これが江戸だ!

向島の土手

向島の土手。寿司の屋台で三味線弾きが休んでいる 。江戸では、そば、うどん、寿司など、いろんな屋台が活躍していた。


大門

増上寺の大門前の道路。広い上、とても清潔。江戸時代、ものは徹底的にリサイクルされ、捨てるものはあまりなかった。
道が広いのは、火事の延焼を止める『火除地』とするため。


半蔵門

江戸時代は牛は使われたが、馬車はなかった。作業人夫の仕事を奪わないための幕府の配慮だった。
向こうに見える門が、江戸城の半蔵門だ。


浅草寺

浅草寺の観音堂前。茶店が木と紙の簡素なつくりなのがよく分かる。観光客だろうか、右上にお堂を覗き込む人たちがいる。


江戸のまち

芝丸山。今の東京タワーのあたりだろうか。これがまさに江戸の庶民のまちなみ。前方には東京湾がかすかに見える。
ただ、江戸湾といった名前はなかった。江戸の前の海でとれる魚を使う寿司なので、「江戸前」と呼ばれるようになった。


水道橋

これが今も地名に残る「水道橋」。奥に見えるのが水道の架け樋。神田、玉川、仙川と、三つの上水が江戸には完備していた。
江戸は水道の完備した人口百万人の大都市だったのだ。



江戸城

江戸城「中の門」(明治4年撮影)。ちょんまげと軍服がいっしょに映っている。城壁がボロボロなのも分かる。
ヨーロッパの王朝と比べると、江戸幕府はいかに質素だったかがうかがわれる。


大阪・高麗橋

そして時代は文明開化へ。大阪の高麗橋も鉄製になり、ガス灯も設置された(明治4年)
暮らしは急速に豊かに、便利になっていくが、それは大量消費と諸外国との戦争の幕開けでもあった。