カブトムシにまつわる話
先日ニュースで、裏磐梯のとある博物館で
『カブトムシ展』なる展示会が開かれている、
という原稿を読む機会があった。
この原稿を読んでいて、
小学3年生の夏休みの出来事が甦ってきた。
僕が育ったのは埼玉県の所沢という、
丘陵地帯を切り拓いて作ったベッドタウンで、
住宅地のすぐ裏には大きな雑木林があり
そこが子供たちの格好の遊び場になっていた。
木に登ったり、秘密基地を作ったり、
夏になれば『カブトムシ』や『クワガタ』を捕まえたり、
秋になれば栗の実やドングリを拾ったり落ち葉でベッドを作ったり、
雑木林の中のありとあらゆるものが、僕らの遊び道具だった。
そして、僕ら子供たちの夏休みの一大イベントは
それぞれが捕まえてきた
『カブトムシ』や『クワガタ』を持ち寄って自慢することに尽きた。
僕らが子供の頃は勉強が出来たり、駆けっこが速かったりする以上に、
強くて大きな『カブトムシ』や
『クワガタ』を捕まえる方が尊敬されたものだ。
『カブトムシ』や『クワガタ』は
雑木林の中の“クヌギ”という木の幹に湧く蜜が大好きで、
捕まえるには、“クヌギ”の蜜に集まっている所を狙うのが
一番手っ取り早かったのだ。
そうなると、
いかにいい“クヌギ”を見つけるかが僕らの中の一大関心事となり、
みんな、自分だけの【秘密の木】を持つようになる。
「ふっふっふっ、僕の木の蜜は一味違うんだよ」
「何言ってんだよ、僕のなんか一度に5匹捕まえたことあるんだぞ」
「甘いなぁ、僕なんか毎日必ず捕まる木なんだぜ」
などという会話が夏になると交わされるようになる。
【秘密の木】自慢である。
でも、この【秘密の木】も、
「じゃあT君にだけ特別に教えてあげる」だとか、
「お互いの木を見せっこしよう」とかしているうちに、
結局のところ秘密でも何でもなくなっちゃうのが常であった。
事件は小学3年生の夏に起こった。
僕には【秘密の木】の中でも極上の木があった。
その木にいけば必ず一匹は『カブトムシ』か『クワガタ』がいて、
しかも強くて大きいものが捕まえられるという木だった。
ただ難点が一つあった。
あまりにも蜜が多いためにハチも集まることがあったのだ。
それも大きなスズメバチやクマバチで、
ものすごい羽音をたてて
『カブトムシ』や『クワガタ』と一緒に木に群がるために、
「うぅぅ〜残念だなぁ…」
などと嘆きながら“巨人の星”の星飛馬の姉のように、
遠くの木の陰からそっと見つめるしかないことも多かった。
ちなみに僕は20歳になるまで“巨人の星”の主題歌の出だし
♪お〜も〜い〜 こんだ〜ら 試練の み〜ち〜を〜♪の
「お〜も〜い〜 こんだ〜ら」を「重いコンダーラ」という
トレーニング器具だと信じきっていた。
この他にも、“宍戸錠”という名前を聞いて“しし ドジョウ”という
外国の人なのかと信じていたのが中学生の頃、
さらに“X−JAPAN”を“バツ−ジャパン”という
バンドだと信じていたのが高校生の頃である。
うぅむ、勘違いとは恐ろしい…。
閑話休題。
ある日、普段は塾に通っていてなかなか一緒に遊べなかったW君が
夏休みで塾が休みになり、一緒に初めての虫採りをすることになった。
朝6時、
僕とW君のほかにも3人ほどが集まって
合計5人でいざ出陣という段取りになった。
『カブトムシ』や『クワガタ』は夜行性の昆虫で、
深夜の外出が出来ない僕らにとっては、
早朝に勝負をかけるしかなかったのだ。
この虫取りに一番興奮していたのはW君である。
無理もない、
ご両親の方針で、週に4日も塾に通っていて、
『カブトムシ』も『クワガタ』も採ったことがなかったのだから。
「早くいこうぜ!大きいの捕まえるぞ〜」
興奮したW君は雑木林の中を先頭に立ってどんどん進んでいく。
途中の木にはきらきら七色に輝くカナブンや、
大きく立派なアゴを持ったカミキリムシなんかがいたが、
目指す獲物は『カブトムシ』と『クワガタ』のみ。
そしてこの日は、W君のために
前述の僕のとっておきの【秘密の木】に案内することになっていた。
雑木林を歩くこと5分、目指す【秘密の木】が見えてきた。
朝日輝く中、そこには特大の『カブトムシ』が1匹蜜を吸っていた。
が、その『カブトムシ』の近くで
これまたヘビー級のスズメバチが蜜を吸っていたのだ。
ハチは夜行性ではないのだが、
蜜の香りに誘われて早朝出勤したものらしい。
「どうする…」
5Mほど離れた木陰で僕らは考え込んだ。
特大の『カブトムシ』は是非とも欲しいが、スズメバチは怖い。
そうこうするうちに、
特大の『カブトムシ』はお腹がいっぱいになったのか、
蜜の出ている所からすこしずつ移動を始めた。
このまま飛び立たれたら、せっかくの獲物がフイになってしまう。
一方、ヘビー級のスズメバチは全く動く気配がない。
するとW君が、
「僕が採りに行く!」
と言い出したではないか。
「やめた方がいいよ。刺されたら痛いし」
僕らはこぞって反対した。
本当は痛いどころではなく命の危険さえあったのだが、
小学3年生の僕らには
《刺される→痛い》という程度の知識しかなかった。
でも初めての獲物を目の前に興奮したW君は
僕らの忠告を聞かず、
朝日を背にずんずん【秘密の木】に歩いていってしまった。
「危ないぞ!やめとけよ」
僕らは及び腰になってW君の背中に声を掛けた。
W君は果敢にヘビー級のスズメバチのすぐ横にいた
特大の『カブトムシ』に向かって右手をのばした。
「うまくいったぞ」
とW君が叫んだ次の瞬間、
「うわぁ〜!!」
という悲鳴が聞こえ、W君がのけぞるように倒れた。
どうやらスズメバチに刺されたらしい。
「どうした!大丈夫か!」
僕ら4人はスズメバチへの恐怖も忘れてW君の元へ駆け寄った。
すると、倒れていたW君は
右手にしっかりと『カブトムシ』を握り締め、
左手で左目の上を押さえながら立ち上がると、
「左目の上がチクッてしたんだ」
と言いながらも、満足そうに右手の獲物を眺めた。
朝日が輝く中、
特大の『カブトムシ』は黒光りしていかにも強そうに見えた。
「いいなぁ、これすっごい強そうじゃん」
友達の一人がそうつぶやいた時、僕はW君の顔を見てぎょっとした。
左の目の上が大きく腫れあがっていたのである。
ゴルフボール大のコブが目の上あたりにある感じだ。
W君は朝日が輝く中で左目の上を大きく腫らしながら、
右手の『カブトムシ』を誇らしげに自慢していた。
「やばいよ、目の上が腫れてるよ」
僕が言うと、周りのみんなも一様にびっくりして、
「病院に行ったほうがいいよ」
などと口々にいったが、もちろん朝6時から開いている病院などない。
「どうしよう…」
すると、将来医者になるのが夢というT君が、
「この前テレビで、ハチに刺されたらおしっこかけろっていってた」
と言い出した。
当時はハチに刺されたらアンモニアで消毒するか、
さもなければ尿をかけるという俗説が広まっていたのは事実だ。
いい知恵が浮かばない僕らは早速その提案に賛成したが、
当のW君は反対した。
刺されたのは目の上である。
水鉄砲じゃあるまいし、ピンポイントで命中なぞ出来るわけはない。
でも、そうこうするうちに腫れがどんどん大きくなってきた。
しぶるW君にT君は
「おしっこで消毒しないと一生このままだぞ」
などと言い出した。
医者を目指すT君の言葉には、抵抗できない響きがあった。
4人がかりで…その後どうなったか…。
心ある皆さんはその情景を知ろうとしてはならない。
現在、W君は外資系金融機関に勤務しドイツに住んでいる。
そして「おしっこをかけよう」「かけないと一生このまま」
と言っていたT君は外科医として国立病院に勤務している。
ちなみに、最近本に書いてあったところによると、
「アンモニウムは刺激が強く、かえって腫れを長引かせる。
刺された部分を含めて清潔な水で洗い流すのが一番いい」
と、書いてあった。
小学3年生の夏休みの一コマである。
『カブトムシ展』なる展示会が開かれている、
という原稿を読む機会があった。
この原稿を読んでいて、
小学3年生の夏休みの出来事が甦ってきた。
僕が育ったのは埼玉県の所沢という、
丘陵地帯を切り拓いて作ったベッドタウンで、
住宅地のすぐ裏には大きな雑木林があり
そこが子供たちの格好の遊び場になっていた。
木に登ったり、秘密基地を作ったり、
夏になれば『カブトムシ』や『クワガタ』を捕まえたり、
秋になれば栗の実やドングリを拾ったり落ち葉でベッドを作ったり、
雑木林の中のありとあらゆるものが、僕らの遊び道具だった。
そして、僕ら子供たちの夏休みの一大イベントは
それぞれが捕まえてきた
『カブトムシ』や『クワガタ』を持ち寄って自慢することに尽きた。
僕らが子供の頃は勉強が出来たり、駆けっこが速かったりする以上に、
強くて大きな『カブトムシ』や
『クワガタ』を捕まえる方が尊敬されたものだ。
『カブトムシ』や『クワガタ』は
雑木林の中の“クヌギ”という木の幹に湧く蜜が大好きで、
捕まえるには、“クヌギ”の蜜に集まっている所を狙うのが
一番手っ取り早かったのだ。
そうなると、
いかにいい“クヌギ”を見つけるかが僕らの中の一大関心事となり、
みんな、自分だけの【秘密の木】を持つようになる。
「ふっふっふっ、僕の木の蜜は一味違うんだよ」
「何言ってんだよ、僕のなんか一度に5匹捕まえたことあるんだぞ」
「甘いなぁ、僕なんか毎日必ず捕まる木なんだぜ」
などという会話が夏になると交わされるようになる。
【秘密の木】自慢である。
でも、この【秘密の木】も、
「じゃあT君にだけ特別に教えてあげる」だとか、
「お互いの木を見せっこしよう」とかしているうちに、
結局のところ秘密でも何でもなくなっちゃうのが常であった。
事件は小学3年生の夏に起こった。
僕には【秘密の木】の中でも極上の木があった。
その木にいけば必ず一匹は『カブトムシ』か『クワガタ』がいて、
しかも強くて大きいものが捕まえられるという木だった。
ただ難点が一つあった。
あまりにも蜜が多いためにハチも集まることがあったのだ。
それも大きなスズメバチやクマバチで、
ものすごい羽音をたてて
『カブトムシ』や『クワガタ』と一緒に木に群がるために、
「うぅぅ〜残念だなぁ…」
などと嘆きながら“巨人の星”の星飛馬の姉のように、
遠くの木の陰からそっと見つめるしかないことも多かった。
ちなみに僕は20歳になるまで“巨人の星”の主題歌の出だし
♪お〜も〜い〜 こんだ〜ら 試練の み〜ち〜を〜♪の
「お〜も〜い〜 こんだ〜ら」を「重いコンダーラ」という
トレーニング器具だと信じきっていた。
この他にも、“宍戸錠”という名前を聞いて“しし ドジョウ”という
外国の人なのかと信じていたのが中学生の頃、
さらに“X−JAPAN”を“バツ−ジャパン”という
バンドだと信じていたのが高校生の頃である。
うぅむ、勘違いとは恐ろしい…。
閑話休題。
ある日、普段は塾に通っていてなかなか一緒に遊べなかったW君が
夏休みで塾が休みになり、一緒に初めての虫採りをすることになった。
朝6時、
僕とW君のほかにも3人ほどが集まって
合計5人でいざ出陣という段取りになった。
『カブトムシ』や『クワガタ』は夜行性の昆虫で、
深夜の外出が出来ない僕らにとっては、
早朝に勝負をかけるしかなかったのだ。
この虫取りに一番興奮していたのはW君である。
無理もない、
ご両親の方針で、週に4日も塾に通っていて、
『カブトムシ』も『クワガタ』も採ったことがなかったのだから。
「早くいこうぜ!大きいの捕まえるぞ〜」
興奮したW君は雑木林の中を先頭に立ってどんどん進んでいく。
途中の木にはきらきら七色に輝くカナブンや、
大きく立派なアゴを持ったカミキリムシなんかがいたが、
目指す獲物は『カブトムシ』と『クワガタ』のみ。
そしてこの日は、W君のために
前述の僕のとっておきの【秘密の木】に案内することになっていた。
雑木林を歩くこと5分、目指す【秘密の木】が見えてきた。
朝日輝く中、そこには特大の『カブトムシ』が1匹蜜を吸っていた。
が、その『カブトムシ』の近くで
これまたヘビー級のスズメバチが蜜を吸っていたのだ。
ハチは夜行性ではないのだが、
蜜の香りに誘われて早朝出勤したものらしい。
「どうする…」
5Mほど離れた木陰で僕らは考え込んだ。
特大の『カブトムシ』は是非とも欲しいが、スズメバチは怖い。
そうこうするうちに、
特大の『カブトムシ』はお腹がいっぱいになったのか、
蜜の出ている所からすこしずつ移動を始めた。
このまま飛び立たれたら、せっかくの獲物がフイになってしまう。
一方、ヘビー級のスズメバチは全く動く気配がない。
するとW君が、
「僕が採りに行く!」
と言い出したではないか。
「やめた方がいいよ。刺されたら痛いし」
僕らはこぞって反対した。
本当は痛いどころではなく命の危険さえあったのだが、
小学3年生の僕らには
《刺される→痛い》という程度の知識しかなかった。
でも初めての獲物を目の前に興奮したW君は
僕らの忠告を聞かず、
朝日を背にずんずん【秘密の木】に歩いていってしまった。
「危ないぞ!やめとけよ」
僕らは及び腰になってW君の背中に声を掛けた。
W君は果敢にヘビー級のスズメバチのすぐ横にいた
特大の『カブトムシ』に向かって右手をのばした。
「うまくいったぞ」
とW君が叫んだ次の瞬間、
「うわぁ〜!!」
という悲鳴が聞こえ、W君がのけぞるように倒れた。
どうやらスズメバチに刺されたらしい。
「どうした!大丈夫か!」
僕ら4人はスズメバチへの恐怖も忘れてW君の元へ駆け寄った。
すると、倒れていたW君は
右手にしっかりと『カブトムシ』を握り締め、
左手で左目の上を押さえながら立ち上がると、
「左目の上がチクッてしたんだ」
と言いながらも、満足そうに右手の獲物を眺めた。
朝日が輝く中、
特大の『カブトムシ』は黒光りしていかにも強そうに見えた。
「いいなぁ、これすっごい強そうじゃん」
友達の一人がそうつぶやいた時、僕はW君の顔を見てぎょっとした。
左の目の上が大きく腫れあがっていたのである。
ゴルフボール大のコブが目の上あたりにある感じだ。
W君は朝日が輝く中で左目の上を大きく腫らしながら、
右手の『カブトムシ』を誇らしげに自慢していた。
「やばいよ、目の上が腫れてるよ」
僕が言うと、周りのみんなも一様にびっくりして、
「病院に行ったほうがいいよ」
などと口々にいったが、もちろん朝6時から開いている病院などない。
「どうしよう…」
すると、将来医者になるのが夢というT君が、
「この前テレビで、ハチに刺されたらおしっこかけろっていってた」
と言い出した。
当時はハチに刺されたらアンモニアで消毒するか、
さもなければ尿をかけるという俗説が広まっていたのは事実だ。
いい知恵が浮かばない僕らは早速その提案に賛成したが、
当のW君は反対した。
刺されたのは目の上である。
水鉄砲じゃあるまいし、ピンポイントで命中なぞ出来るわけはない。
でも、そうこうするうちに腫れがどんどん大きくなってきた。
しぶるW君にT君は
「おしっこで消毒しないと一生このままだぞ」
などと言い出した。
医者を目指すT君の言葉には、抵抗できない響きがあった。
4人がかりで…その後どうなったか…。
心ある皆さんはその情景を知ろうとしてはならない。
現在、W君は外資系金融機関に勤務しドイツに住んでいる。
そして「おしっこをかけよう」「かけないと一生このまま」
と言っていたT君は外科医として国立病院に勤務している。
ちなみに、最近本に書いてあったところによると、
「アンモニウムは刺激が強く、かえって腫れを長引かせる。
刺された部分を含めて清潔な水で洗い流すのが一番いい」
と、書いてあった。
小学3年生の夏休みの一コマである。
2001.08.20 | | コメント[0] | トラックバック[0]
戦艦“大和”
『♪さらば〜地球よ 旅立〜つ艦は〜 宇宙戦艦〜 ヤ〜マ〜ト〜』
アニメ“宇宙戦艦 ヤマト”がテレビで放映され、
大流行したのは、僕が小学校3年生くらいの頃のことだ。
2×××年、
地球にナゾの惑星“ガミラス”から放射能爆弾の雨が降り注ぎ、
人類はまさに滅亡の危機に瀕していた。
放射能を逃れて、人類が地下で生活するようになって数十年後、
地球に宇宙の彼方“イスカンダル”から、
「イスカンダルまで来れば、放射能除去装置をあげる」
という通信を受け取った日本の古代進という若者達が、
地球滅亡の危機を救うために、宇宙戦艦“ヤマト”で戦いの旅に出る、
というのがあらすじだ。
当時は、30分の番組のエンディングに合わせて、
【地球滅亡まであと135日】
などと表示されたものだから、それを真に受けた僕は、
「大変だぁ、地球があと135日で滅亡するんだって」
と騒いだが、家族にあっさり無視されていた。
当たり前である。
しかし、宇宙戦艦“ヤマト”はとにかくカッコよかった。
まずエンジンがすごい。
何でも“波動エンジン”なるエンジンで宇宙を航海するのだが、
『波動エネルギーを動力源として半永久的に稼動する』
という素晴らしいシロモノなのだ。
そして攻撃力にも瞠目させられる。
敵をやっつけるのに“波動砲”という必殺技があるのだが、
ウルトラマンの“スペシウム光線”や
キックボクシング・沢村忠の“真空飛び膝蹴り”のように、
番組終了間際にならないと出てこないので、
「敵が出てきたら全部“波動砲”で蹴散らせばいいのに」
と子供心に真剣に怒ったのを覚えている。
さらに移動手段も超時代的だ。
時空を越える“ワープ”というワザを使えば、
一瞬のうちに遠くまで飛んでいけるのだ。
これも“ワープ”を連発すれば“イスカンダル”まですぐ着くのに、
いつも普通に宇宙を航海しては敵に遭遇することの繰り返しで、
「何でワープを使わないんだろう…」と、
これにも真剣に悩んだことを覚えている。
以上のような技術があれば、放射能なんか除去できそうなものだが、
小学生の僕らにはそこまで考えが及ばなかった。
最終回の放映が終った翌日、小学校で僕らが出した結論は、
「戦艦はエライ」
ということだった。
地球を愛するとか友情とか勇気とか、そんな話はほとんど出なかった。
友達の大半は、すぐに戦艦“ヤマト”のことを忘れてしまったが、
凝り性の僕の興味は、
戦艦“ヤマト”の原型ともいえる戦艦“大和”に向けられた。
父親の部屋に『昭和の天皇』という分厚い歴史書を見つけた僕は、
太平洋戦争の部分を繰り返し呼んでは、
「うーん、ミッドウェイ海戦は決断力が勝敗を分けたのだな」とか、
「レイテ湾海戦の栗田中将の行動は不可解だ」などと、
マニアックな世界に没入していった。
ちなみに、小学4年生の僕の夏休みの自由研究(社会)は、
『モリソン戦史に見る太平洋戦争』
という内容で、はっきり言って小学生の宿題の域を越えており、
担任の先生には、将来歴史家になれるよなどと誉められたりもした。
(モリソン:太平洋戦争をアメリカ側から詳細に記述した歴史家)
その一方で、戦艦を再現することにも興味が向いた。
当時は第一次プラモデルブームともいえる時期で、
戦艦・空母・巡洋艦など、ありとあらゆる艦船が発売されていた。
(第二次のブームは機動戦士“ガンダム”の時期で、
当時はプレミアがついたプラモデルを買おうとして
階段で将棋倒しとなり、ケガ人まで出る騒ぎとなった)
しかし、第一作は失敗に終った。
今でもそうだが、僕は不器用なほうなので、
一つのことに熱中すると他のことが出来なくなってしまう。
プラモデルを作る時、説明書に
『AのパーツをBの穴に差し込んで接着剤で止めてください』
と書いてあったので、パチパチとAとBのパーツを取り外していると、
「先に全部のパーツを外しちゃえ」
と片っ端からパーツを外したのだが、細かいパーツもあったので、
どれがどれだか全く分からなくなってしまった。
それでも、
「えーいとにかくくっつければ何とかなる」
と奮起して組み立てたのだが、何を勘違いしたか
間違って主砲に接着剤をつけて前後逆につけてしまい、
「これでは弾を撃ったら自分に当たってしまうではないか!」
というおポンチな状況になったり、
カタパルト(水上機発射装置)を上下さかさまにつけてしまい、
「うーむ、ゼロ戦があお向けになってしまった」
などと、どう見ても“戦う艦”とはいえない出来になってしまった。
そんな出来だから、恐る恐る風呂場で進水式をしたのだが、
あっけなく沈没してしまい、進水式ならぬ浸水式になってしまった。
そのまま庭に乾かしておいたのだが、
翌日飼い犬に壊され、土に埋められるという
どうにも“戦艦”とはいえない最期を迎えてしまった。
(ウチの犬は気に入ったものをなんでも土に埋めてしまう癖があった)
これではいけない。
何としても立派な戦艦“大和”を完成させ、進水させるのだ!
こう一念発起した僕は、プラモデルの箱に
『強力モーターで川でも湖でもスイスイ進む!』
と書いてあった戦艦“大和”を大枚2千円をはたいて購入した。
当時の僕のおこづかいは月500円だったから、
これは相当思い切った買い物だった。
今度は、慎重に慎重に部品を一つ一つ組み立てていった。
そして3日をかけて、戦艦“大和”はついに完成した。
モーターも取り付け、ほぼカンペキといえる出来に満足した僕は、
早速実家の狭い浴槽に戦艦“大和”を進水させてみた。
すると、軽快なモーター音を響かせた戦艦“大和”は、
水上にバランス良く浮かぶと、スイスイと浴槽の中を進みだした。
「おおー」
歓喜の声を上げた僕は、そのまましばらく遊んでいたが、
いかんせん狭い浴槽では限界がある。
あっという間に壁にぶつかってしまい、面白くなかったのだ。
そこで僕は思い切って近くの川に戦艦“大和”を浮かべることにした。
流れがあるとはいっても、この力強さなら大丈夫だろう。
何と言っても『川でも湖でもスイスイ進む!』のだから。
夕暮れ時、僕は近くの川に犬の散歩がてら出掛けていった。
その川は柳瀬川といって、川幅は4m程で歩いて渡れる位浅かった。
普段はとても穏やかな流れなのだが、
前日に降った雨で水量が増加し、その日は少々流れが速くなっていた。
しかし、何と言っても『川でも湖でもスイスイ進む!』のだ。
戦艦“大和”のパワーをもってすればこれしきの流れは大丈夫だろう。
小学3年生の僕は安易にそう考えた。
隣では2つ目の戦艦“大和”を見つけて興奮する飼い犬が吠えていた。
「これから進水するんだから静かに」
などと犬をなだめつつ、戦艦“大和”を静かに水面へと浮かべた。
すると、戦艦“大和”は
浴槽の時と変わらない様子でバランス良く浮かんだ。
この様子にすっかり安心した僕は、
「よし、モーターをかけよう」
と思い立った。
川の流れも大したことはないし、
上流に向かって進ませれば大丈夫だろう。
スイッチが入った戦艦“大和”は、
軽快なモーター音を響かせながら、
夕陽を背に、川の流れに逆らうようにゆっくりと進み始めた。
と、何が起こったのか、
戦艦“大和”は突然船首を川下に向け、一気に加速しだした。
川の流れに加えて強力モーターの加速があるのだからたまらない。
『川でも湖でもスイスイ進む』どころの話ではなくなってしまったのだ。
3日がかりの力作がぐんぐん走り去っていってしまう。
数m走って追っかけたものの、とても追いつけない。
それでも僕の飼い犬は喜んで船を追って走っていく。
夕陽を背に、小さくなる戦艦“大和”とそれを追って走る飼い犬…。
その光景は今でも僕の脳裏に焼きついて離れない。
あの戦艦“大和”はどうなったのだろう。
あのまま川を下り、無事に海まで辿り着けただろうか。
アニメ“宇宙戦艦 ヤマト”がテレビで放映され、
大流行したのは、僕が小学校3年生くらいの頃のことだ。
2×××年、
地球にナゾの惑星“ガミラス”から放射能爆弾の雨が降り注ぎ、
人類はまさに滅亡の危機に瀕していた。
放射能を逃れて、人類が地下で生活するようになって数十年後、
地球に宇宙の彼方“イスカンダル”から、
「イスカンダルまで来れば、放射能除去装置をあげる」
という通信を受け取った日本の古代進という若者達が、
地球滅亡の危機を救うために、宇宙戦艦“ヤマト”で戦いの旅に出る、
というのがあらすじだ。
当時は、30分の番組のエンディングに合わせて、
【地球滅亡まであと135日】
などと表示されたものだから、それを真に受けた僕は、
「大変だぁ、地球があと135日で滅亡するんだって」
と騒いだが、家族にあっさり無視されていた。
当たり前である。
しかし、宇宙戦艦“ヤマト”はとにかくカッコよかった。
まずエンジンがすごい。
何でも“波動エンジン”なるエンジンで宇宙を航海するのだが、
『波動エネルギーを動力源として半永久的に稼動する』
という素晴らしいシロモノなのだ。
そして攻撃力にも瞠目させられる。
敵をやっつけるのに“波動砲”という必殺技があるのだが、
ウルトラマンの“スペシウム光線”や
キックボクシング・沢村忠の“真空飛び膝蹴り”のように、
番組終了間際にならないと出てこないので、
「敵が出てきたら全部“波動砲”で蹴散らせばいいのに」
と子供心に真剣に怒ったのを覚えている。
さらに移動手段も超時代的だ。
時空を越える“ワープ”というワザを使えば、
一瞬のうちに遠くまで飛んでいけるのだ。
これも“ワープ”を連発すれば“イスカンダル”まですぐ着くのに、
いつも普通に宇宙を航海しては敵に遭遇することの繰り返しで、
「何でワープを使わないんだろう…」と、
これにも真剣に悩んだことを覚えている。
以上のような技術があれば、放射能なんか除去できそうなものだが、
小学生の僕らにはそこまで考えが及ばなかった。
最終回の放映が終った翌日、小学校で僕らが出した結論は、
「戦艦はエライ」
ということだった。
地球を愛するとか友情とか勇気とか、そんな話はほとんど出なかった。
友達の大半は、すぐに戦艦“ヤマト”のことを忘れてしまったが、
凝り性の僕の興味は、
戦艦“ヤマト”の原型ともいえる戦艦“大和”に向けられた。
父親の部屋に『昭和の天皇』という分厚い歴史書を見つけた僕は、
太平洋戦争の部分を繰り返し呼んでは、
「うーん、ミッドウェイ海戦は決断力が勝敗を分けたのだな」とか、
「レイテ湾海戦の栗田中将の行動は不可解だ」などと、
マニアックな世界に没入していった。
ちなみに、小学4年生の僕の夏休みの自由研究(社会)は、
『モリソン戦史に見る太平洋戦争』
という内容で、はっきり言って小学生の宿題の域を越えており、
担任の先生には、将来歴史家になれるよなどと誉められたりもした。
(モリソン:太平洋戦争をアメリカ側から詳細に記述した歴史家)
その一方で、戦艦を再現することにも興味が向いた。
当時は第一次プラモデルブームともいえる時期で、
戦艦・空母・巡洋艦など、ありとあらゆる艦船が発売されていた。
(第二次のブームは機動戦士“ガンダム”の時期で、
当時はプレミアがついたプラモデルを買おうとして
階段で将棋倒しとなり、ケガ人まで出る騒ぎとなった)
しかし、第一作は失敗に終った。
今でもそうだが、僕は不器用なほうなので、
一つのことに熱中すると他のことが出来なくなってしまう。
プラモデルを作る時、説明書に
『AのパーツをBの穴に差し込んで接着剤で止めてください』
と書いてあったので、パチパチとAとBのパーツを取り外していると、
「先に全部のパーツを外しちゃえ」
と片っ端からパーツを外したのだが、細かいパーツもあったので、
どれがどれだか全く分からなくなってしまった。
それでも、
「えーいとにかくくっつければ何とかなる」
と奮起して組み立てたのだが、何を勘違いしたか
間違って主砲に接着剤をつけて前後逆につけてしまい、
「これでは弾を撃ったら自分に当たってしまうではないか!」
というおポンチな状況になったり、
カタパルト(水上機発射装置)を上下さかさまにつけてしまい、
「うーむ、ゼロ戦があお向けになってしまった」
などと、どう見ても“戦う艦”とはいえない出来になってしまった。
そんな出来だから、恐る恐る風呂場で進水式をしたのだが、
あっけなく沈没してしまい、進水式ならぬ浸水式になってしまった。
そのまま庭に乾かしておいたのだが、
翌日飼い犬に壊され、土に埋められるという
どうにも“戦艦”とはいえない最期を迎えてしまった。
(ウチの犬は気に入ったものをなんでも土に埋めてしまう癖があった)
これではいけない。
何としても立派な戦艦“大和”を完成させ、進水させるのだ!
こう一念発起した僕は、プラモデルの箱に
『強力モーターで川でも湖でもスイスイ進む!』
と書いてあった戦艦“大和”を大枚2千円をはたいて購入した。
当時の僕のおこづかいは月500円だったから、
これは相当思い切った買い物だった。
今度は、慎重に慎重に部品を一つ一つ組み立てていった。
そして3日をかけて、戦艦“大和”はついに完成した。
モーターも取り付け、ほぼカンペキといえる出来に満足した僕は、
早速実家の狭い浴槽に戦艦“大和”を進水させてみた。
すると、軽快なモーター音を響かせた戦艦“大和”は、
水上にバランス良く浮かぶと、スイスイと浴槽の中を進みだした。
「おおー」
歓喜の声を上げた僕は、そのまましばらく遊んでいたが、
いかんせん狭い浴槽では限界がある。
あっという間に壁にぶつかってしまい、面白くなかったのだ。
そこで僕は思い切って近くの川に戦艦“大和”を浮かべることにした。
流れがあるとはいっても、この力強さなら大丈夫だろう。
何と言っても『川でも湖でもスイスイ進む!』のだから。
夕暮れ時、僕は近くの川に犬の散歩がてら出掛けていった。
その川は柳瀬川といって、川幅は4m程で歩いて渡れる位浅かった。
普段はとても穏やかな流れなのだが、
前日に降った雨で水量が増加し、その日は少々流れが速くなっていた。
しかし、何と言っても『川でも湖でもスイスイ進む!』のだ。
戦艦“大和”のパワーをもってすればこれしきの流れは大丈夫だろう。
小学3年生の僕は安易にそう考えた。
隣では2つ目の戦艦“大和”を見つけて興奮する飼い犬が吠えていた。
「これから進水するんだから静かに」
などと犬をなだめつつ、戦艦“大和”を静かに水面へと浮かべた。
すると、戦艦“大和”は
浴槽の時と変わらない様子でバランス良く浮かんだ。
この様子にすっかり安心した僕は、
「よし、モーターをかけよう」
と思い立った。
川の流れも大したことはないし、
上流に向かって進ませれば大丈夫だろう。
スイッチが入った戦艦“大和”は、
軽快なモーター音を響かせながら、
夕陽を背に、川の流れに逆らうようにゆっくりと進み始めた。
と、何が起こったのか、
戦艦“大和”は突然船首を川下に向け、一気に加速しだした。
川の流れに加えて強力モーターの加速があるのだからたまらない。
『川でも湖でもスイスイ進む』どころの話ではなくなってしまったのだ。
3日がかりの力作がぐんぐん走り去っていってしまう。
数m走って追っかけたものの、とても追いつけない。
それでも僕の飼い犬は喜んで船を追って走っていく。
夕陽を背に、小さくなる戦艦“大和”とそれを追って走る飼い犬…。
その光景は今でも僕の脳裏に焼きついて離れない。
あの戦艦“大和”はどうなったのだろう。
あのまま川を下り、無事に海まで辿り着けただろうか。
2001.08.08 | | コメント[0] | トラックバック[0]