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元横綱琴桜急死、琴光喜の大関昇進見届け

05年11月、けいこで汗を流す琴欧州(右)をみつめる佐渡ケ嶽親方(当時)
05年11月、けいこで汗を流す琴欧州(右)をみつめる佐渡ケ嶽親方(当時)

 大相撲の第53代横綱琴桜で先代佐渡ケ嶽親方の鎌谷紀雄(かまたに・のりお)氏が14日午後6時19分、敗血症による多臓器不全のため、千葉県松戸市の千葉西総合病院で死去した。66歳だった。1959年(昭34)初場所に初土俵を踏み、73年初場所後には、年6場所制が定着した58年以降では最高齢の32歳2カ月で横綱に昇進。引退後は多くの名力士を育て、先の名古屋場所では琴光喜(31)の大関昇進を見届けた。糖尿病での闘病生活は長く、04年には壊疽(えそ)により左足首を切断していた。

 「猛牛」と呼ばれた鎌谷氏が、突然逝った。病院関係者によると、9日に体調不良を訴えて入院。それでも前日13日午前までは食事は完食し、テレビで高校野球を楽しんでいた。だが、同日夕に容体が急変。この日午前10時から開腹手術を受けて一時は意識もはっきりしたが再び状態が悪化、午後6時19分に妻と娘、娘婿の佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)、孫の将且(まさかつ)くん(9)にみとられ、静かに息を引き取ったという。遺体は約6時間後の15日午前0時、佐渡ケ嶽部屋に運び込まれた。

 日本相撲協会を05年11月に定年退職し、部屋と名跡は現佐渡ケ嶽親方に譲るも、けいこ場での指導は続けていた。先の名古屋場所中でも「お前ら、何でけいこを自分でやめるんだ。それじゃ、引退間際の力士じゃないか」としったしていたが、体は病魔にむしばまれていた。現役時代から患っていた糖尿病が悪化し、04年には合併症で左足首切断の手術を受けた。手術の際には心臓が止まったが、生還を果たした。

 6月には心臓病の治療で入院。それでも「琴光喜を大関にしたい」と再びけいこ場に降り、念願を果たすと「ぎりぎり間にあったな。よかった」と目を細めた。7月25日に行われた琴光喜への「新大関伝達式」にも同席。それが公の場で見せた最後の姿になった。

 鎌谷氏は59年初場所で初土俵を踏んだ。強烈なぶちかましを武器に「猛牛」と呼ばれ、67年九州場所で大関に昇進。その後、度重なる負傷に泣かされながら、72年九州、73年初場所を連覇し、32歳2カ月にして第53代横綱に昇進した。努力の人だった。同世代で先輩横綱だった大鵬の胸を借りに、二所ノ関部屋へ足繁く通った。訃報(ふほう)を聞いた元大鵬の納谷幸喜相撲博物館長は「彼を連れて欧州旅行に行った時、休養のはずなのにホテルでしこを踏み始めた。従業員から怒られたけど、それだけいつも相撲のことを考えた人だった」と振り返った。

 引退後は、名伯楽となった。その力士にあった指導法で、小柄な琴錦には速攻を磨かせた。ブルガリアから琴欧洲を発掘し、学生横綱だった琴光喜とともに大関に育て上げた。妥協のない厳しいけいこで親方でいた30年以上、部屋から関取を途絶えさせなかった。最近は、わんぱく相撲で活躍する将且くんにも期待していた。「琴桜のしこ名は孫にやれたらいいな」。天国から、弟子たちと相撲一家の繁栄を見守っていく。

[2007年8月15日9時44分 紙面から]

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