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2008年5月25日

◎相撲の「甲子園」 見る側も教育の場の認識を

 きょう金沢市の卯辰山相撲場で開催される高校相撲金沢大会は、言うなれば、相撲の「 甲子園」である。高校スポーツ最古の歴史を誇り、数多くのドラマを生んできた。そんな伝統ある大会が一世紀近くも金沢の地で開催され、高校相撲では「聖地」を超える存在となっている事実を、多くの人々に知ってもらいたい。

 そして一人でも多くの人に、会場まで足を運んでもらって、その熱気に触れてほしい。 すさまじい気迫と臨場感に圧倒され、いつしかこぶしを握りしめ、時間を忘れて土俵に見入っていることだろう。相撲がなぜ日本人のDNAを刺激するのか、「国技」と呼ばれる特別な存在なのかが、いわば皮膚感覚で分かるはずだ。

 相撲は「心技体」と言われる。何事にも動じない心、相手を思いやり、慢心を戒める気 持ち、厳しい稽古に裏打ちされた技の冴え、強い体が備わってこそ、真の強さが発揮される。「心技体」の教えは、現代の教育にもっとも欠けている部分でもあろう。高校生たちの真剣勝負に目を凝らす側は、土俵もまた教育の場であることを認識しておきたい。

 第一回の高校相撲金沢大会が開かれたのは、今から九十三年前の六月である。同じ年の 八月に、現在の夏の甲子園、全国高校野球選手権大会の前身となった全国中等学校優勝野球大会が開催されている。だから、金沢大会の歴史は、夏の甲子園大会より二カ月だけ古い。

 さらに戦時中、夏の甲子園大会は四回(四年)中止されたのに対し、金沢大会は二回( 二年)だけの中止だったため、金沢大会の方が二回多く開催されている。夏の甲子園大会は今年、九十回の記念大会だが、金沢大会はきょうで九十二回の開催を数える。金沢大会の位置づけが見て取れる数字である。この伝統の重みをわたしたちはしっかりと受け止め、大切にしていきたい。

 金沢に集う全国の精鋭たち、特に石川県、富山県の地元勢にとって、大会優勝旗「黒鷲 旗」の奪取は、最大の目標だ。全国の精鋭たちに正々堂々の勝負を挑み、頂点を目指す彼らに、心から声援を送りたいと思う。

◎新福田ドクトリン すべては内政にかかる

 福田康夫首相が発表した包括的な対アジア外交政策は、父赳夫氏が掲げた「福田ドクト リン」を継承、発展させたい思いが強くにじんでいる。その意欲は評価できるが、福田ドクトリンのようにアジアの国々の共感を呼び、確固とした日本外交の理念として命を保ち続けられるかどうか。「外交は内政の延長」といわれる通り、「新福田ドクトリン」の成否はひとえに内政の行方にかかっているといえる。

 福田外交の基本方針は、日米同盟の強化と対アジア外交の「共鳴」である。今回の政策 発表は、とらえどころのないこの外交理念を一歩踏み込んで語ったものである。アジアの防災・防疫ネットワーク構築や、日米同盟をアジア・太平洋地域安定化の「公共財」と位置づけ、インド洋での給油活動を継続するといった具体的な政策の例示で、「共鳴外交」の輪郭がようやく見え始めた。

 アジアの防災・防疫網の必要性はかねて指摘されており、日本は先頭に立ってその実現 に汗を流すべき立場にある。インド洋での給油活動もテロ防止活動として国際社会から要請されている。が、活動を継続するには新テロ特措法の再改正、もしくは自衛隊の海外派遣を随時可能にする「恒久法」制定という内政の高いハードルを越えなければならない。

 福田首相はさらに、太平洋を人と物が頻繁に行き交う「内海」にしたいと述べた。環太 平洋諸国の経済統合が進めばそれも夢ではなかろう。しかし、経済連携の推進には解決すべき国内問題が多く、米中が太平洋の軍事的覇権を競う国際政治の現実をみると、理想論にすぎる印象も否めない。

 戦後の日本外交は米国依存が強く、内閣の短命さもあって「顔が見えない」と言われ続 けてきた。自由や民主主義などの普遍的な価値の共有を重視する安倍晋三前首相の「価値の外交」は実行する前についえ、その価値観外交をユーラシア大陸に沿って展開しようという麻生太郎前外相の「自由と繁栄の弧」構想も雲散霧消した。新福田ドクトリンがその二の舞にならないことを願う。


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