国内最大級のプラモデルなどの見本市「静岡ホビーショー」は15日から18日まで、ツインメッセ静岡(静岡市駿河区)で開催された。同市駿河区に本社を置くタミヤなど77社が出展し、業者招待日の前半2日間と一般公開日の後半2日間を合わせて約8万人が来場した。静岡模型教材協同組合が主催するイベントだが、「そもそもなぜ静岡で国内最大級のホビーショーが行われるの?」という素朴な疑問が湧いてきた。その理由を探ってみると意外な説が飛び出してきた。【栗原拓郎】
一般的に、静岡と聞いてまず思い浮かべるイメージといえば「お茶」や「富士山」「サッカー」といったところだろうか。「プラモデル」を思い浮かべる人はそう多くないだろう。静岡県が「プラモデルの聖地」「ホビーの聖地」であることはあまり知られていない。
県内には、タミヤをはじめ、青島文化教材(アオシマ、静岡市葵区)、ハセガワ(焼津市)といった老舗メーカーが顔を並べている。かつて大ヒットした「サンダーバード」シリーズのプラモデルを発売、現在は解散したイマイも県内の企業。さらに、バンダイも本社は東京にあるものの、すべての「ガンプラ」製品を静岡市内の「バンダイホビーセンター」で生産していると聞けば、「プラモデルの全国シェアの9割が静岡です」(タミヤ社)というのも納得だ。
では、なぜプラモデル作りが盛んなのか。もともと静岡は、長野県の木曽地域で産出される木材の集散地で、木工業が盛んだった。そのため、模型に使うような木材が安価に手に入ったのだという。
アオシマの創業者、青島次郎は、元飛行家だったが、後にゴムで飛ばす木製の模型飛行機作りを始めた。タミヤも戦前はトラック運送業を生業としていたが、戦中にトラックが徴発されたうえ、静岡大空襲ですべてを焼失。戦後は木工業に転身したが、「(1951年に)火災に遭いまして、廃材を使って模型を作るようになったんです」という。この木製模型作りが現在のプラモデル作りに発展、「聖地」静岡が出来上がったというわけだ。
1958年に国産プラモが誕生してから50年が経ち、静岡市も「お茶、マグロ、ホビー」を前面に出して市のPRをするまでになっている。さらには、模型作りのルーツは徳川家康との説まであるそうで、静岡市は「プラモデルを含めた『静岡のものづくりの起源』として、地場産業を紹介するパンフレットなどで、徳川家光が作らせた浅間神社に各地から職人を集めたというような記述はあります」という。
タミヤ社は「市は『家康公が静岡に隠居したときに木工職人を集めたのが、模型作りの起源だ』という説なんですが、私たちは違うと思ってます(笑)」と説明するものの、まさか、プラモデルの源流に徳川家康が出てくるとは…。今度プラモデルを目にしたときは、そんな聖地・静岡の歴史に思いを馳せてみるのもいいかもしれない
2008年5月24日