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2008-05-24

特許はとればいいってもんじゃない。発明はすればいいってもんじゃない

さる大企業に勤める知人から「ケータイ向けに面白い技術を開発している研究者が居る」と言われて、会ってみました。

といっても研究者本人ではなくて、研究者のエージェントみたいな仕事を、また別の某大企業がやっていて、そちらの営業ウーマンだったわけですが。

それでまあ、某旧帝国大学(東大ではない)の研究室で開発された新技術というものを、恭しくビデオプレゼンテーションが始まったわけですが、あまりの薄い内容に目が点。なんども確認したけど、どう考えても特許性がない。


  「これ特許性あるんですか?」


と聞くと、


  「国内の特許はいろいろあって取れなかったんですけど、海外の特許を取得する方向で動いています」


との答え。

いや、日本国内で特許性ないんだったら役に立たないって…

そもそも「特許性あるんですか?」という質問は、要するに「なにが凄いのかぜんぜんわからない」という言葉の裏返しです。日本語はいろいろな表現がありますね。


  「これはちゃんと学会発表されてるんですか?」

と聞くと、


  「ええ。それは。・・・ええと、IEなんとかっていうアメリカの電気関係の学会で・・・」


  「IEEEですか。それは凄いですね。どんなSIGで査読が通ったんでしょう」


  「こちらが論文です」


で、論文を読むと、そもそも件の「発明」について触れているのは最後の1節だけで、メインは全く無関係な協調型コミュニケーションについての論文だった。


  「これは論文の査読を通ったと言いませんよ。これはオマケじゃないですか」

  「前半の方でも特許化しようとしたんですけど、うまくいかなくて…」

  「つまり新規性がなかったと」

  「はい」

  「で、このちりとりに穴を開ける特許みたいなやつを知材化して商品化したいということなんですね?」


ちりとりに穴をあける特許というのは、とある特許関係の文献で例として引き合いに出される「通らない特許」の例である。


  「控えめに言っても、この技術に新規性も特許性も認められないし、そもそもこれはもともと便利なものを却って不便にしているだけですよ。これを喧伝すればするほど、天下の○○大学の評判が落ちるでしょうね」

  「そうですか・・・」

  「他に引き合いとか来てるんですか?」

  「いえ・・・ぜんぜんメールの返事を貰えなくて」

  「まあ普通の会社ならバカにされてると思うでしょうね。僕がいまそう思ってるくらいですから」

  「私が技術にぜんぜん明るくないので・・・これは私は個人的には欲しいと思うんですけど」

  「だったら×××を買うといいですよ。それで全て解決されてます」


大学での研究を事業化しようという試みは昔から行われているのだけれども、実際に大学の研究内容がそのまま実用に供せるチャンスは少ない。

また、特許を取得してから製品化するなりするには、数年のタイムラグを必要とする。

だから特許を使う場合は、特許を出願した状態で見切りで製品を発表するしかない。


しかし特許というのは、それを持っているからと言って直ちに役立つようなものでもない。

あとから文句をつけられないように取るのが普通である。

たまに、こういう人たちに限らず「ビジネスモデル特許を取得してます」などと言って売り込みをしてくる人がいるけれども、そもそも特許というのはそれほどいいものではないのだ。嫌がらせにはなっても、それに値段が付くほど凄い特許というのは、成功した製品とセットでなければならないのである。

ある製品が成功する。その成功をうらやんで他社が真似する。その真似するときに特許があると「真似するな」と言える。これが特許の本質的な部分である。

ということは、単に特許をとればいいというものではなく、その特許が活きるのはあくまで成功した製品のコア機能である場合だ。

要するにアプリケーションとセットで考えなければ、特許で生計を立てることは絶望的だし、そもそも申請すること自体が無意味なのである。

特許の申請には多額の費用が掛かるし時間も使うので、Webの世界で特許を主張してどうにかするのは非常に難しい。

発明の目的は新しいアイデアによって人類に新たな幸福をもたらすことであって、それ以外のことであってはならないと思う。

誰も使わないであろう技術の発明など、本質的に発明ではないのである。

そういうものに特許庁の優秀な人材の時間を浪費させるのは、人類にとって重大な損失である。

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