昨日からシステム設定変更のため、elim.jpのパソコン配信を全面的にストップしました。メール通知を出すと生駒聖書学院同窓生の小林佐平氏より励ましメールが届きました。
「我々は、後期高齢者(75歳以上)と世間では呼ばれて、後期を高貴、光輝、と解釈するのも一法だが、私は[好機]としたい。
野球はツーダンからとも、あるいは九回からともいわれるが、所詮、凡人の悲しさ、追い詰められて、ギリギリにならないと、本当のチカラは出てこない。
人生の九回にさしかかっている私どもは、いまこそ、絶好のチャンス(好機)を迎えているのでは、なかろうか?」
以上は、私が同期生の友人に発信したメールの写しです。ただいま、貴兄のメール受け取りました。IT機器を駆使してのご活躍、主の祝福をお祈ります
おはようございます。市岡終始会へのメール、良い言葉ですね。66歳も好機と捉え、高貴、光輝へ向って今日も前進!と励まされております。今日のブログに引用させていただこうと思います。よろしくお願いします。お会いする機会が与えられるよう祈ります。ハレルヤ。と返信しました。
後期高齢者嫌な言葉ですね。日本語のすばらしさは、ほかにも同じように発音する良いことばがたくさんあることです。
後期を、高貴、光輝、好機と捉える幸いを感謝します。光喜、幸喜、好季、好期、広軌として受け止め元気で世の中のために生きて生きたいものです。
特に混乱をもたらした政治家たちが公器としての自覚をシッカリ持ち、後期に香気を放つことができるように祈ります。
人の事はともかく自分の歩みが高貴に満ちた光り輝くような人生でありたいと願いながらの朝を迎えています。
コリント人への第二の手紙2:14 しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストに よる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。
2:15 私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。
2:16 ある人たちにとっては、死から出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちから出ていのちに至らせるかおりです。このような務めにふさわしい者は、いったいだれでしょう。
2:17 私たちは、多くの人のように、神のことばに混ぜ物をして売るようなことはせず、真心から、また神によって、神の御前でキリストにあって語るのです。
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