ・苦しみ・イヤな事も、「よく心に消化」していく・・・、
そんな歩みを、
明日からの39歳の「またのない、よい機会」の人生の中ででも、
味わって往きたい。
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例えば、
ある「会」の役員の任期切れが近づいて、次期の「新役員」の候補を探している状況だとする。
でも、たいていの人は「新役員」になんか選ばれたくない。「役員」になんかなってしまったらめんどくさいし、目の前の事に忙しい毎日だし、誰だって断りたい。自分がやらなくなって、他に相応しい人がいるはずだ!
そして、断る為の色んな「言い訳」をする。
※例えば、僕が何かの「役員」に選ばれそうな場合なら、以下のように言うだろう。
(1)すみません、去年、「住職」になったばかりで、「外」の事をやる前に、今は「ウチ」の事をいち早く軌道に乗せるべく頑張らなければなりません・・・。余裕がありません。
(2)すみません、父である「前・住職」が年老いて、実際は、私が1人でお寺の法要や葬儀、月参りに飛び回っている状態です。余裕がありません。
(3)すみません、私の不徳の致すところで未だ「独身」でして、ほんと、何でも自分でやらなきゃならない状態です。余裕がありません。
(4)すみません、ここ数ヶ月、体調がよくない日が多くあります。余裕がありません。
以上の(1)〜(4)は決して嘘ではない。(実は、まだココには書けない「余裕がありません」もあるのだが・・・。)
でも、そんな私の以上のような「言い訳」なんか一切通らず、
「余裕がない」のは「みんな同じ」なのだよと、
結局、僕は、ある会の「役員」に選ばれた。
「みんな同じ」という意見に、正直、僕は賛同できないのだけれど、
ま・・・・。選ばれた以上は、自分のできる限り、頑張るつもりだ。
で、
今回の話は、僕のことではない。
ある「会」の会長をしている私の近しい知り合いが、次期の会長候補が見つからず、苦労しているのだが、
色んな人に打診しても、誰も彼もが「言い訳」ばっかりで、なかなか承諾してくれないらしい。
どの「言い訳」も嘘ではないだろう。そして、みんな「余裕がない」くらい大変なのだろう。
でもな、
俺に言われた言葉をそのまま引用させてもらうけど、
「余裕がない」のは「みんな同じ」なのだよ。
だから、俺は、その人に言っている。
他の誰かがやってくれるだろう・・・
なんて、どいつもこいつも辞退して「次期会長候補」が見つからないような「会」ならば、
そんな「会」、今期で、あなたの代で解散しちゃえばいいのだ!
それでスッキリするんじゃないの?!
と。
やりたくない一心で「言い訳」なんて、誰だってなんとでも言える。
要は
やるか、やらないか、
その「会」が必要なのか、必要ではないのか、
ということ。
なんのために「恩徳讃」を歌っているのだ?
※この投稿に関しては、めんどくさいので、コメントは受け付けません。
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また先月に引き続き「Perfume」ネタで失礼します
え~~と、私、ファンではありませんが、「Perfume」のCD音源を何故か手に入れましたので、愛車ビートル君のCDチェンジャー6枚のうちの1枚にセレクトし、運転中に聴いております。 ※通常、車の運転中は、自分の所属バンドの「メールハート」のCDとか、自分のオリジナル曲の音源を聴いている僕ちゃんであります。。。(でも、あまり他人にいえない・・・・)
ええ、私、ファンではありませんが、最近では、「Perfume」ばかり聴いております。結構な大音量で聴くと、気分爽快!
はい、私、ファンではありませんが、先月4月19日(土)の投稿では、チラッと小耳に挟んだ「Perfume」の♪チョコレイト・ディスコが脳内をリフレインしすぎて、苦しんでいる??という話をさせていただきました。 ※当ブログ4月19日「グルグル曲」参照http://minoyamakono.way-nifty.com/tomo/2008/04/post_b520.html
それでですね、私、ファンではありませんが、「Perfume」のアルバムの中の
♪ Baby cruising Love
を聴いた直後に、車を降り、お檀家さん宅で「お経」をあげる場合、頭の中に残った♪ Baby cruising Loveの「サビ部分」のメロディーや曲調が脳内にテンポ良く響き渡り、お経があげにくいという事実に気がつきました。
ちなみに、これは、親鸞聖人のお書きになった『正信偈』というお勤めの、「草四句目下」という節回し(メロディー)であげているときです。
四句目が下がり、また元の音程に戻ろうとする瞬間に、頭の中に
♪恋の運命はぁ~~~
とか、
♪ Baby cruising Love~~~
とか、
♪会いに行きたいよ~~~~
というフレーズが聞こえて来るんですわ。テンポもピッタリ合うし・・・。
その自分の頭の中の「現象」に打ち克とうと、僕はなおさら気合いを入れて大きな声を出すのですけれど・・・。
まさか、自分の中で、「Perfume」と闘うだなんて・・・。
はい、私、ファンではありませんが・・・・。
Bozu cruising Love~~♪
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それにしても、色んな人がこのブログを見てくださっている。
意外な人から
「いつもブログ読んでますよー」
なんていきなり言われたら、自分の最近の「想い」が見透かされてるようで、ウレシ恥ずかしい。
あと、このブログの私なりの「暗黙の決まりごと」として、身内(特に両親)にブログの存在を察知されたら閉鎖しよう……(もしくは、移転)、と思ってる。だってぇ、親に日記を見られるだなんで……書き続けるモチベーションが下がりますからね(>_<)
ところが!
誰かは知らないけど、近隣の「寺院関係者」が、このブログを母にバラしたらしい・・・・(汗)。
「みんな知ってんねんで、アンタのブログ。わたしだけ知らんねん」と母。
「見なくていいから!」とごまかす私。
不特定多数の目に触れるのを前提にしたネットだから仕方ないにしても、ブログは「公然のヒミツ」という面白さを味わってきた。でも、親が見るならば「趣」も変わってしまう。いっそウチの寺のオフィシャルサイトにして、檀家さんにも公表しようかしら?でも、そうすると書けない「ネタ」がさらに増えますし、妙に坊さんブリッコしたワザトラシイ寺院サイトになるだろうな(*_*) つまんね。
ま、もう少し考えますわ!
そういえば昨日のこと。
僕のこのブログをいつも読んでくれている人と会った。面識はあったものの、ゆっくり会ったり話をしたのは初めてだった。ちょいと緊張したけど、私、ハシャぎ過ぎてブログに書けない「ヒミツ」を安心して?暴露してしまうくらい楽しかった(^^;)
そういえば最近、「初めまして!」と挨拶して会う人が少なくなった。
けど、お馴染みの人と深まっていく付き合いも素晴らしい。
色んな繋がり・関わりがある人間関係の中で、
お馴染みの人も、初めての人も トキメク人間関係をつないでいきたい。
ブログでもね(*^_^*)
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今回の「法話ライブツアー」は、お釈迦様の誕生日をお祝いする「花まつり」という行事(法要)に招かれたものだった。
しかし、実は、「花まつり」に招かれ法話をする場合、いつも少しヤッカイに感じる部分がある。
お釈迦様の誕生にまつわる有名なエピソードとして、以下の話がある。
産み月になったマーヤー夫人が故郷へ里帰りしようと向かう途中のルンビニーという場所で休憩をとった際、無憂樹という木に手を伸ばした母の右脇から赤ちゃんが生まれ落ちた。その赤ちゃんこそがのちのお釈迦様である。すぐに七歩あるいて、天と地を指さしながら「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と叫んだ。その誕生を祝い、天からは甘露の雨が降り注いだ・・・・
この「天にも地にも我独り尊し」という解釈がヤッカイなのだ。もちろん、あくまでも伝説であり、赤ちゃんが生まれてすぐ歩くなど、嘘である。
仏教系の学校や、お寺の「お説教」でよくされる解釈は、
「唯我独尊とは今日では、独善的とか、ひとりよがり、という悪い意味でとらえられているが、本来の意味はそうではなく、私のいのちも、あなたのいのちも、みんな独りの人間存在として尊いのだ、だから、これは見失っているいのちの大切さを教える言葉であり、お釈迦様が生涯かけて教えられた内容のダイジェストであり、お釈迦様の誕生のエピソードからそれを学ぶのが、花まつりという行事なのですよ・・・・」
僕も、仏教系の高校に通ったので当時そう聞いたし、その後もそんなふうに学んできた。
また、自分が高校などで「法話ライブ」をする際に、以上のような「骨組み」で話す内容をまとめることができれば、カッチョよくまとまるのである。
しかし、
本当の「天上天下唯我独尊」の意味は違うのだ・・・・。
35歳で真理を覚ったお釈迦様は、その覚りの内容を伝えるのを躊躇していた。やがて、インドの神々の代表として梵天(最高神ブラフマー)が、お釈迦様に「どうかその覚った内容をみんなに伝えてください」とお願いをする(梵天勧請)エピソードを経て、世の人に覚りの内容を伝える事(説法)を決意し旅に出た。その途中で、お釈迦様は、アージヴィカ教徒のウパカに出会う。お釈迦様の清らかな姿を見たウパカは、「あなたは誰を師匠としているの?」と質問する。すると、お釈迦様はこう答える。「自分はすべてを知る者であり、誰をも師匠とせず自力で究極の覚りを獲得した。神々を含めて、この世で自分に匹敵するものはいない。私は、目覚めたる者(覚者)である!!」
これこそが、「天上天下唯我独尊」の本来の意味なのである。もちろん赤ちゃんの時の言葉ではない。後代の仏伝作者が、35歳のお釈迦様のこの宣言を、生まれた時から偉大だったという意味をこめて、赤ちゃんのお釈迦さまに語らせた、という訳である。
うん、やはりこの「唯我独尊」という言葉の意味は、「私(の覚った事)は(それまでの)他とは違ってエライのだ!!」という宣言なのだ。そういうと聞こえは悪いけど、「輪廻転生」という永遠に止まらない「差別的構造」の連鎖の続くそれまでのインドの中にあって、お釈迦様が覚ったこと、引いてはお釈迦様が誕生されたということは、そういったそれまでの「輪廻的生存」という「構造」をはじめて打ち破った大きな意味があった、ということになる。
なので、「すべてのいのちの大切さ、人間の尊厳を謳ったもの」という解釈は(結論として導き出される仏教的な結論かもしれないが)、学問的にこの言葉自体としては「珍解釈」ということになる。
そのあたりを専門的に学んでいない僕は、色んなインド哲学の諸先生方の本で読んだ「受け売り」を語ることしかできない。しかし、曲がりなりにも大学で「インド哲学」を学んだ者としては、いくら聞こえがよくても「珍解釈」と呼ばれるものを自分の「法話ライブ」でお伝えする訳にはいきません。
お釈迦様の「天上天下唯我独尊」という宣言は、独善・ひとりよがりという意味ではなく、
「差別に歪む世界の中で、私は最初に真実に目覚めた者である。そして、目覚めた者として、あらゆる苦悩に苦しむ人々に安らぎを与えたいのだ!」
というように、
「一切衆生の救済をお釈迦様自身の存在意義(出世本懐)とした」
というふうに解釈し、
さて、それじゃ、この僕自身という「存在意義」ってなんだろう?
誰にも変わってもらえない、一度きりの、限りのある命で、色んなつながり関わり合いの中に存在している僕自身の「人生」の意味って何だろう??
単なる自分自身のせまい「枠組み」「物差し」だけで推し量るのではなく、お釈迦様の教えから学んでみる。
「花まつり」とは、
お釈迦様の誕生のエピソードを入り口に、その生涯を学びながら、そして、覚った内容である「縁起」というルール(法則)から照らし出されたこの私の「心の構造」(悩み・苦しみを生み出す仕組み)を知り、「自己点検」を試み、自分自身をまるごと受け取れる人間を目指すこと・・・・。
そう解釈しての「花まつり・法話ライブツアー」でした。
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