現在位置:asahi.com>社説 社説2008年05月24日(土曜日)付 高齢者医療―「廃止」の怒りも分かるが4月に始まったばかりの後期高齢者医療制度の廃止法案が、民主、共産、社民、国民新党の野党4党から参院に提出された。 来年4月から以前の老人保健制度に戻す。それに先立ち、保険料の天引きをやめ、会社員の扶養家族からは保険料を取らない。これが柱だ。 廃止法案は、野党が多数を占める参院で可決されても、与党が多数の衆院では通る見込みがない。それでもあえて出したのは、この制度への不信や憤りを追い風に、福田政権を揺さぶることができると考えたからに違いない。 たしかに、新制度に対する反発はすさまじい。「うば捨て山のような制度だ」「ほとんどの人の負担が減るなどという政府の説明はうそばかりだ」という声がお年寄りだけでなく、多くの国民の間に広がっている。 年金が宙に浮いたり、消えたりして不信感が高まっていたところへ、年金からの保険料の天引きが始まったのだから、怒りが爆発したのも無理はない。厚生労働省の担当者が解説書で「終末期の医療費を抑えることが大事だ」と無神経に書いたこともお年寄りの気持ちを傷つけ、怒りを広げた。 しかし、制度を「元に戻せ」と言うだけでは、問題は解決しない。 老人保健制度に戻れば、多くのお年寄りは市町村の運営する国民健康保険に再び入ることになる。今後、お年寄りが増えた時に、いまでも厳しい国保の財政が維持できるとは思えない。 後期高齢者医療制度も老人保健制度も、お年寄りの医療費を会社員の健康保険組合や国保の保険料と税金で支えることに変わりはない。だが、老人保健制度では、お年寄りの保険料も現役世代の保険料もまぜこぜで、だれがどう負担しているのかが分かりづらかった。現役世代の負担が際限なく膨らみかねないという不満もあった。 こうしたあいまいな点をはっきりさせておこうというのが新制度だ。 野党の中にも、以前の制度がよいとは思わないという声がある。民主党はかねて会社員や自営業者、お年寄りを一緒にした保険制度を主張している。しかし、一元化には、年金と同じように、どうやって自営業者らの所得をつかむかといった問題がある。 一方の与党も、野党を無責任だと非難するだけでは済まない。新制度を維持するというのなら、収入の少ない人の保険料を減免するのはもちろんのこと、保険料が上がったり、治療が制限されたりするのではないかというお年寄りの心配を取り除く必要がある。 いま税金の投入は後期高齢者医療費の半分と決められているが、必要に応じて増やすことを明確に打ち出すべきだ。財源問題から逃げていては、「うば捨て山」という批判がいつまでもつきまとい、制度が定着しない。 アジア演説―福田さん、その言や良しアジアは世界史の主役に躍り出た。この地域のネットワークをさらに勢いあるものとするため、日本は他のアジア諸国や米国と一緒になって汗をかいていく――。 福田首相がアジア太平洋地域の政治家や有識者を前に、都内でこんな演説をした。今後のアジア外交の基本について、考え方をまとめたものだ。 アジア外交といえば、77年8月、首相の父、福田赳夫首相が東南アジア諸国歴訪のしめくくりとしてマニラで行った政策演説を思い起こす。「福田ドクトリン」と呼ばれる。 日本は軍事大国にならない。真の友人としての「心と心のふれあい」を大切にする。そんな原則をうたい、その後のアジア政策の基調となった。 当時は、経済高成長で日本が急速に存在感を増していたころだ。摩擦が起こりがちだったアジア諸国との関係を安定させる目的があった。 それから30年あまり。東南アジアなどが急成長し、さらに中国が大国として台頭する中で、日本としてのアジアへのかかわり方を再定義するのが、今回の演説の狙いだった。 ポイントはこうだ。 経済的、政治的に力をつけた東南アジア諸国連合(ASEAN)の地域協力を強化し、そこに日本、さらに米国などが加わって太平洋の平和と繁栄のネットワークを築く。 日米関係とアジア外交を相互補完的に位置づける、首相の「共鳴外交」の考え方を発展させたものと言っていいだろう。 この演説からは、近年の日本外交が犯した二つの失敗の反省がうかがえる。ひとつは小泉首相時代の「日米さえよければ」という対米一辺倒から抜け出したことだ。中国との関係改善を軌道に乗せた自信がその背景にある。 もうひとつの失敗は、安倍前首相や麻生元外相の「価値観外交」である。自由や民主主義という言葉を前面に押し立てるあまり、アジアなどの反発や疑心を招いた。 演説では、北朝鮮の核や中国、ミャンマーの人権問題に対しては静かな語り口に終始した。抑制的すぎるとの批判もあるかもしれないが、強い言葉が必ずしも外交上の効果を生まないことも、首相が学んだ教訓なのだろう。 首相は、日本の目指す将来像として「困った時に頼ってもらえる国、一緒に協力しようと思ってもらえる国でありたい」と語った。世界やアジアの平和のために、労苦を惜しまず汗をかく「平和協力国家」として自らを鍛えていくとも述べた。 30余年前と比べると、日本の国際的地位も大きく変化し、担うべき役割や責任も様変わりだ。それを果たすには大変な覚悟がいる。だが、まずはこの福田演説、その言やよしである。
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