桜井淳所長の技術批評は、これまでの著書等から読み取れるように、すべての"権威"と"技術基準"を疑うことから始まります。絶対に安易に妥協しませんでした。そのために、世界で採用されている米国機械学会(American Society for Mechanical Engineers)技術基準ASMEの解読と原子力施設の現場見学、さらに、聞き取り調査等を繰り返してきました。桜井所長は、『桜井淳著作集第3巻と第4巻』に示したとおり、原子力界の政治的メカニズムに重大な疑念を投げかけています。原子力界の政治的メカニズムに汚染されて組み込まれた元読売新聞社論説委員Nの主張のような、「原発の耐震安全性は国が責任を持って審査してきたから信頼できる」なる言葉に、嘔吐するほどの嫌悪感を持ち続けていたそうです。桜井所長は、古代科学やローマ帝国まで遡り、歴史的吟味をした上で、一般則を見出しています。常に、メイソン著『科学の歴史』(岩波書店)を読み直してきました。一般則とは、(1)国家判断には誤りがあること、(2)世の中の価値基準は常に変化していること、(3)技術基準は暫定的なものであって塗り替えの歴史であったこと、(5)人間は無知であること等です。Nのような国家盲従主義は、受け入れられないそうですが、それでも百歩後退して、美しいと思う反面、自身の思考を放棄した愚者の論理と位置づけてきました。 Nは今日の原発耐震安全評価の不確実性に起因する問題をどのように考えているのでしょうか。桜井所長の「原発耐震安全セミナー」に参加して、耐震安全の考え方のイロハから勉強し直したらいかがでしょうか。