警察介入の境界線は
福岡県筑前町の中学二年生=当時(13)=が、執拗ないじめを苦に自殺した問題で、同県警が暴力行為法違反(共同暴行)の疑いで同級生三人を書類送検、二人を児童相談所に通告した。県警側は「生徒らは中心メンバーでなく、処罰を求めない」としているが、警察の介入の境界線はどこにある? (山川剛史、竹内洋一)
「送検、通告した五人以外にいじめた生徒はいないのか慎重に調べ『死ね』『うざい』などの言葉が亡くなった生徒に発せられていた事実も把握した。その上で、少年について立件できる事件はこれがすべてと判断した」
福岡県警少年課の幹部は事件化の経過をこう説明する。
調べでは、この五人は、昨年十月十一日午後四時十五分ごろ、同町立三輪中学校の男子トイレで、同中学二年の森啓祐君の手足を押さえつけ、無理やりズボンを脱がそうとした疑い。啓祐君はこの後自殺した。
関係者の話を総合すると啓祐君に「死ね」など厳しい言葉を浴びせていた生徒は、今回、同県警が事件として取り扱った五人とは別に少なくとも三人いたとされる。この三人は容疑の場面でも遠巻きにして見ており、いじめの“中心グループ”とみられていた。
県警は、休日や放課後を使い目立たないよう、いじめに加わった可能性のある生徒たちに事情聴取していた。
しかし、事件化となると話は別。「言葉は学校内で日常的に飛び交い、必ずしも自殺した生徒だけに対して言われたものとはいえない。『死ね』と言った本人は相手が本当に死ぬとは想像もしていなかった」(幹部)として立件を見送った。
また、県警はトイレの一件で五人を立件しながら、「罰しないよう」地検などに求める処遇意見をつけた。極めて異例な扱いだが、幹部は「少年たちはたまたま居合わせたもので、(啓祐君の)自殺で精神的なショックも受けた。少年の健全育成のため、後は専門家の手に委ねるのが最善」と説明した。
筑前町役場では、送検などが発表された十九日、臨時の教育委員会を開いた。県警の対応にとまどいの声も出たが、約二時間の議論の末、「真摯(しんし)に受け止め、五人のケアをしっかりやり、学校全体で悪いことは悪いと指導していく」ことを確認したという。
中原敏隆同町教育長は二十日、取材に対し「全国的に注目された事件。県警には動かざるを得ない事情もあり、立件は相当に迷っただろう。当事者の生徒たちへの捜査は、親を立ち会わせるなど配慮してもらったし、罰ではなく、少年の健全育成をしっかり考えてくれた。次の前進につなげないと」と複雑な胸の内を明かした。
生徒の生徒に対するいじめの捜査は終了した。今後はいじめを誘発させた可能性も指摘される元担任教師に焦点が移る。
■“中心グループ”不問に疑問の声
今回の自殺の事情をよく知る関係者は指摘する。
「県警が生徒たちに反省を促し、健全育成を願うというのは納得できる。しかし、トイレの一件でたまたま手を出した五人だけが事件になって、日常的にいじめの言葉を発していた三人は何もなしでいいのか。このミゾを埋めるのは、教育現場の力しかない」
■捜査招いた教育現場
いじめに関連して警察が捜査に乗り出すケースは、四年連続で増加している。警察庁によると、昨年一年間に全国の警察が摘発・補導した小中学生や高校生によるいじめ絡みの恐喝や傷害事件は、前年比41・2%増の二百三十三件に上った。二〇〇二年の九十四件の二倍以上になり、ここ十年でも最多だ。
いじめ問題に詳しい中嶋博行弁護士は警察の介入を積極的に評価し、抑止効果に期待する。「警察はこれまで文部科学省や学校に遠慮していたが、今回、悪質ないじめには介入するという姿勢を明確にした。福岡県警は警察庁とも協議しているはずなので一県警のことではない。いじめる側にとって、次は自分が摘発されるのではないかというプレッシャーになる」
さらに「東京都の鹿川裕史君の自殺(一九八六年)から二十年、愛知県の大河内清輝君の自殺(九四年)から十年以上。従来の教育的手法では、いじめをなくせなかった。外部の力を借りて根絶する時期が来ている。いじめは犯罪だから、一義的な通報先は警察だ。教育の力でいじめる子を立ち直らせるという幻想を持ち続けるべきではない」と教育界に意識改革を促す。
自殺した森啓祐君の母美加さんを講義に招いたこともある大東文化大の村山士郎教授(教育学)は「一般的に、いじめ被害者がけがをさせられるような緊急の場合、警察が教育現場に入ることは否定しない」と強調する。ただし、今回の県警の捜査に対しては「まさに人権侵害が行われている、というケースではない」と否定的だ。
そして、「いま一番大事なのは、加害者の子どもたちが、いじめをしたということを素直に語り、自ら反省すること。傍観していた子にとっても、それを素直に認めることが大事だ。学校側がその取り組みを始めたところに警察が入ればそれが中断してしまう。子どもたちはいじめについて話すと、今度は自分が危ないと思い黙り込んでしまう」と懸念する。
わが子をいじめ自殺で失った親は、今回の捜査をどう評価しているのか。昨年十月に発足した「いじめ被害者の会」代表で、九六年に中三の四男を亡くした大沢秀明さんは警察の介入を招いた学校側の責任を指摘する。
「学校はいじめを知っているのに、いじめだととらえない。ただのトラブルとして双方に『仲良くしなさい』と指導するだけ。本来なら加害生徒に適切な措置をし、いじめの継続を断たないといけない。加害者の親にも事実を伝えず、親は自分の子をたたいてしつける機会すら奪われている。先生が生徒の安全に配慮する義務をきちんと果たしていれば、警察の厄介にならずに済んだはずだ」
九八年に高一の一人娘を失った特定非営利活動法人(NPO法人)「ジェントルハートプロジェクト」理事の小森美登里さんは「自殺直後に学校がいじめはないとうそをつき、加害生徒に反省を促す努力をしなかった結果だ。大きなニュースになったので、大人が落としどころとして、メンツを保つためにやったとしか思えない」と憤る。
■『先生の警察頼み怖い』
さらに警察の介入による影響をこう懸念する。「警察が入らなければ、被害者が殺されてしまうケースもある。だが、先生が警察に頼ってしまうようになることが怖い。警察に通報された子どもは排除されたと感じ、もっと大きな犯罪に走ることだってある。教師と生徒の信頼は失われ、いじめはさらに増えていく」
そして、こう訴える。
「いじめ自殺は肉体的な暴力やリンチが原因ではなく、言葉の暴力で心的傷害を受けた結果のことが多い。言葉の暴力を立件できないというなら、今後も子どもたちが死に続けることになります」
<デスクメモ> 両親とも小柄なので長男も小さい。四月から小学校だからいじめが気になる。保育園の先生に聞くと「息子さんは、はやす方になることもありますよ」と言われ恐縮する。同僚デスクは「ズボン脱がしくらいやったな」と言い、そういえば、とわが子ども時代を振り返る。後輩は言う「頼りは親だけですよ」。 (蒲)