[AML 19686] 言葉狩りの誤り(2)

菩提 bodhi at hyper.cx
2008年 5月 22日 (木) 02:12:01 JST


第2点。「支那」や「支那人」が差別語ではないことについて。この言葉
は「言論の自由を逸脱した人権侵害」でも「外国人を蔑視した言葉」でも
ありません。


ここでは、まず用語の定義をしておきます。

(1)現在の中華人民共和国(中共)から、チベット・ウイグル・内蒙古・満洲
を除いた地域を、ここでは「支那」と称します。(台湾は含みません)

したがって「支那人」はチベット人・ウイグル人・モンゴル人・満洲人を
含まない概念で、ほぼ漢民族に近い概念ですが、独立国家を持ったことの
ない一部少数民族も含みますので、漢民族よりは広い概念といえます。

(2)空間的概念としての「支那」「支那大陸」はほぼ同じものですが、文脈
によっては、後者は前者よりやや広い地域を指すことがあります。

(3)中共とは、1949年に中国共産党とその専属軍(人民解放軍)が軍事的に制
圧して成立した国家、およびその後に植民地化した地域を含めて指します。
つまり、チベット・ウイグル・内蒙古・満洲を含む現在の中華人民共和国
です。

(4)支那大陸には通時的な(歴史を一貫した)「国名」はありません。秦・漢
・隋・唐・宋・元・明・清・中華民国・中共などは、その時々の「王朝名」
であって、通時的な国名ではありません。支配者(集団)が変われば王朝名
は変わります。したがって、支那大陸に成立した諸王朝を通時的に一括し
て呼ぶとき、欧米が China等と呼ぶのに倣って、ここでも「支那」と呼び
ます。つまり、支那大陸に生起した諸王朝の総称を「支那」と呼ぶことに
するわけです。これは通時的概念、汎称としての「支那」です。この意味
での「支那」は時代によって版図が変わります。


さて、石垣さんは

> この文書中、中国人に対し「支那人」という言葉が使用されています。
> 現在「支那」という国家は存在していません。

と述べています。確かに「支那」という国家は存在していませんが、また
「中国」という国家も存在していません。

「中国」は略称だという意見もありますが、それは「中華人民共和国」の
略称なのでしょうか、それとも「中華民国」の略称なのでしょうか。いか
にも不正確だし不都合です。略称と強弁するのは無理でしょう。

では、「中国」の真相はどこにあるのでしょうか?

以下、順を追って述べます。

(A)「中国」とは、もともと固有名詞ではなく、自分の国を誇って言う美称、
もしくは尊称です。それは「世界の中央に位置する国」という、ごく一般
的な普通名詞です。

もともと支那大陸では中原に覇を唱えた国が、自国を誉め称えて「中国」
と自称しましたが、その本名は「秦」であったり「漢」であったりした訳
です。「中国」はあくまでも美称・尊称であって固有名詞ではありません
でした。

だから日本でも「中国」という美称が用いられました。「豊葦原の中つ国」
は言うまでもなく中国という意味の美称ですし、漢語の「中国」で意味し
たものは、日本では「日本国の美称」「国の中央部分」「天子の都の所在
地」「山陽道の総称」などであり、それらの意味で適宜用いられました。

『日本書紀』でも「中国」を日本の意味で用いていますし『太平記』でも
同様です。江戸初期の儒学者・山鹿素行の『中朝事実』に言う「中国」や
「中朝」も、日本や日本朝廷を意味しています。「中朝」といっても「中
国と日本」という意味ではなく「中国(=日本)の朝廷」という意味です。

このように、「中国」とは「自国を誇る美称」なのです。

これはインドでも同様です。仏教経典に頻出する「マディヤデーシャmadhya-
desa」とはインドにおける「中国」です。それは支那の中原(中国)と同じ
く、インドのガンジス河中流域を指す重要な概念でした。また、そこから
インド(天竺)そのものをも指しました。

重要なことは、支那人自身が「madhya-desa」を「中国」と漢訳しているこ
とです。漢訳仏典において「中国」といえばほぼ99%が「インド」または
「インド中央部」を意味しています。


(B)では、支那人は「中国(=インド)」に対して自国を何と呼んだのでしょ
うか?

一つは「王朝名」(唐・宋など)で呼ぶか、またはサンスクリット語「cina」
(チーナ=秦に由来)に基づいて「支那」「脂那」「至那」等の通時的呼称
が用いられました。これらは「cina」の漢訳語です。また「cina-sthana」
(チーナ・スターナ=秦土に由来)の漢訳語として「震旦」も使われました。
漢訳仏典における頻出度をみれば「震旦」と「支那」が圧倒的に多いこと
が分かります。

つまり「支那」は「支那人自身が好んで使った自国の通時的呼称(汎称)」
と言えます。

仏典の漢訳は、ほぼ2000年前に始まりましたから、支那人による「支那」
という自称も、それに近い、長い歴史を背負っているわけです。


(B)日本では、弘法大師空海が『性霊集』で「支那の台岳は曼殊の盧なり」
と書き、これが「支那」の初出です(平安時代9世紀前半)。意味は「支那
の五台山は文殊菩薩の庵である」ということ。もちろん、何も悪い意味が
ないことは一目瞭然です。五台山は太古からそこに存在するわけですから
「唐の五台山」というよりは通時的に「支那の五台山」といった方が相応
しいでしょう。また前後の文脈から「インドではなく支那の」という語感
も込められています。

空海は唐の恵果阿闍梨に師事し、数千人の支那人僧侶を差し置いて、唯一、
密教の秘伝を授けられ、胎蔵曼荼羅・金剛界曼荼羅その他の法具を贈られ
た最高の弟子です。密教の法統を伝えるべき唯一の正統な後継者と指名さ
れた人ですから、支那や支那人を悪く言うはずがありません。

「支那」という言葉は、こうして日本仏教界でも使われ始めました。支那
においても日本においても、仏教界で「中国」といえば「インド」のこと
を指していたわけですから「支那」の使用は当然でした。

※だから、仏教学・インド学では戦後もずっと「支那仏教」という言葉が
 使われてきました。中村元などの著書もそうです。「中国仏教」という
 言葉は紛らわしいからです。(しかし近年、出版社の自己規制によって
 「支那仏教」が「中国仏教」に書き換えられています。愚かな措置です)

空海の後も、『今昔物語集』(12世紀前半)その他の書物などで「支那」は
使われました。

※広辞苑や、その他の大型国語辞典でも、「支那」は江戸中期から使われ
 始めた言葉だと記してありますが不正確です。上に記したように初出は
 空海ですし、その後も使われています。国語辞典編纂者は仏典や古典に
 関する知識が不十分なのでしょうか。Wikipediaも同様。過信するのは
 禁物です。


(C)仏教界以外の日本社会では、支那大陸の諸王朝に対する汎称として「漢」
(から)、「唐・唐土」(もろこし)等が用いられ、漢文・漢籍・唐人などの
言葉にその名残がありますが、江戸中期になると、学者たちが汎称として
「支那」を使うようになりました。もちろん、そこに差別的ニュアンスは
ありません。儒学者などは支那を尊敬していたわけですから。


(D)明治以降の近代化に伴い、漢・唐などの「王朝名」と、通時的・地理的
呼称(汎称)とを明確に分けるべきだという考えが定着し、後者を「支那」
とすることが一般化しました。これは江戸時代からの流れを受けた上で、
さらに西洋の学問を通じて入ってきたChina, Chineseという英米語の訳語
としても「支那」「支那人」が適合していたからでもあります。

その流れを受けて「漢文学」が「支那文学」に変わったことなどは顕著な
例といえます。当然「支那仏教」はこれ以後、完全に定着しました。

「支那」も「China」も、語源はインドの「Cina」に、さらに遡れば漢語
の「秦」にあったわけですから、「支那」と「China」がピッタリ適合し
ていたのは当然のことです。

日清戦争後には、日本の明治維新と近代化に学ぼうとする清国の留学生が
多数来日しましたが、彼らは自国を「中国」と呼ぶことをはばかり、自ら
「支那人」と称しました。日本での支那の汎称を自ら採用したわけです。
英仏独に侵略され、日本との戦争に負けた清国が「中国(=世界の中心国)」
だとは恥ずかしくて言えなかったのでしょう。

また、それだけでなく、積極的な意味もありました。満洲人の支配する清
王朝を倒し、漢民族の国家を再興したい、という民族主義も台頭していた
からです。「清国人」と自称するより「支那人」と自称した方が民族主義
的な機運に適合していたからです。すなわち、その意味で「支那」および
「支那人」は、満洲人の清王朝を打倒したい漢民族にとって相応しい自称
だったわけです。このように日清戦争での敗北は、清国に流動化と近代化
の渦を引き起こしていました。


(E)この時期、日本に亡命した梁啓超は、明治の日本で作られた和製漢語
(西欧語の訳語)を精力的に母国に紹介し、また新しい思想を紹介しました。
日本で作られた漢語は、哲学・思想・政治・経済・科学・技術・制度など
の分野で多岐にわたりますが、支那に逆輸出された漢語は複合語を含める
と10万語を超えるとも言われており、現代北京語は和製漢語なしには成り
立たないほどです。当時、支那ではほとんど忘れられていた「支那」の語
も逆輸出され、一部知識人学生の民族意識の覚醒に利用されました。孫文
の片腕だった戴季陶は非常に流暢な日本語を操る支那人でしたが、自国民
向けに日本を絶賛する日本論を書いて「日本を見習え」と自国民の覚醒を
促しました。彼も日本語の文章では「支那」を使っています。

日本の国家主義的右翼の玄洋社、黒龍会などは、支那革命をめざす孫文を
物心両面で支援し、頭山満、内田良平、北一輝などが活躍したことはよく
知られています。北一輝には『支那革命外史』という著書があります。彼
は宋教仁と親しく、ともに銃弾をくぐった仲です。宋が暗殺された時は、
真犯人は孫文だと主張して支那から追放されますが、帰国後、北を頼って
亡命来日する革命家が多く、なかでも暗殺された譚弐式(譚人鳳の息子)
の遺児を引き取り、大輝と名づけ、自分の子として育てたほどですから、
彼ら右翼が使う「支那」に侮蔑的な意味は全くありませんでした。

それに先立ち、北一輝は東京で孫文らにより結成された「中国革命同盟会」
に入党していますから、支那人が自国を「中国」と名乗ることには抵抗を
感じていなかったわけです。当事者が自国を美称で呼ぶ分にはなんら問題
はなかったのです。しかし、北自身は「支那」を常用しています。孫文も
自国を「支那」と書いた例がありますし、魯迅も「支那」を使っています。

「支那」に侮蔑的な語感があったとしたら、誇り高い支那人たちがそれを
使うでしょうか。日本語を十分に理解していた戴季陶や魯迅が使っている
事実は、それを否定しています。戴季陶の日本語による演説は日本人以上
だと高く評価されていたほどで、彼は日本語の小説を書くほど日本語には
堪能だったのです。

以上の例を見れば、「支那」に差別的・侮蔑的なニュアンスがあったとは
到底いえません。


(F)しかし、日清戦争で支那に勝って以降、日本人が支那人を見下すように
なり「支那」という言葉に侮蔑的な意味が加わったという意見が根強くあり
ます。

東本高志さんが[AML 19681]で引用している『人民日報』の記事:

> 「日本の社会が「支那」という言葉を使って中国を軽蔑の意味を込めて称し
> 始めたのは、中日甲午戦争で清が敗れた時からである」
> 「そのときから、「支那」という言葉は日本では戦敗者に対する戦勝者の軽
> 蔑的感情と心理を帯びたものになり、中性的な言葉からさげすむ意味合いの
> 言葉に逐次変わっていった。

も、そうした意見のひとつですが、事実を調べれば、そうした解釈が何の
根拠もないことは、上記 (E)の多くの事例から明らかです。

当時の日本人がいかに支那の近代化に協力し、支那革命を支援したか、と
いう事実をまったく伏せて、「勝者が敗者を見下した」という、もっとも
らしい理由を付けて、「支那」という言葉に侮蔑的な語感が生じたという
コジツケをしているに過ぎません。

これは、どうしても日本には「支那」を使わせまいとする中共の権力者の
意志に仕える屁理屈(事実に反したコジツケ)でしかありません。すなわち、
上のような日清戦争での勝利が「支那」を侮蔑語にしたという俗耳に入り
やすい解釈は、まったく根拠がないのです。


(G)すると、今度は「支那事変(日中戦争)以降、『支那』に侮蔑的・差別的
な意味が加わった」とする意見が出てきます。

しかし実は、これも当たっていません。もし「支那」にそのような語感が
伴っていたとしたら、日本の体制を転覆しようと活動していた共産主義者
やアナキストらの左翼運動家は、「支那」という語を忌避したはずです。
彼らはコミンテルンを介して、支那の共産主義者と同志として連携してい
たからです。支那にあるコミンテルンの極東支部から資金援助まで受けて
いましたから、資金提供者を失礼な差別語で呼ぶわけがありません。

ところが実際には、彼らも「支那」を使っていたのです。それは「支那」
に差別的な意味合いがなかったことを証明しています。その具体例は沢山
ありますが、まず支那事変以前の例から引けば、大杉栄が『労働運動』に
書いた「日本の運命」の中に「日本は今、シベリアから、朝鮮から、支那
から、刻一刻分裂を迫られてゐる」という文章があります。その他、多数。
大杉栄は当時、支那のコミンテルン支部から資金援助を受けていました。
しかし、当時は右翼も左翼も「支那」を使うのが当然だったのです。それ
は無色透明な一般的な呼称に過ぎなかったからです。

のちに、ゾルゲ事件でコミンテルンのスパイとして逮捕された尾崎秀実が
支那事変後に書いた本のタイトルは『現代支那論』(1939年)でした。この
本の中には「支那」が掃いて捨てるほど出てきます。もちろん「支那」に
差別的な意味はありません。「中国共産党」は党の固有名詞ですからその
まま「中国共産党」と書かれています。これはまさに戦時中の文章です。

日本の社会主義・共産主義運動に草創期から参画していた正真正銘の左翼
で日本共産党(=コミンテルン日本支部)の創立メンバーだった荒畑寒村が、
戦後の1946年、自分の経歴(左翼運動歴)を記した『寒村自伝』(後年大幅
に増補された『寒村自伝』の初版)を出版しましたが、同書の中でもごく
普通に「支那」という呼称が出てきます。例えば「在留支那人と日本人の
妻との哀別離苦、または故国に帰る支那人の父親と出征する日本人の息子
との、義理と人情との相剋煩悶」といった具合です。

荒畑寒村は戦時中、投獄されても転向しなかった左翼で、戦時中の大多数
の日本人とは違って、ソ連や中国共産党にシンパシーを持っていた人です
から、もし「支那」に差別的・侮蔑的ニュアンスがあったのなら、戦後に
執筆した著書でわざわざ差別的表現を使うわけがありません。彼は日本の
社会主義化のために国会議員にまでなったのです。その荒畑が「支那」と
書いているのですから、その言葉には差別的・侮蔑的な語感などなかった、
といって間違いありません。ただし後年、増補したり、1975年に岩波文庫
に収録されるにあたって「外国の人名や地名を修正した」そうですから、
文庫版には「支那」と「中国」が混在しています。

また、片山潜の親密な同志かつ日本共産党の創立メンバーの1人であり、
上海のコミンテルン支部との連絡役を務めた近藤栄蔵が、やはり敗戦後に
出した本『コムミンテルンの密使』は、特高警察から追われる心配がなく
なった時代(1949年)の出版物ですが、この中でも「支那人」がごく普通に
使われています。もちろん、党名である「中国共産党」だけは固有名詞で
すからそのまま使われていますが、それ以外は「支那」です。この本は、
過去の(草創期の)日本共産党の秘密行動と自分自身の失策を告白した本で
すが、戦後の共産主義者にエールを送る本でもあります。

つまり、戦前も戦中も戦後も、とくに同志たる中華人民共和国の成立時期
(1949年)でも、左翼が依然として「支那」を使っていたのです。「支那」
に差別的な語感がなかった証左です。その他いくらでも事例はありますが、
もう十分でしょう。

この時期がすでに1946年の外務省の「『支那』使用禁止」通達以後である
ことに注意すべきです。これらは当然GHQの言論検閲下での出版でした。
ということは、GHQも左翼も「支那」という語を絶対に禁止すべき呼称
だとは考えていなかったことを明瞭に示しています。なぜなら、それは、
「戦勝国」に対する「蔑称」ではなかったからです。


(H)「いや、戦時中には『膺懲支那』という標語があって、日本人は明らか
に支那を蔑視していた」という人もいます。

では、「鬼畜米英」なる標語があったからといって「米英」が侮蔑語かと
いうと、そうではありません。「鬼畜」が冠されても「米英」が侮蔑語で
ないように、「膺懲」(ようちょう=うちこらしめる)が付いても「支那」
そのものは侮蔑語ではありません。要するに、こうした意見は、為にする
口実でしかありません。

「支那」が侮蔑語・差別語・蔑称でなかったことは以上で明白でしょう。


(I)では、なぜ戦後、時間が経つにつれて「支那」が「中国」へと変わって
いったのでしょうか? 「支那」に差別的語感がなかったにもかかわらず、
です。

その理由は明白です。蒋介石の中華民国が「戦勝国」として、GHQ占領
下の日本政府に「支那という呼称を使うな」と要求してきたからです。

当時、GHQは「大東亜戦争」という呼称を禁止し「太平洋戦争」に変更
させました。これは米国の洗脳政策の一環でした。蒋介石はそのどさくさ
に紛れて「支那」を禁止し、「中国」または「中華」と呼ばせました。

つまり、敗者(日本)は、勝者(支那)より下の身分であることを示せ、とい
う命令です。もちろん中華思想によるものですが、これは米国という「虎」
の威を借る狐、のやり方でした。

日本政府はやむをえず1946年の外務省次官・局長通達で、公文書や新聞で
「支那」を使うことを禁止しました。その中に「理屈抜きにして先方の嫌
がる文字を使はぬ様に」との言葉が書かれています。つまりこれは「理屈
ぬき」の命令だったのです。

「先方の嫌がる文字」というのは、実はウソで、支那で生まれ育った支那
人の多くは「支那」という言葉そのものをほとんど見たことがないのです。
だから、それを嫌がるわけがない。「卑弥呼」や「東夷・西戎・北狄・南
蛮」のような《卑字》が使われているわけではないので、文字面から侮蔑
感が生じるわけもありません。何より、古代において支那人自身が「自称」
として漢訳した言葉ですから、侮蔑的語感を伴うはずがありません。

では、在日の支那人はどうだったのでしょう? 「支那」からどんな印象
を受けたのでしょうか?

終戦直後の在留支那人によって書かれた文章は見つかりませんので、ここ
では私自身が知っている支那人の回想を紹介します。

以下は、昭和20年頃に日本で生まれ育った庚(こう)氏の話です。彼の両親
は戦前からの在日支那人。庚氏自身はほぼ完璧なバイリンガルです。彼の
ように両国語を理解する人でないと、差別のニュアンスまでは分からない
でしょう。

庚氏がまだ小学校高学年だった昭和32年頃、日本人の同級生から「庚クン、
君は支那人って言われたら腹が立つの?」と質問された時、彼はこう答え
たそうです。

「別に。日本人は日本人、支那人は支那人だろ? 親父は家では中国人と
言うけど、外では支那人と言ってるよ」と。

当時はまだ、日本人も支那人も、大人たちの日常会話の中では「支那」が
生きて使用されていたことが分かります。戦勝国民なのに、庚氏の父親は
「支那人」を侮蔑的な言葉だとは認識していなかったようです。私自身も
身近な大人たちがよく「支那」という言葉を使っていたことを鮮明に記憶
しています。支那人を誉める場合も、です。

それから数十年後の最近、庚氏は同窓会で再会した同じ同級生から「最近
は皆、支那人って言わなくなったねぇ。日本人は日本人、支那人は支那人、
なのにね」と、昔を回想しながら同意を求められました。

しかし、庚氏はこう答えたのです。

「最近はオレも支那人と言われるのが嫌なんだよ。例えば、以前は同級生
から『庚クン』と呼ばれても平気だった。お互いにクン付けだったからね。
だが、やがて皆がオレを『ご主人様』と呼ぶようになったとしよう。オレ
は相変わらず皆をクン付けで呼んでいるとする。それが何十年も続いた。
ところが、同級生の中に1人だけ『庚クン』と呼ぶヤツがいると、オレは
そいつに見下げられたようで嫌な気分になる。『中国人』と『支那人』の
語感の違いは、そんな感じだよ」と。

つまり、「中国人」=「ご主人様」で、「支那人」=「対等なクン付け」
という語感の違いを感じる、というのです。

(庚氏の比喩にしたがえば)蒋介石は、支那人を「ご主人様」と呼ぶように
日本人に強制したわけです。しかも「理屈ぬきの命令」で。

それに従わない日本人がいると「中国人を差別している」と非難します。
「こちらの嫌がる呼び方をするのは差別だ」という屁理屈です。まったく
奇妙な、ヤクザの因縁のような屁理屈です。


(J)ところが支那におもねって、そんな屁理屈を支援する人々がいました。
共産党・社会党をはじめとする左翼運動家たちです。(マスコミは日本が
独立を回復した後でも「支那」の使用を自己規制し続けていましたから、
一般人も次第に「支那」を使わなくなりました)

そうした一部日本人たちが「『支那』は差別語だ」と言い始めたのです。

マスコミが「支那」を使わなかったり放送禁止用語にしていたりすること
で、次第に「差別語だ」という《誤った認識》が広がるようになりました。
ちょうど「部落」を使わなくなったのと似ています。

繰り返しますが、「特殊部落」は差別語ですが「部落」は差別語ではあり
ません。同様に「チャンコロ」は差別語ですが「支那」は差別語ではあり
ません。差別語というのはまったくの《誤認》です。

「使われる場面によっては差別的ニュアンスが加わる」などという反論も
予想されますが、それはあらゆる言葉に適用できる理屈であって、そんな
反論は無意味です。どんな言葉でも使われる場面によっては差別的に利用
することができます。どんな場面でも「善意だけを示す言葉」なんて人間
社会には存在しません。

例えば、スターリン独裁下のソ連では、「スターリン万歳」という言葉は
誰が聞いても「良い言葉」でしたが、それすら「スターリン否定」の表現
に利用されました。

ある演説会で、登壇者がスターリンを称賛する演説を始めたところ、聴衆
は猛烈な勢いで「スターリン万歳!」を叫び始め、会場は万歳の嵐となり
ました。演説などまったく聞こえません。演説家はすごすごと降壇せざる
を得ませんでした。

「使われる場面によって差別的ニュアンスが加わる」から「支那」を使う
な、というなら、すべての言葉を使うな、ということになります。愚かな
主張です。

さて、話を戻しましょう。

その後、日本に留学などで来た支那人たちに、日本人がわざわざ「支那と
いう言葉は、日本では差別語なんですよ」と吹き込みました。そんなこと
は、日本語のニュアンスの分からない留学生は、もともと知りません。日
本人から教えられなければ分からないのです。一度教えられたら、彼らは
「支那人」という言葉に反発するようになります。

まさしく「虚構の差別語」です。

留学生たちは帰国後、「日本では『支那』は差別語だ」と吹聴します。

すでに1946年の外務省通達は失効しているにもかかわらず、いまだに支那
を「ご主人様」と呼び続けるのは、マスコミに巣くう無知な「正義漢」と
支那におもねる左翼運動家の「理屈ぬきの」愚行のせいです。

「部落」が差別語でないのと同様、「支那」も差別語ではなかったのに、
一部運動家とマスコミが極度の「言葉狩り」と「自己規制」をしたために、
その言葉を使用するのが「悪いこと」であるかのような錯覚が生じてしま
ったのです。

そういう状況に反発して、「支那」をあえて使う人が嫌中派や右翼に多い、
というだけで、言葉自体には何も問題がないにもかかわらず、「支那」を
「やはり差別語だ」と言い募り、蒋介石や中共指導部の思惑どおり「支那」
を《死語》に追い込もうとしているわけです。

日本人が「支那」を使わず、「ご主人様」に等しい「中国」を使うことは、
蒋介石のみならず中共の為政者にとっても都合がよいことなので、中共も
「支那」の使用を「嫌う」振りをしていますが、実際には中共の一般国民
には「そんなの関係ねぇ♪」ことなのです。


(K)現在、中共で出版されている国語辞典『漢語大詞典』の中で「支那」の
項には「『秦』の音の訛りであり、古代インド、ギリシャ、ローマ、日本
などが我が国を呼ぶ名である」と書いてあるそうです。差別的な語である
などとは一言も書いてないのです。つまり、前述のように、中共国内には
「支那」を差別的呼称・蔑称とする一般的な通念が《現在も》存在しない
のです。

だから、中共の一般国民はそれに無関心であり、また「支那」という言葉
を初めて聞いた人も、「支那のどこがいけないの?」という感想しかない
のです。要するに、誰も「痛みを感じていない」わけです。


(L)ところが、日本で「『支那』は差別語です」と教えられた留学生たちは
「支那」という言葉に我慢ならなくなって帰国します。虚構を教えられた
洗脳効果です。

留学生や研究者たちは帰国後、このことを上部組織に訴えます。さらには、
中共国内で最大級のポータルサイト「シナ・ネット」にも噛み付きました。

「日本人が『支那』を使う口実を与えるから『シナ・ネット』改名しろ」
と要求したのです。

まったく溜め息が出るほど愚かな話です。吹き込んだ日本人も、吹き込ま
れて鵜呑みにした支那人も、絵に描いたような愚かさです。

もともと支那の人々は「シナ」という言葉に「何の痛みも感じていない」
からこそ、「シナ・ネット」というサイトが大繁盛しているというのに、
わざわざ「日本人に嘲笑されるから改名しろ」などというのはマンガ以下
の愚論です。南太平洋にある「エロマンガ島」は日本人に侮辱されるから
改名すべきなのでしょうか?

「シナ・ネット」の経緯を東京新聞が伝えていますので引用します。

> 東京新聞ニュース 2000年9月22日:【国際】「シナはべっ称でない」中国

>   最大級ネットが改名拒否

> 【北京21日清水美和】中国で最大規模のポータルサイト「シナ(sina)・ネット」を
> 経営する新浪網公司は二十一日、本紙の取材に対し「シナ(支那)は中国へのべっ称」
> と一部の学者などから出ていた改名要求を拒否する方針を表明した。「シナは英語の
> チャイナを語源としており、それ自体に侮辱の意味は込められていない」というのが
> 理由だ。
> 
>  最近、「中国青年報」など一部新聞が、中国最大のネットが「シナ」を名乗るのは
> 国辱的だと、日本から帰国した学者などの意見を紹介する形で批判。北京大学の劉金
> 才教授は「日本が中国への侵略を開始するにつれ中国へのべっ称として使われるよう
> になった。シナは支那と発音が全く同じであり、もし日本で中国のことをシナと呼べ
> ば中国人とけんかになる」と名称の再考を促した。
> 
>  これに対し新浪網広報部は「シナは英語のチャイナの過去の発音。中国の英語名を
> 変える必要がありますか。シナに侮辱の意味が込められているというなら、自身の国
> 家を強大にすればいいだけの話。新浪網は将来、シナを世界のブランドにし、中国人
> が誇れる呼び名にする」と批判を一蹴(いっしゅう)。シナ・ネットにも「欧米人に
> チャイナと呼ぶのを許しながら日本人にだけシナと呼ぶのを許さないのは不公平」な
> ど同社を支持する意見が寄せられている。

新浪網「シナ・ネット」も、その支持者も、健全な判断をしています。

まさに、「支那(シナ)」がダメなら「China」その他の外国語もダメ、と
主張しなければ辻褄が合いません。

日本の一部の差別論者たちの馬鹿さ加減が、健全な判断の前に恥をかいた
瞬間です。中共にも良識派はいるのです。


(M)それでも日本では、「支那は差別語だ。人権侵害だ」と言葉狩りをする
「無知な正義派」が後を絶ちません。その言葉狩りの感性が、独裁主義的
・全体主義的な言論弾圧と通底していることを自覚できない人々です。

そんな人々は、ジョナサン・ローチの爪の垢でも飲んだらどうでしょうか。
ローチ(Rauch「ラウチ」とも)はユダヤ人で同性愛者。ユダヤ人としても
同性愛者としても厳しい差別や迫害を受けてきた人です。

彼は著書『表現の自由を脅かすもの』の中で、人道主義者や環境至上主義
者が「人を傷つけるような言葉や思想は暴力である」と考え、人道主義を
他人に強要し、言葉狩りや思想狩りをすることを厳しく批判しています。
正義や人道の名においてなされる主張は、一歩間違えば、昔のような宗教
裁判や魔女狩りといった全体主義的な思想統制になりかねない、というの
です。まことに正当な指摘です。

彼の「ネオナチの主張も、反同性愛団体の主張も、絶対に弾圧・削除して
はならない」という主張こそ、成熟した民主主義・自由主義に必要なもの
です。彼はユダヤ人かつ同性愛者として、自分の不倶戴天の敵であるはず
のネオナチや反同性愛団体の差別的侮蔑的言辞をも弾圧したり削除したり
せず、絶えず批判し合うことで、より「強靭な表現・言論の自由」を育て
るべきだと言います。

「正義」や「人道」の名の下になされる一見優しい主張が、じつは「表現
や思想の自由を根本から腐らせる」のです。

「チャンコロ」という立派な(?)差別語があるのに、根拠もなく「支那」
を「差別語だ」と盲信し、「言葉狩り」に熱中する人々は、いったい何を
目指しているのでしょうか? 根拠なく支那人を煽ったり、支那人のご機
嫌取りをすることが「日中友好」に役立つとでも思っているのでしょうか?
それとも、誰かの指令なのでしょうか?

いずれにしても、その種の言葉狩りは、愚行というほかありません。

彼らは、ローチの指摘のみならず、厳しい差別と闘ってきた日本の被差別
部落民による「水平社宣言」の次の一節にも耳を傾けるべきでしょう。
ここには透徹した鋭い認識があります。

いわく──
「これらの人間をいたわるかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落さ
せた」



それでも、なお「支那」が差別語であり「言論の自由を逸脱した人権侵害」
であると主張し、使用禁止を他者に強要するのであれば、その言葉狩りの
好きな人々から是非《その正当な根拠》をご教示いただきたいと思います。
私が不勉強で、知らないだけかもしれませんので。

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※なお、私はふだん「中国」を使います。以上のような「支那」の正当性
 を、その都度いちいち説明するのは面倒ですから。ヒステリックな言葉
 狩り主義者のご活躍のたまものです。

-- 
菩提






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