先月末、九十六歳で亡くなった書家で元岡山大教授の大館桂堂さんは、書道教育一筋に歩んできた。
岡山市の県天神山文化プラザで開催中の桂友会書展(二十五日まで)に、筆や硯(すずり)など愛用の品々とともに遺作が飾られている。教育者らしい信条を表した自詠句「どんな雲も裏は銀色に光っている」。てん淡とした境地がにじむ筆致に、温厚で包容力のあった人柄がしのばれた。
少年時代は人前に出るのが不得手で、最初は薬剤師を目指した、と聞いたことがある。書を本格的に始めたのは、岡山県師範学校に入学してから。「山陽新聞」の題字を手掛けた大原桂南との出会いがきっかけだった。
教職の傍ら立ち上げた書道研究団体「墨潮会」は、大館さんの書道教育への情熱から生まれた。月刊機関誌「墨潮」は、今年の六月号で通算七百三十号に達した。終戦間もない混乱期。小学校での習字教育が軽視される風潮に心を痛め、「子ども習字新聞」を発行したのが始まりだ。
息の長さは全国でもまれだろう。「平易な書で素直に自分を表現せよ」が大館さんの方針だった。「生涯稽古(けいこ)」を自戒に、書道人口のすそ野を広げてきた。
パソコンが普及する時代にあっても、大館さんの薫陶を受けた多くの教え子たちが書の心を受け継いでくれるに違いない。