金曜日の夜。Macに向かい、タブレットにペンを走らせる。朝までずっと、眠らずに。描き始めると止まらない。
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平日は会社でシステムを開発し、週末には家で絵を描く。「生活として、違いはない。仕事も絵も、必死だから」。仕事と趣味という切り分けも特にないと、“絵描き兼開発者”のゆきさん(24)は言う。
自分のために描き続け、HDDにため込んできた。それで満足だった。だが最近、ちょっと変わった。絵を描いた様子の動画を「ニコニコ動画」にアップするようになったのだ。
「すげぇ」「うまい」「最高絵師」――ニコニコ動画でそんなコメントが寄せられ、「絵本を作らないか」という依頼が舞い込む。見知らぬ人のmixiのプロフィール画像に自分の絵が使われ、驚いたこともある。
「ニコニコ動画に投稿するまで、自分の絵を気に入ってくれる人がいるとは思わなかった。自分の絵が、誰かにとって特別な存在になるなんて、考えてもみなかった」
●見たことのない画材が、PCの中にだけあった
小さいころからものを作るのが好きだった。でも、得意ではないという。美術の成績もよくなかった。「不器用だから。デッサンなんて、今もできない」
父が仕事のために買った「Macintosh Performa 630」が、最初に触れたコンピュータ。小学校高学年のころ、子ども用お絵描きソフト「KIDPIX」で遊んだ。特別にハマったわけではない。ほかの子が紙に描くように、暇な時の遊びとして、マウスで犬や猫を描いた。
中学生のころ、雑誌の付録に付いていた「Painter」試用版に出合った。油彩、パステル、アクリル絵の具――「見たことのない画材が、PCの中にだけあった」。描くことが、さらに楽しくなった。
同じころプログラミングを始めた。Mac用開発環境「REAL basic β版」を雑誌の付録で見付け、計算プログラムや、“落ちゲー”を作った。マニュアル本もインターネットもなかったが、サンプルプログラムを見ながら学んだ。
●そのころのOSは、子どもでもいじれるレベルだったから
当時のPCはできることが少なかった。新しいソフトを買うお金もなかったから、雑誌の付録をインストールしたり、OSの中をいじった。「そのころのOSは、子どもでもいじれるレベルだったから」
Painterの試用版も実は、OSを“だまして”入れていた。マシンのOSは、試用版が対応していないMac OS 7。メモリの空き領域も最低12Mバイト必要だったが、マシンは8Mバイトしか搭載していなかった。OSに8のふりをさせ、不要なプログラムを削除し、無理矢理インストールした。
さすがに無理をさせすぎたのか、ちょっとエフェクトをかけただけで処理に30分かかるなど、動作は極端に遅かった。保存や印刷といった機能も制限されていたから、描いた絵をキャプチャして保存し、それを印刷した。試用版は3年間使い続けた。
余裕のあるスペックで、絵やプログラムを作りたかった。高校のころ貯金をはたき、ストロベリー色の「iMac」と「Painter 6.0」を購入。本格的に描き始めた。REAL Basicもβ版のまま使い続け、自分のためにソフトやツールを開発した。
●ほかの人が漫画を読むように
「パソコン少年」ではなかった。中学でも高校でも、Macは暇つぶし。生徒会に参加し、スポーツもした。学園祭では、幅10メートルもある絵を描いたりもした。「家に帰って、やることがないとMacをいじってた。ほかの人が漫画を読むように」
インターネットがすごいらしい。そんな話も聞いていたが、特に惹かれなかった。描いた絵や作ったソフトを公開しよう、という発想もなかった。「ただ作りたいというだけが、モチベーションだった」
大学に入って一人暮らしを始め、目的もなくネット回線を引いた。サイト作成ツールを使って個人サイトも作ってみた。作るのは楽しかったが、それだけだった。
プログラミングに打ち込み始めた。画像関連のツールを作ったり、お絵描きソフトを作ったり――寝ないでプログラムした。ただ作るのが楽しかった。
●会社がお金をかけて作ったものより、自分が作った物が使ってもらえるなんて
あるとき何となく、自作の画像整理ソフト「絵箱」を、「Vector」に無料公開した。多くのシェアウェアを抜き、初登場で人気ランキングに入って「ちょっと味を占めた」。
「どこかの会社がお金をかけて作ったものより使ってもらえるなんて、びっくりした。作った物の出口が見付かったのが、面白かった」
ソフトを公開するのが楽しくなり、シェアウェアを駆逐してしまえ、という勢いだった。「でも今思うと、小遣い稼ぎでシェアウェアを作っている人に申し訳なかった」
絵箱は何千人、何万人がダウンロードした。フリーだけれど寄付歓迎。数人が2000〜3000円を寄付してくれた。わざわざメールで連絡をくれ、振り込んでくれた。
もらった寄付を開発期間で割ると時給40円。2〜3万円した開発ソフトの代金にも足りなかった。寄付を受け付けるのは、やめてしまった。
●絵では生活は便利にならないから、公開するという発想がなかった
Painterで描くことも、さらに楽しくなっていた。他人の絵を見るといても立ってもいられず、描きたい衝動に駆られる。「美術館に行って絵を見ても、すぐに描きたくなって出てきてしまう」
だが、絵を広く公開し、誰かに見てもらおうという発想はなかった。個人サイトに絵を“置いておく”ことはあったが、ただ置いておくだけ。何も期待していなかった。
「ソフトは誰かの役に立つ可能性があるから、公開する意味があると思っていたけれど、絵では生活は便利にならない。絵を描きたい人はいくらでもいて、供給過剰だと思ってた」
大学を卒業し、開発者の仕事を選んだ。「趣味でやっているうちにスキルが身に付いて、一番、食えるネタだったから」
●自分も動画の作り手側に、回れると思った
ニコニコ動画は友人に教えてもらったが、あまり興味がなかった。ニコニコで主流の、アニメやゲーム、2次創作は苦手。ごくたまにアクセスしては、猫動画やランキングを眺める程度だった。
小さいころから、漫画やアニメのキャラクターは描いたことがない。見るよりも作る方が好き。絵を見ると描きたくなってしまうから、他人の絵もあまり見ない。「オリジナルでないと面白くないし、その人がやる意味がない」
ニコニコ動画に投稿しようと思ったのは、友人の結婚式のビデオを作ったのがきっかけだ。Macにプリインストールされていた「iMovie」で、驚くほど簡単に動画を作れると知った。「自分も動画の作り手側に、回れると思った」
1枚の絵を描く過程をまるまる動画キャプチャして高速再生。「描いてみた」として投稿した。2次創作でもアニメ風でもない独自の絵柄。ニコニコ動画は、アニメっぽい絵でないと歓迎されないかと思っていたが、結果は違った。
「『空気読め』とでも言われるかと思ったけれどそうでもなくて、意外にも優しいコメントが付いた。たくさんの人が集まっているから、この絵がいいと思ってくれる人もいる。アニメやゲームは苦手で、今まで避けてきた分野だったけれど、ここなら一緒に楽しんでもらえる」
ニコニコ動画で絵を公開するのは、フリーソフトをVectorで公開するのと全く同じ感覚だった。だが、反響の大きさはけた違い。Vectorは、1000ダウンロードで1〜2人からメールが来る程度だが、ニコニコ動画は公開してから5分10分でコメントが付く。「新鮮で、面白かった」
●初音ミクは、絵描きにとってのPhotoshopと同じようなものになるかな
ニコニコ動画で起きていた「初音ミク」ブームは、遠くから眺めていた。「絵を描く自分のような人間と、音を作る人は、別コミュニティーだと思っていた」
音楽ソフトについてはよく知らなかったが、プロ向けのソフトがほとんどだと思っていた。Painterのような、プロもアマも使うすそ野の広いツールはあまりないのだろう、という印象があった。
だが初音ミクは違う気がした。「初音ミクは、絵描きがPhotoshopやPainterを使うのと同じようなものになるのかな、と」。ミクというツールを使い、独自の音楽世界を作り出すアマチュアが、出てくるだろうと思った。
その通りになった。
●誰にも取られたくない
昨年10月のある金曜日、「子猫のパヤパヤ」という優しい楽曲を見付けた。初音ミクが歌っていたが、それ以上のものだった。
「子猫のパヤパヤは 真っ白な猫で 左目が青くて右目が緑 お刺身についてる 大根が好きで 今日もむしゃむしゃと食べていたよ」
テンポ、ノリ、詞――曲の世界すべてが気に入った。初音ミクブームより前に作られた曲だと、すぐに分かった。ミクのキャラクターに依存しない、独自の世界を強く感じた。「やっと“ミクじゃない”のが来た」
この歌に参加したかった。この歌の一部を、自分のものにしたかった。絵を付けようと思った。歌に絵を付けるなんて、それまで考えたこともなかったから、自分でもびっくりした。
歌の背景には、作詞作曲者の「ワンカップP」が描いた「初音ミク」と「MEIKO」のイラストが付いていた。「これを描かないとダメかな」と思い、何度もトレースして週末じゅう練習したが「絶対違う」と思った。ミクの絵では、イメージが続かない。詞の世界を、自分の絵で表現したかった。
どんな絵にしようか。週明けから作戦を立て、金曜日の夜から眠らずぶっ通しで20時間、20枚を一気に描いた。20枚のウィンドウを1画面上並べ、下絵を描き、下塗りをし――並行して描いた。途中で切れたらダメだと思って一気に。それまで10時間かけて1枚描くという描き方が普通だったが、「誰にも取られたくない」という一心だった。
●許可取らなきゃ、まずいかな
「許可取らなきゃまずいかな」。描き上げ、ニコニコ動画にアップする直前にふと気付き、mixiでワンカップPを探し当ててメッセージを送った。睡眠不足のもうろうとした頭で、パヤパヤのすばらしさを熱く語ったが、返事はそっけなかった。「いま携帯から見てるから動画は確認できない。勝手にアップして」
“勝手に”アップした動画は2万回以上再生され、「かわいい」「癒される」「『みんなの歌』みたい」などとコメントで賞賛された。ワンカップPからも、「すばらしい動画をありがとう」と熱い感謝のメッセージが届いた。動画は新聞でも紹介され、編集者から声がかかり、絵本になることが決まった。
「自分の曲にも動画を付けてほしい」というオファーをもらい、「おやすみの歌」(OSTER Project作詞作曲)の絵も付けた。B0サイズの大きな絵や、CDのジャケット絵の依頼も受けた。たくさんの人と交流し、いろんな絵を描いた。イラストSNS「pixiv」にも参加した。
「ゆきP」という名で親しまれ、ファンもできた。mixiのプロフィール画像に、ゆきさんの絵を使っている人もいる。
「自分の絵が、誰かにとって特別な存在になるなんて、考えてもみなかった」
●出口が見付かった
ニコニコ動画以前も以降も、絵を描く時の気持ちは、全く変わらない。変わったのは絵を描くきっかけ、絵の「入り口」と、絵を出す先――絵の「出口」だけ。ほんのちょっとの変化だという。
「それまでは、自分の中にあるものをただ描くだけだったが、その逆のこと――自分の絵を素材として使ってもらうことができると知った。絵が自分の手から離れた後どうなるかが、変わってきた。ニコニコ動画で、出口が見付かった」
絵を描いてお金をもらうことも増えたが、絵でもうけたいとも、お金が報酬だとも思わない。「食べていけるお金さえあればいい。今、たまたま衣食足りているから、そう言っているだけだけれど」
ゆきさんにとっての報酬は「自分にとって、面白いこと」。「作っていて面白いとか、新しい人に会って面白いとか、自分が作ったものが気に入ってもらえることも含めて」
絵描きとしての目標やゴールも、特にないという。前からなかったし、これからも。
「強いて言えば昔は、『みんなの歌』のような動画や絵本を作ることは、名の売れた人しかできないから『すごいな』と思っていたけど、やってみたらできちゃったし、やってみたからといって、描くことの芯の部分は変わらなかった」
「そう考えたら別に、ゴールは決めなくてもいいのかなと。この先、絵の仕事をする機会が1度もなかったとしても、絵は描いているだろうから」
――あなたにとって、ITとは
「答えは2つあって、1つは、物の作り手としては、純粋にツールでしかない。たまたま紙とペンよりちょっと便利なもの」
「もう1つは、何か出口を作ったり、新しい入り口を作ったりするもの。ニコニコ動画には、今まで自分だけで作っていた、絶対世に出ていなかったものが投稿されている。しかも、そこで出て終わりじゃなくて、それがまた、入り口になる」
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初音ミク
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