2008年03月28日 千石正一(動物学者/財団法人自然環境研究センター 研究主幹)
~「申」を食べる ~
脳までも食べなさる
猿曵はもともと厩の祈祷を業とした民間の陰陽師だったのである。日本に馬が渡来したときに、馬医の呪術として、猿を使う文化も伝わったのだ。その源流はインドにあり、ガンダーヴァの賤民は馬と共に猿を連れ歩き、芸を見せ歩いていたという。
馬を保護する猿、という発想の根源には、猿が人に似て、かつ人ではない存在であることがあげられよう。猿は従って山神と人の両方の使者となりうる。馬は家畜であり、人の支配下にある。獣としては山神の管轄下である故に、馬は神と人の二重支配下にある。両方の使者たる猿が馬を監視するのは、役としてはまっていよう。
殺生戒も何のその
仏教の伝来と共に、日本には殺生禁止の歴史がある。飛鳥時代の676年に「馬牛犬猿鶏の食肉禁止」が始まり、猿を食うな、と明記してあるにもかかわらず、猿は食べられ続けていた。安永元年(1772年)には現在の千代田区の平河町で「山奥屋」が武家の奉公人相手に、猪・鹿・猿・兎などを吊して売っていたという。
徳川吉宗の時代(享保元年=1716年)には野鳥や野獣を売る「ももんじ屋」が店を出した。ジビエ店が出現したのである。ももんじは百獣から発し、獣肉全般を指す。幕末の頃には、両国橋のたもとに「豊田屋」と「湊屋」が店を構え、繁盛していた記録がある。
幕末に来日したイギリス人植物学者ロバート=フォーチュンの江戸見聞記に、「肉屋の店先に猿が吊下げてあったのを見たときの印象は忘れられない。皮を剥がれ、まるで人間の仲間に属しているような実に気味の悪い姿だった。どうやら日本人は猿の肉を極めて風味のあるものと思っているらしい」とある。批判的だが、そういう彼の地のヨーロッパでも猿を食べてはいた。産しないため輸入品の高級食材であり、一般的でなかったのだ。例えばドイツでは1986年になって猿肉の食用禁止法が発令している。それまで食べられていた証拠である。
東北の受難
神のよりまし(神霊が乗り移るもの)であり、殺生戒にもふれるのに、何故、猿は狩られたのだろうか。ニホンザルが食肉や薬用のみならず、呪いや魔除けにも珍重されているという、多様で高いニーズ故に狩られたのはわかるが、よく調べると、狩られる所は限定されている傾向があった。
岡山県津山盆地周辺でのヒアリングによると、「猟師は猿を捕らず、“サル”ということばも忌んで使わない。畜舎に祭る猿の頭も、土地で手に入れるのは困難なので、その頭は岩手県あたりの猟師から買っていた。この地一般の風習である」ということで、猿を殺すことに禁忌の強い中国地方では、東北地方から買入れることがあった。新潟県魚沼郡では、狩猟は昭和22年頃までしていて、黒焼きを作っていたそうである。保存性を高くして遠距離を運べるようにしていたのである。
猿は主に東北地方で狩られていたようだが、これを裏付ける資料もある。地方別にニホンザルの生息区画の率、絶滅区画率を比較してみると、最も生息区画率が高く絶滅区画率が低い(つまりよくニホンザルが生残している)のは中国地方であり、唯一、絶滅区画率が生息区画率を上回ってしまっているのが東北地方なのである(絶滅区画率そのものは中部地方のほうがやや高いが、そこでは生息区画率もまた高い)。
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千石正一
(動物学者/財団法人自然環境研究センター 研究主幹)
1949年生まれ。動物の世界を研究・紹介することに尽力し、自然環境保全の大切さを訴える。TBS系の人気番組『どうぶつ奇想天外!』の千石先生としておなじみ。同番組の総合監修を務める。また、図鑑や学術論文などの幅広い執筆活動のかたわら、講演会やイベントの講師なども多数務めている。著書多数。
動物学者・千石正一が、食を通じた人類と動物の歴史について、自身の世界各地での実体験を交えながら生態学的・動物学的観点で分析。干支に絡めた12の動物を紹介する。