「伝えよう、魚食文化」。水産白書が第一章に掲げるテーマだ。欧米や中国が、安全で健康的な魚食に目を向ける中、本家本元の日本では、その良さや味わい方を伝える仕組みが足りていない。
「魚離れ」が、進んでいるという。水産白書によると、国民一人当たりの年間魚介類消費量は、二〇〇一年の四十キロをピークに、一昨年は三十二キロに落ち込んだ。
一方、農林水産省の消費者モニター調査では、95%の人が、国産鮮魚は「安心」と答えている。「魚離れ」の実態は、どうなのか。
大手水産会社の幹部は「魚介類が嫌われているわけではない」と言う。魚を丸ごと食べる機会は減ったが、刺し身やすし、加工食品需要は結構ある。「魚離れ」というよりは、忙しい現代人の「食べやすさ」「調理しやすさ」志向が、三枚におろしたり、骨を取ったりするのが面倒な魚を食卓から遠ざけているようだ。
それを呼び戻すには、消費者のニーズに合わせた安価な加工食材を開発するのが近道だ。だが、それだけでは、この国の魚食文化や漁業を維持することは難しい。
白書は、魚食文化を「魚を獲る技術や処理、品質を評価する目利き、加工・保存の仕方、調理道具や方法など、魚を中心とした食生活の中で受け継がれ、蓄積されてきた知恵や知識」と定義する。同感だ。「食べやすさ」志向の中で忘れていたものばかりである。
今必要なのは、消費者に食生活の知恵や知識を伝えるシステムだ。都内のスーパーの中には、鮮魚売り場に専門職員を置き、魚介の旬やおいしい食べ方を教えたり、客の要望に応じてさばいたりして、売り上げを伸ばす店もある。昭和三十年代を描いた映画「三丁目の夕日」のころには当たり前だった店頭でのコミュニケーションが文字通り、ものをいう。
名古屋市中央卸売市場は年に数回、小学生対象の見学会を開いている。中央市場は「情報市場」としての機能も高めてほしい。
漁業資源の減少と魚食の国際化はますます進む。マグロやタラの輸入が難しくなる一方で、近海にはまだ豊富な「地魚」という資源がある。
瀬戸内でサワラ、伊勢湾でワタリガニが好まれるように、地域の食材や伝統料理を、それにまつわる物語や伝承なども発掘しながら味わいたい。食文化は地域に根差したものであり、消費者がはぐくむものである。
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