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【社説】

週のはじめに考える 言葉が政治をつなぐ

2008年5月25日

 混迷する政治と国民との心理的距離が広がる一方です。両者をつなぐ言葉が衰えているからでしょう。言葉を磨かないと政治はやせ細るばかりです。

 中国・四川大地震の被災地で陣頭指揮を執る温家宝首相の映像を見て、阪神大震災の際の村山富市首相(当時)を思い出しました。

 災害は発生後七十二時間が勝負とされるのに、発生の翌朝、村山氏は財界人との朝食会に出席、現地入りは二日後になりました。

 自衛隊出動に関する指揮系統の問題も浮上し、危機管理のお粗末さが批判の的となったのです。

 稚拙・未熟と真骨頂

 村山氏は国会発言などでも失態を続けました。篤実な人柄は間違いなくとも、政治指導者としては失格と言わざるを得ません。

 名古屋外国語大学の高瀬淳一教授(情報政治学)が「武器としての<言葉政治>」という著書で、言葉の政治力の観点から歴代の首相経験者を評価しています。

 なかなかの辛口採点です。村山氏は竹下登、森喜朗両氏とともに「稚拙」と判定されました。宮沢喜一、橋本龍太郎両氏はきまじめな「理屈者」とされ、海部俊樹、細川護熙、小渕恵三の三氏は「未熟」と評価されました。

 いわば落第者ばかりですが、高瀬教授は小泉純一郎氏に満点を付けます。「自民党を変える。日本を変える」「聖域なき構造改革」を掲げた小泉氏こそが、「言葉政治」の真骨頂だというのです。

 小泉政権の登場には、時代状況の激変も見逃せません。バブル崩壊により財政事情が厳しくなり、利益分配が困難になったのです。それまでの公共事業や補助金による地方や業界団体への利益誘導型政治が崩れたともいえます。

 そこで言葉を戦略的に用いて国民の支持を高め、新たな政治状況を創出したのが小泉政治というわけです。「利益で動員する政治」から「言葉で喚起する政治」へ転換したのです。

 人柄と感情と論理性

 古代ギリシャの哲学者アリストテレスが「弁論術」の中で、弁論成功への三つの要素を挙げています。第一は、語り手の人柄とか性格(信頼され、魅力的な人物であれ)。第二は、聞き手の感情(相手の心情をくみ取れ)。第三は、弁論の内容の論理性(話をわかりやすく、面白く、美しく)。

 小泉氏は、これらを大胆に過激に使い小泉劇場を演出しました。与党が衆院で三分の二の議席を占めた郵政総選挙はその頂点です。

 一方、小泉政治は深刻な事態ももたらしました。市場競争原理による「改革の痛み」で、地方は疲弊し、格差は拡大し、ワーキングプアという新貧困層も出現させました。医療や年金、介護、教育も危機的状況といえませんか。その異議申し立てが昨年夏の参院選での与党惨敗をもたらしました。

 小泉政権の継承者は、こうした負の遺産とその後始末も背負い込んだのです。しかし、安倍晋三前首相は憲法改正といった復古的な争点にこだわり、自滅しました。

 福田康夫首相も「言葉政治」については「問題外」(高瀬教授)の出来です。例えば、物価上昇について「しょうがないことはしょうがない」と言って顰蹙(ひんしゅく)を買いました。どこか人ごとなのです。

 後始末といえば、名古屋高裁が航空自衛隊のイラクでの空輸活動を違憲とする判決を出しました。

 イラク戦争支持を表明した小泉氏は、自衛隊の派遣を決めた際、こう言っています。「どこが非戦闘地帯でどこが戦闘地帯か、わかるわけないじゃないですか」

 これを諭すように、高裁判決は「多国籍軍武装兵士の戦闘地帯への空輸は他国の武力行使と一体化した武力行使」と認定しました。これに対して福田首相は「傍論。脇の論ね」と述べ、派遣継続を表明しました。主文にかかわらないから拘束されないというのです。

 「生活者・消費者が主役となる社会の実現」(施政方針演説)をうたいながら、物価上昇は「しょうがない」と言う。「平和協力国家」を掲げながら、平和憲法違反の判決への無視を決め込む。これが首相のあるべき姿でしょうか。

 福田内閣の支持率が20%を割りました。将来ビジョンに立つ語りかけの言葉を見失ったかのような首相に対する国民の採点です。

 歴史に刻まれる文言

 よく考えられ、磨き抜かれた言葉は歴史に刻まれます。哲学者カントが二百二十余年前に著した本「永遠平和のために」の言葉は、国連を生み出すもととなり、憲法九条の基本理念にもなりました。

 「いかなる国も、よその国の体制や政治に、武力でもって干渉してはならない」

 イラク戦争を始めたブッシュ米大統領をはじめ、政治指導者たちに聞いてもらいたい言葉です。

 

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