伊東 乾の「常識の源流探訪」 「数値目標」が判断を誤らせる 行政の社会的責任と合理化の死角(CSR解体新書42)
2008年5月21日(水)09:00タレントで弁護士の橋下徹氏は財政再建を旗印に選挙戦を戦って大阪府知事に当選しました。2008年2月6日に行われた知事就任後最初の記者会見で橋本氏は「財政非常事態宣言」を出しています。今回はまず、この「非常事態宣言」という言葉に注目してみましょう。
辞書で調べると「非常事態宣言」とは、主として国家の運営が何らかの理由により破綻の危機に瀕し、これに対して「平時の法制を超えた措置を実施すること」を最高責任者が発令するものとされます。テレビの演出にも通じているはずの橋下氏やそのブレーンたちは、あくまで比喩、ないしキャンペーンとして、この「非常事態宣言」という言葉を使ったのでしょう。しかし、言葉の定義を厳密に考えるなら、これは大変に不用意なことです。なぜなら選挙という民主的な手続きで選ばれたはずの候補者が、知事に就任早々「平時の法制を超えた強権」の発動を宣言している、と誤解されても仕方がないからです。
当選直後の戒厳令?
通常「非常事態宣言」が発せられる対象としては外国からの武力攻撃や内乱、暴動、テロ、大規模災害などが挙げられますが、橋下氏は財政再建に関して平時を超えた強権を発動しかねないと、就任早々宣言している。
通常の「非常事態宣言」発令に際して行われる措置には、警察および軍隊を含む国家公務員の動員、公共財の徴発、検問や家宅捜索などの許可、特に内乱に際しては集会の自由やストライキなど市民の権利を制限する措置も含まれる。こうした市民の権利制限が強くなると、性格として戒厳令に近くなってしまいます。
この最初の記者会見で橋下氏はまた。2008年度予算は前年比で「1000億円削減する」と明言してしまいます。この「1000億」という数字の算出根拠はよく分かりませんでした。が、ともかく一度「1000億削るんだ」という「数値目標」が立ってしまうと、それに向けて物事が動き始めてしまいます
「子供が笑う」をキャッチフレーズに当選した橋下氏が、最初の記者会見で「財政に関しては戒厳令を発布します」と公言した。このことの意味や責任は、以下の経緯などを見るにつけても、きちんと考えておく必要があると私は思います。
拙劣な「合理化案」
果たして、上の記者会見から2カ月ほどが経過した4月11日、橋下氏のブレーン集団「大阪府改革プロジェクトチーム」は、事業費や人件費などの削減によって平成20年度に1100億円の収支「改善」を図る「財政再建プログラム試案(PT案)」を発表します。若い橋下知事の「聖域なきゼロベース」での見直し方針に従って、高齢者、障害者、乳幼児を対象とした医療費補助削減のほか、私学助成のカットなど、府民生活に直接の影響を与えるものに踏み込んだ「大胆」な改革案が、2カ月ほどの短期間でまとめられました。
別の言い方をするなら、知事が公言してしまった「1000億」という数値目標に無理やりでも合致するようなプランが、2カ月程度の突貫工事で作られたとも言えるでしょう。
知事が各種人権団体などを含む「聖域なき改革」を掲げたことを評価する人もいます。確かに、慢性化した不健全な財政の正常化への決意自身は、その意気やよし、とすべきでしょう。しかし「PT案」内で同時に示された「府公務員人件費一律1割削減」「文化施設や文化団体、イベントへの援助打ち切り」などの方針の中でも、人件費削減はたった数日の内に予算案に計上しないことになりましたし、そもそも選挙で公約していた「原則として府債は発行しない」という大方針も、当選翌月に直ちに放棄され、160億円ほどの建設事業費用府債の発行が決定されました。私学助成金の削減も撤回されます。こんな具合で声の大きな圧力団体が存在する分野に関しては、就任早々公約と正反対の「現状維持」が続きますが、そうした反発の少ない分野では「公約遵守」なのか、「財政戒厳令」の施行が継続されそうな勢いです。その最たるものが文化や福祉の政策にほかなりません。
行政の社会的責任
私のホームグラウンドであるクラシック音楽の分野でも、大阪センチュリー交響楽団への助成が大幅に削減されることになりました。今年度は前年度比1割弱の削減ですが、来年度は補助自体をまるまる廃止する方針、と聞いています。これは、まともな社会人が計画性を持って立てる「2年度計画」と呼べるものではありません。2カ月の急ごしらえで作った「PT案」の中でも、最も拙劣かつ乱暴極まりない「支出削減案」の1つと断言してかまわないでしょう。
当然ながら、大阪では「オーケストラを守ろう」という声が沸き上がり、署名運動なども起こっています。ただ、先月関西でオーケストラの仕事があり、そこで私も現地の声を聞いてみたところ「ほかにも痛み分けをしている分野があるので、私たちオーケストラだけを、とは強く言えない…」と困惑する現場のホンネも聞きました。
「財政が危機に瀕している」という「非常事態」で「戒厳令」が発布され、「聖域なき改革」の旗印で極端な支出削減案を、経験の少ない若いスタッフが短期間に作り上げる。そのこと自体を悪いとは必ずしも言えないかもしれません。慢性的な財政破綻に苦しむ地方自治体としては画期的な、カンフル注射的な効果は上がったでしょう。
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