今日の「ほぼ日」の一言。
(毎日更新されるので、
リンクじゃなく、引用で失礼します)
「いろんな人種の人たちが混じってるチームほど、
おもしろいものをつくるエネルギーを感じた」
「同じ種類の人の集団は、どうもおもしろくない」
うちのような小さな会社は
同じ価値観を持った人が集まるというか残る。
つまり、同じ人種だけになりがちだ。
そのことは作品の色がクッキリ出やすいという長所もあるけど、
たしかに、上の指摘のような予感はある。
耳が痛い。
上のようなことは、
ゲームの世界だけじゃなく、
どこの世界でも通用しそうな話だ。
ここのところは、若い人に入ってもらっている。
(年齢差は20才以上!)
対等に話し合いをすることで、
よい意味でカルチャーショックを受ける。
今後は、垂直方向(年齢)のギャップだけでなく
水平方向(違う価値観)のギャップも味わえるように
メンバーを構築していく必要があるんだろなー。
(でも、とりまとめが大変そうだなー)
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アメリカのゲームをやっていると
(といっても「撃ちゲーばっかりだけど)
ハリウッド映画を見ているような感覚になる。
はたまた、
ユニバーサル・スタジオのアトラクションに
のっているような感覚になる。
ゲームもアトラクションも映画も同じ手法に感じるのだ。
同じ所に楽しさの重点がおかれ、
同じ所がごっそり割り切られている。
・リアルにこだわる
・物語性
・一本道
・1アイデア
見る側、やる側の技量、つまり、
記憶や技術に頼らないで楽しんでもらう。
日本のRPGのようなお手伝いイベントや
複雑な迷路、正しい場所選びなどという遊びは、
かなりの記憶力を必要とする。
常時、かなりのことを覚えていないと解決しない。
こうしたゲームではおうおうにして、
頭が疲れる、疲れているときは出来ない、
間隔があくとわからなくなる、
こうした現象が起こるのはそのためだろう。
また、複雑な操作(複数の操作の組み合わせ)もまた
同じような現象が起こる。
それを是としないので、
1本道、1アイデアになるんだろう。
実際、アメリカのゲームは迷わない。
「×××に行け」という話を忘れてしまっても
矢印などでちゃんと誘導してくれる。
オンメモリーでプレイする必要が全くない。
物語性やリアリティーにこだわるのは、
そういう単調さを補うモノかもしれないし、
彼らの文化が
映画がベースにしているためかもしれない。
どこの国にもきっと固有の
文化のベースというのがあるんだろう。
それは
映画かもしれないし、音楽かもしれないし、
食文化かもしれないし、文学かもしれないし、
宗教や恋愛かもしれない。
それに根ざした創作物というのは、
その国民にフィットしやすいんだろう。
日本のそれはなんだろう?
多趣味で飽きっぽい性格の国民性なので、
うまく見えてこないと思うのは
あたしの目が節穴なせい?
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