第3回 「春一番」
「春一番」。私にとって最も印象的な作品です。私はこの作品で作
詞、作曲、編曲の3役を担当し、しかもキーボードも弾いています。
そしてこの作品の良さは、何よりも歌詞にあると考えています。歌
曲の場合の普遍性は、大きく歌詞に依存しますから、私の歌詞が最
終的に採用されたことに、ここでも感謝しないわけにはいきません。
それというのも春一番の歌詞は、当初は私の担当ではなかったので
す。私は春一番のメロディーには、ある特定の印象をもった歌詞が
必要だと感じていたので、メロディーを作る時に仮の歌詞を五線紙
に、しかも全部ひらがなで書いておきました。参考にして歌詞を考
えてもらうためにです。
ところが、暫くして松崎から、私に歌詞を書いて欲しいという電話
がきました。五線紙には一番しか書いていなかったので、それから
が大変。歌詞は、作曲より編曲より難しい! 私の実感です。中曽
根ディレクターのアイディアをかりながら、そうとうに考えて作り
ました。でも作詞は面白い。短い言葉で多くのことを平行して表現
する歌詞は、真剣に取り組むと作曲とはまた違った面白さがありま
す。
後日私は、「春一番」の歌詞は千家和也氏が書く予定になっていた
ことを聞きました。そして千家先生が私の仮詞を読んで、これは穂
口に最後まで作らせた方が良いと言ってくれたことを聞きました。
千家先生は私を作曲家して認めてくれた最初の作詞家であり、「春
一番」の歌詞を世に出してくれた恩人です。彼は当時、最も売れっ
子の作詞家だったにもかかわらず・・・。
私がこんなことを言ったら、照れ屋の千家先生は「やめてくださ
い!」と言うかも知れません。私としても25年の間、一度も口には
しませんでした。
しかし今、私は言いたい。
「千家先生、本当にありがとうございました」
今では大きく育った「春一番」も、はじめはシングルでさえありま
せんでした。ファンクラブからの意見がなければ、アルバムの中の
1曲として埋もれてしまうところです。ここではファンの皆さんに、
そしてファンの声を取り上げた篠崎マネージャーに感謝しなければ
なりません。
私はキャンディーズが、多くのスタッフによって支えられ、そして
成長して来た事実をはっきりと覚えています。
「春一番」のテンポは、当時としては異常です。そのスピードはス
タジオミュージシャンでさえ混乱したほどです。しかしキャンディ
ーズは混乱しませんでした。レコーディングは極めてスムースで、
特に印象にないほどの早さでした。キャンディーズのヒットに関し
て、もうひとつの重要な要素は、松崎澄夫のボーカルディレクショ
ンにあります。彼は彼自身がボーカリストだった経験を活かして、
キャンディーズに個性を吹き込みます。キャンディーズのチャーミ
ングなアーティキュレイションが気に入っているとしたら、そのほ
とんどは彼のアイディアです。そして「春一番」は彼のディレクシ
ョンによってキャンディーズがより輝いた作品でした。サウンド的
なことを言えば、初期のキャンディーズ作品の重要なサウンド要素
として、ギターの水谷公夫がいます。「年下の男」も「春一番」も、
水谷公夫の時代を先取りしたプレーなしには成立していません。水
谷公夫はもちろん前述したアウトキャストのリーダー。17才で出会
った仲間がキャンディーズを支えました。
(つづく)