「太平洋が『内海』となる日へ」と題した福田康夫首相の演説は、後に福田ドクトリンと呼ばれた1977年の福田赳夫首相のマニラ演説を意識し、新福田ドクトリンと呼ばれることを期待しているのだろう。
気になるのは首相らしい謙虚な表現手法である。例えば控えめに「法の支配」などの価値観を語った部分はきちんと伝わっただろうか。
77年のマニラ演説で当時の福田首相は(1)軍事大国にはならない(2)心と心の触れ合い(3)対等のパートナーシップに基づく東南アジア諸国連合(ASEAN)の強化――などを訴えた。経済大国は必ず軍事大国になるとする歴史の通説をあえて否定したのが福田ドクトリンである。翌78年には日中平和友好条約が結ばれた。
福田康夫首相とアジアとの関係の深さが語られるのは、父である赳夫氏の外交的業績との連想による部分が少なからずある。31年たち、世界は変わった。地球が小さくなるのがグローバル化だとすれば、太平洋が「内海」になるのは自然な結果である。
日本、中国、ロシア、南北アメリカ大陸、オーストラリア、ASEAN、インド、中東にまで連なる内海だとする首相の指摘は、改めて地球儀を眺めたい気分にさせる。内海を囲むのは世界の主要な諸国であり、それは世界経済の成長センターでもある。
マゼランが命名した太平洋は、現実には、必ずしも文字通りの「平和の海」ではない。北朝鮮の核問題など平和に対する脅威も数多くある。日米同盟をアジア・太平洋地域の公共財として強化していくとする日本政府の従来の方針を強調するのは当然だろう。
しかし演説は、これが福田色なのか、北朝鮮の核問題を単に「北朝鮮問題」と表現し「よりよい統治の仕組み」「透明で民主的な法の支配」といった価値観に関する訴えも、人口の都市集中の問題に紛れ込ませる論法をとる。静かな決意は重い決意かもしれないし、弱い決意ともとれる。発信効果に疑問符が付く。
チベット問題に対する言及はない。ASEAN共同体の実現を支持するというが、ASEAN諸国が頭を悩ますミャンマー軍事政権の問題点にも触れない。
アジア・太平洋の明るい部分に注目したい気持ちはわかる。が、問題部分にも触れ、その解決に日本や米国、ASEANがどう協力するかを語れば、責任ある態度となり、より深いメッセージになる。