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戦前の「陪審員」も、資格巡って悩んでました

2008年05月24日

 導入まで1年を切った裁判員制度の課題の一つに、裁判員候補者が辞退を申し出た場合の可否判断の難しさがある。戦前にあった陪審員制度も、資格の有無をめぐって同じような悩みを抱えていたことが当時の文書で浮かび上がった。専門家は「裁判員制度でもいろんな混乱が予想される。歴史に学ぶ必要性は高い」と指摘する。(岡本玄)

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写真陪審員制度に関する昭和初期の文書=京都府京丹後市の市立網野郷土資料館

 徳島県神山町の町郷土資料館が保存する昭和初期の「陪審員関係書類」「陪審員・法ニ関スル書類綴(つづり)」。陪審員の資格の有無をめぐって全国の市町村が抱いた数々の疑問と、それに対する国の回答が紹介されている。

 「四六時中大酒を呑(の)み 家業を顧みず 家族親戚(しんせき)も持て余し 準禁治産の宣告を 申請せんとする状態に在る者あり 無資格者なりや」

 こんな質問に対し、当時の司法省刑事局は「無資格者とは断定しきれない」と答えた。理由は明記されておらず、言い回しからは判断に悩んだ様子がうかがえる。

 「病気などで文字を書けない人は、教育の有無にかかわらず、資格はないか」「6カ月以上出漁し、帰宅しない人は資格はないか」との質問には、いずれも「資格はない」と回答していた。

 こうしたやりとりは全国の裁判所を通じて各市町村に文書で周知されたが、大半は戦災で焼失したり、廃棄されたり。神山町に残る文書は旧鬼籠野(おろの)村と旧下分上山(しもぶんかみやま)村(いずれも現在の神山町)が保存し、1955年の合併時に焼却処分を免れて引き継がれたという。

 京都府京丹後市の市立網野郷土資料館も、旧木津村の「陪審ニ関スル書類」を保存。戦後、地元自治会が村の文書の一部を神社の屋根裏などに保管し、04年6月に寄贈された。

 その中に、北海道小樽市長が1937年、日中戦争で召集された市民は陪審員資格のない「現役軍人」にあたるか照会した文書があった。刑事局は、定員余剰のため帰郷させた「帰休兵」は現役だが、「予備役」「後備役」「補充兵」は現役にあたらないと回答していた。

 一方、裁判員制度では資格の有無は判断しやすいが、辞退の可否基準にはあいまいさが残る。

 裁判員法は辞退が認められる例として、「介護をしなければ日常生活に支障のある同居親族がいる人」「父母の葬式など重要な用務がある場合」「仕事に著しい損害を受ける場合」などを列挙。1月公布の政令は「妊娠中や出産直後」「身体上、精神上の重大な不利益が生じる場合」などは辞退もやむを得ずと定めたが、抽象的な表現も多い。

 最高裁が、裁判員に選ばれた場合に予想される支障を一般市民に尋ねる調査をしたところ、辞退が認められるか微妙なケースも挙がった。「ノルマが未達成なら社内評価が下がる」(金融業の営業担当者)、「不在だと信頼を損ね、売り上げが減る」(旅館の女将(おかみ))、「海外旅行のキャンセル料がかかる」(学生)。

 裁判員の選任手続きを模擬裁判で体験した近畿地方の裁判官は「辞退を認めるかどうかは書面や短い面接だけで決めなくてはならず、どれだけ個別の事情をくみとれるのか難しい」と話す。

 最高裁が20歳以上の男女1万500人を対象に実施した別のアンケートでは、裁判員について「あまり参加したくないが義務なら仕方ない」が44.8%、「義務でも参加したくない」が37.6%に上った。制度への消極的な意識が目立ち、辞退の申し出が相次ぐ可能性もある。

 駒沢大法科大学院の松本英俊教授(刑事訴訟法)は「仕事の忙しさの程度をどうはかるかなどは、判断にばらつきが出るのではないか。細かなやりとりを何度も繰り返した陪審員時代の関係者の姿勢に倣い、制度が始まってから実際の運用の中で詰めていかざるを得ないだろう」と話す。

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