「案ずるより産むが易し」
案ずるとは考えることです。産むとは子供を出産すること。初めての出産は、あれこれ心配するものですが、いざ産むときとなると、すんなり生まれてくるということを原義とする比喩です。取り越し苦労を慰め、決断を促すことばです。
前もってあれこれ心配するよりも、思い切って実行してみると案外たやすくできることが多いから感謝です。
インターネット礼拝配信のことで、前の管理会社とトラブルになり、1週間ほど配信ができずでした。何とか成ると思っていましたが、誓約書提出や弁護士仲裁、はては裁判とまで言われてしましました。
イエス様の福音の広がりだけを求めて、必死での祈りでした。イエス様は何も心配しないで良い。心配は不信仰のだといつも弟子たちをお叱りになりました。心配はしないといっても現実に今までのシステムを撤収され、パソコン配信不能になると、感謝します!と告白しながらどうしたら良いのかと考えました。やはり本音では心配していたのですね。
教会員の紹介で、株式会社奈良新聞コミュニケーションズの部長さんが来てくれました。すぐできると思ったのですが、きれいに写らなかったり、前の録画を流すと前会社からきれいに写ったのは自分のシステムを盗んだと匿名の電話があったので、裁判も辞さないという厳しい電話があったりで・・・・けれ何のこと?と思わされました。幸い説明を聞いてくれて誤解もなくなり、前管理会社の祝福を祈り、主の手に完全に委ねました。
幸いなことに昨日の学院チャペルの礼拝から配信可能になりました。チャペルの賛美と説教あわせて30分です。
今朝は副院長が元気よく語っています。黙々と進め!というメッセージです。
最後に引用された、安積得也の光の牛の詩を紹介します。
光の中を 光とともに あの牛は歩いている
あの牛は歩いている ある一つのことっを 考えながら ある一つのものを見つめながら
人が障害と名づけるすべてのものを 踏みこえまた突き抜けながて あの牛は歩いている
あの牛は歩いている のぼせもせず のっしり しょげもせず のっしり
ただ前へ前へ あの牛は歩いている
あの牛は歩いている ある日は消えてゆく星を惜しんで惜しんで そっと涙を流し
ある日は足なえの重荷を運んで ひそかに汗をぬぐい あの牛は歩いている
あの牛は歩いている ひずめのさきから 角のてっぺんまで
光と愛情でいっぱいに満たされて 朝を迎え 夕べを送る
あの牛は人をにくむことを知らない 人を傷つけることを知らない
山々が天を天をのぞこうと 高くそそり立つように およそ望みを限ることを知らない
あの牛は何も知らないが ただ一つのことを知っている
自分の中には 自分のことを知らない自分があることを
だからこそ どんなことが起こっても 挫折ということを忘れて
いつまでも どこまでも 光の中を 光とともに あの牛は歩いている
あの牛は歩いている
光の中を会釈しながら
のっしり
のっしり
ただ前へ 前へ
あの牛は歩いている
ペテロの第一の手紙 5:6 ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。
5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
5:9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。
5:10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。
5:11 どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。
|
コメント(0)