◆安く電車に乗りまくる。
大型連休最後の今月6日、大阪市内のJR福島駅から天満駅まで電車に乗った。大阪環状線だと2駅目、約5分(2・6キロ)。だが、関西2府5県をまたぐ約530キロ、約12時間の「大回り」をした=図参照。ちょっと信じ難いが切符代は120円。JRの大都市近郊区間内の運賃特例だ。トラベルライターの横見浩彦さん(46)=横浜市=に旅の先達をお願いした。
東京▽新潟▽大阪▽福岡圏は路線が多く、目的地までの経路が複数ある。乗った経路通りの運賃を請求すると、改札口で頻繁な精算が生じ、お客も駅も大変な手間。そこで指定の区間内では、同じ駅を2回通ったり改札口を出ない限り、最低運賃で行ける。大阪圏は98年に和歌山線や加古川線(兵庫県)などが加わって大幅に拡大、大回りできる距離が延びた。
朝7時過ぎ、毎日新聞大阪本社に近い福島を出発。コンビニのおにぎりを食べたばかりなのに腹が減る。「電車に乗ると、みんなそう言います。揺れが消化を促進するとか、諸説ある」と横見さん。和歌山で早速、ホームの立ち食いスタンドへ。
和歌山線では無人駅が続く。畑と民家、たまに工場。どこを走っているのか分からないと眠くなる。地図を持って来るべきだった。10時過ぎ、年配の車掌さんが検札に来た。福島発の120円切符、どう見てもキセル乗車。緊張しながら「お、大回り中です」と差し出すと、「ああ、はい」と無反応。同好の士は多いとみた。
「うぉー」。突然、横見さんが窓に額をくっつけて興奮。昨年3月、近畿で唯一残っていたスイッチバックが廃止された北宇智だ。「行きつ戻りつする電車を跨(こ)線橋の上から何度も見た」。当時のホームや線路はまだ残っていた。
加茂からローカル色が濃くなり、2両編成のディーゼルカーがうなる。14時を過ぎて猛烈に空腹だが、なかなか売店がない。「関東の大回りだと、いくらでもエキナカ(駅の中)で食えるんだけど。甘くみてた」と、横見さんもつらそう。
草津から新快速。沿線に、これでもかとマンションが林立している。ここから琵琶湖を左回りに1周。壮大なアホらしさが醍醐味(だいごみ)だ。「ほや、ほや」と連発していたおばさん2人組は長浜で下車。「そうだ」の意味の方言らしい。湖西線沿いの水田を琵琶湖と見まがう。一幅の絵だ。
道中、横見さんは「デートコースにどうかな」と真顔で言った。確かに、綿密なルート計画が必要で、食料やトイレの心配を共にする。下手な所でケンカして途中下車すると、とんでもない運賃を払うはめに。スリルあるデート、盛り上がるかも。【鶴谷真】
鉄道ファンを「テツ」と呼ぶ。撮影派や模型派などさまざま。乗って興奮するのが「乗りテツ」だ。「JR全線完乗」などを目指す人が多い。横見さんは05年2月、当時の国内の全9843駅に下車を果たし、現在も新駅誕生のたびに出かける。単にホームに足を付けるだけではなく、必ず改札口を出て駅の見取り図を書き、乗降には鉄道を使う。今回の大回り中、計5人(全員男性)が「横見さんですよね?」と声をかけてきた。ある人は「乗りテツにとって、横見さんは神様なんです」と感動し、握手を求めていた。
毎日新聞 2008年5月17日 東京朝刊