--吉本新喜劇も「ブラスト2」もまさにひとつの目的に向かって皆さんががんばっていますね。ところで、これだけお忙しくて、心の持ちようもそうなんですが、どうやって自分を高めていこうと思われるのでしょうか?
◆エド 私、今それをすごく考えているきょうこのごろなんですが、二つあると思うんです。
一つは、自分の座右の銘が、自分に対して「動け!」なんです。考えることは大事ですが、考えすぎていいほど人生は長くない。そうすると、ある程度考えたらもう動きだそうと。動き出す中でいろんなことに気づいたり、あ、これは間違ったなと思ったら戻ればいいのであって、動いていく中で、次の答えや次の気づきがあると思うんです。
行動することで、いろんな刺激を受けて、健全な方向に行くと私は信じているんですね。具体的には私の場合はきょう走りたい、走って体を動かしたいと思っているんですけど。
もう一つは、気持ちのもっていきようなんですが、どんなに自分が誠実であろうとか正直であろうとしても、それが伝わらない場合もいっぱいあるわけです。それは人間ですから、傷ついたり悲しい思いもするわけですが、でもそうしたときに自分を見失わずに本来の目的に自分を戻すためには、なぜ今自分はこれをやっているのかという本来の自分の目的に立ち返れば、見失わないなと最近思っているんです。
それは何かというと、自分だけのために、たとえば、このギャグがうけたいとか、こういう結果を出したいからという個人的な気持ちだけでやっていたら、たぶんこういうハードなお仕事を続けていくのは大変だと思うんです。360度見られて、人前に立つわけですから。でも、そうした時に、なぜ自分はこの仕事に就きたいと思ったのかとか、何を伝えたくて今一生懸命がんばっているのかということに立ち返れば、私は笑いを通じて、社会がもっと豊かになればなんてすてきなんだろうという、私なりの使命感があるわけです。
そこに立ち返れば多少誤解されたり、伝わらないことが発生したとしても、そこは自分の信念を信じて行動し続けていこうと、常にそこに戻れると思うんです。だから、個人的な目的だけのために、たとえば有名になりたいとかお金持ちになりたいとか、そういうことでやっているのではなく、本当にもっと大きな、こういう仕事に携わることで、社会に貢献したいんだと、もっともっと日本が豊かな国になればなんてすてきなんだろうという思いでやっていることを忘れずにやっていきたいと思っています。この二つですね。
--その「動け!」という考えは劇団の養成所のころから、それとも、もっと前から、そういうお考えでしたか?
◆エド 20代のころはもっともっと幼かったと思いますし、若いころは自分のことしか見えませんでした。それこそ「いいお仕事したいな」とか。でも30歳を過ぎて、なぜ私はこんなに役者になりたいんだろう、この思いが消えないんだろうと思ったときに、自分のためだけじゃない、私利私欲のためだけにやりたいんじゃないと気づいてきたんです。
その思いはさらに、仕事ってものは何なんだろうとか、夢ってなんなんだろう、ひいては命とは、生きるとはなんだろうと考えたときにそういうことが自分なりに、それは正解かどうかわかりませんけど、気づく思いがありまして、今こういう風にお話しているんですけども。
若いころはもっともっと、わからないでぼんやりしていたと思いますけどね、それなりにはその時は一生懸命がんばっていましたけど。
もうこの年だからそろそろどうなんだろうって思うのはすごくもったいないことだと思うんです。人間の持っている可能性は命がある限り無限だと思うんです。それを、有限というか、可能性を閉じこめているのは自分自身のマイナスな想像力だけであって、「もう~だ」とか、「もう○歳だから」って、実は何の意味があるんだろうって思うんです。もちろん体力は落ちますし、肌の色つやは老いていきますが、人間の内面の部分は死ぬまで伸び続け成長し続けていけるものだと思うんです。その可能性を自分たちでつみ取ってはいけないと思うんです。もったいないことだと思うんです。
--長時間ありがとうございました。最後に、芸名「エド・はるみ」はどういうことで付けられたのか、教えていただけますか。
◆エド これは二つありまして、一つはカタカナを混ぜて、無国籍っぽい印象にしたかったんです。でも「がっちり日本人だよ」って言われましたが(笑い)。
もう一つは、エド・サリバンという人がいましたが、ああいう方のようなエンターテイナーになりたいな、という思いで付けました。エドの後、(・)入りますので、よろしくお願いします。
2008年5月24日