中国語では「科学発展観」だが、このまま転用すると、日本語として落ち着きが悪いため、新聞記事では「科学的発展観」と表記することにしている。社会変動の激しい中国では次から次へと新たな現象が生まれ、それに伴って新しい言葉も創り出されるので、こまめに(基本的には毎日)新聞・雑誌に目を通していないと、ニュースの流れがなかなかつかめない。『人民日報』など中国紙が、日本の新聞のようにニュースのキーワードを簡潔に解説するメモ(手前味噌ながら、『読売新聞』では「クリップ」と称するミニ解説を随時掲載している)を折に触れて載せてくれれば、非常に助かるのだが、現実にはそれが期待しにくいので、我々は往々にして自助努力で新語の出所を検索し、意味を考え、ニュース価値を判断しなければならない。「科学発展観」という聞き慣れない言葉も、そんな、ちょっと面倒臭い作業を必要とする新語のひとつである。
出所は2003年10月の中国共産党第16期中央委員会第3回総会の決議(人を根本とすること=以人為本=を堅持し、全面的で、均衡のとれた、持続可能な発展観を打ち立てる)。平たく言えば、「国内総生産(GDP)の数字だけをむやみに追求せず、科学的かつ合理的な観点から、中国全体の持続可能な均衡発展を目指す」という考え方だ。
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2004年3月10日に開いた中央人口資源環境工作座談会で「科学発展観」を強調する胡錦濤総書記
http://news.xinhuanet.com/zhengfu/2004-02/27/content_1335042.htmより |
共産党当局の公式見解によると、「科学発展観」は、@毛沢東、ケ小平、江沢民同志の、発展に関する重要思想を堅持するという基盤に立って提示されたものであるAそれと同時に、胡錦濤同志を総書記とする新中央指導グループが社会主義現代化建設の法則を厳しく総括して打ち出した最新の理論大綱である――とされている(党中央理論誌『求是』2004年第12期)。ちなみに、第一回の「キーワード」で取り上げた「以人為本」は、「科学発展観」の中核をなすスローガンと位置付けられている。例えば、王偉光主編『科学発展観幹部読本』(中共中央党校出版社)は「『以人為本』の堅持は、『科学発展観』の本質的要求であり、経済・社会の発展において長期にわたって堅持しなければならない指導思想である」と解説している。
こうして見ると、「科学発展観」は胡錦濤総書記が新たに提示した新指導思想と判断できる。実際、胡総書記は2004年3月10日に開いた中央人口資源環境工作座談会で「科学発展観」を大々的に取り上げ、この新思想の確立と、実際の政策への反映を全国に指示した。当局がメディアを通じて「科学発展観」の本格的なキャンペーンに乗り出したのはこの座談会以降で、政治、経済、環境、農業、司法、科学技術など様々な分野で「科学発展観」の重要性が喧伝されている。
胡総書記が「科学発展観」を打ち出した背景を、二つの側面から考えてみたい。第一は、「社会・経済情勢の変化」である。1990年代初頭以降10数年間の記録的な高度経済成長の中で、中国全体の豊かさのパイは急膨張したものの、都市と農村、沿海部と内陸部の経済格差は一段と拡大し、水質汚染、砂漠化などの環境破壊も深刻化した。エネルギー需要が加速度的に増大する状況下で、資源・環境をめぐる圧力は膨らむ一方だ。
1992年6月、江沢民総書記はケ小平が南巡講話で改革・開放加速の大号令を発したのを受けて、経済建設の速度について「ゆっくりしていてはだめだ。立ち止まって前に進まないのはもっといけない」(中央党校省部級幹部研修班での講話)とハッパをかけた。しかし、その後、国内矛盾はさらに複雑さを増し、経済成長第一主義だけではやっていけなくなった。胡政権が「科学的で、持続可能な均衡発展」というコンセプトを築く上で、大きな影響を与えたのは2003年の新型肺炎(重症急性呼吸器症候群=SARS)騒動である。当局は「真の発展とは何か」「発展を維持するには何をすべきか」を真摯に総括せざるを得ない状況に追い込まれ、そこからくみ取った教訓が「科学発展観」に投影されている。10数年の流れの中で読むと、「科学発展観」はケ小平・江沢民時代の発展観に対する、「修正」あるいは「異議申し立て」のイデオロギーと言えるかもしれない。
第二は、「新指導者としての威信・主導権の確立」である。理論政党である中国共産党のトップは、いつまでも前任者の思想・理論だけを口にしているようでは自らの威信も主導権も確立できない。ましてや、胡総書記の場合はまだまだ健康な江沢民氏が軍事委員会主席として背後に控えているだけに、彼の「三つの代表」を鸚鵡返しに語っている限り、威信向上は望めない。そうした権力構造の中で、胡錦濤流の独自の政治スタイルをアピールする手段として「科学発展観」が編み出されたと見ることができよう。もとより、新指導思想の登場は、それ以前のいくつかの指導思想を排除・否定するものではない。「毛沢東、ケ小平、江沢民同志の重要思想」を一応尊重しながら、理論工作の実質的な力点は「科学発展観」に置く。江氏にとっては内心おもしろくない動きだろうが、時代は「三つの代表」から「科学発展観」へと移行しつつある。
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