岡田斗司夫さんの『オタクはすでに死んでいる』。僕は発売直後に読み、ふつうに納得してそれで終わったのですが、さっきちょっと気になってネットを調べてみたら予想外に否定的――というかむしろ嘲笑的――な反応が多くて驚きました。そんな簡単にバカにしていいんでしょうか。
僕の印象では、ネットの評判は「オタクは死んだというが、それは岡田の思いこみで、いまでもオタクはいるし、これからもオタクは生き続けるだろう」というひとと、「岡田が言うように昔ながらのコアなオタクが死んだとして、だからどうだというのだ」というひとに大きく分かれています。けれども、それはどちらも浅い主張だと思います。
そもそも、なぜ論壇はオタクに惹かれるのか。いろいろな側面はあると思いますが、いちばん単純な理由は戦後の問題です。東浩紀さんがずっと言っているように、オタクというのは戦後日本の価値を凝縮し、かつ大きくねじ曲げた文化階層として受け取ることができる。岡田さん自身「第二次大戦以降の日本という国自体がオタクを生んだ」(8頁)とはっきり書いています。裏返せば、「オタクの死」は、暗黙に「戦後日本の死」を含意している。
むろん、いま現在、自分をオタクだと考えたり、あるいは誰かをオタクだと見なすことはありえます。けれども、岡田さんの説でいけば、そこでは戦後の抱えた問題はすでに脱落している。SFやミステリを必死で原書で読み漁り、周囲に隠れてこっそりコミケに通い、その糧を利用して自分の好む消費文化を自分でつくりだす、それがかつてのオタクというわけですが、その振る舞い自体が戦後の裏返しになっている。戦後民主主義に反逆するというよりは、オタクはむしろ端的に、自分たちが心地よく住める快適な世界をつくってしまう。しかし、そこにはすごいコストがかかっていて、それを維持するには有形無形のさまざまな努力が必要だったんだ、というのが岡田氏の主張だと思います。
むかし柄谷行人氏が『日本精神分析』という本で、日本的精神の本質というのは「造り変える力」(芥川龍之介)にあるのだ、と書いていたことがありますが、それでいけば、かつてオタクというのは、ものすごいコストをかけて「造り変える力」を発動しようとしてきた。オタクカルチャーのもともとの起源はアメリカにあるとしても、それはもう徹底的につくりかえられているし、そうでなければ影響力も持たなかった。オタクがふつうのファンカルチャーと同列に論じにくいのは、まずはこの変形性にあると思います。たとえば、Jポップ歌手のファンは、たんにその歌手本人か歌声か、あるいは歌詞に同一化していればいい。ところが、オタクの好むキャラクターなり声優なりには、変更の履歴がいっぱい蓄積している。だから、その対象にだけ同一化すればいいということには、なかなかならない。しかも、オタクはその変更の履歴も可視化し、共有できるようにしてしまった。それが東さんの言う「データベース」だったと思います。
こういう「日本的精神」の効果は、ゼロ年代の文化にもはっきり及んでいます。特に僕の同世代では顕著だと思う。たとえば、濱野智史さんの言う
「ニコニコ現実」しかり、黒瀬陽平さんのアニメ表現論しかり、あるいは僕の言う神話的想像力の話しかり、全部「造り変える力」のヴァリエーションだと言えます。その意味では、たぶん僕らの世代は、かなり素朴に「日本精神」を反映してしまっている。ただ、ここで問題なのは、ひょっとすると、我々はオタク以上にストレートに日本的になっているのではないか、ということです。実際、オタクは「造り変える力」をものすごい勢いで発動して、結果としてどこでどういう操作が加わったのかがよくわからないイメージ群をつくってしまった。確かにそれは「日本的」だけれど、ほとんどメーターが振り切れるような意味で「日本的」だった。だからこそ、その主体性や歴史性を問うことに意味があった。それに比べれば、いまはだいぶおとなしくなっていて、ふつうに「日本的」な力で動かされているのではないか。実際、僕たちはさほどコストをかけなくても、ちょっとした神話的操作を加えれば、コミュニケーションの軋轢や不全を一定解消できるようになった。それは一方では、戦後の負荷から一部解放されたということを意味します。ですが、それが文化的にプラスになっていくとは限らない。
むろん、僕にとっては、まずはそのどうしようもない現実を踏まえなければ、批評も書けない。ですが、今後どういう批評を組織すればいいのかというのは、かなりキツい問題です。オタクは死に、それにかわるような文化的階層も存在しない。とすると、戦後日本の蓄えてきた文化的遺産は、一回完全にリセットされてしまったということではないか。たとえば東さんの議論は、オタクのある種の「貧しさ」を前提にしているわけですが、それは戦後日本の擬似的な豊かさと対になっていた。ところが、オタク死後の「貧しさ」というのは、たんにコミュニケーションの合理化を図ることに特化した「貧しさ」なわけです。これはもう、先行世代から見れば文化でも何でもないと思うし、主体性だってほとんど問題にならない。ニコ動にコメントを書き込んでいる人間のセクシュアリティなんてどうでもいい。『らき☆すた』に戦後アニメの豊穣さを見ようとしても、まるで意味がない。僕だって、たとえば西尾維新論では彼の使う特殊な日本語の話しかしていない。当然のことながら、日本語の操作性なんて、戦後文化とは何の関係もないわけです。
思えば、西尾さんがデビューしたのは2002年です。そうすると、ゼロ年代というのは、一方でオタク文化がより広く展開し、結果として大衆化していった時代であり、他方でポストオタクというか、ポスト戦後というか、そういうほとんど文化には数えられないような文化を徐々に発明していった時代だと言えるのかもしれません。西尾さんは、たぶんその両方に足をかけていて、それが彼を面白い存在にしていたのだと思います。ただ、後者のプランがどれほど成功したかというのは、かなり疑問が残る。戦後文化が「脱格」していくのは仕方がないとしても、西尾さんのように「日本語のハッキング」「物語のハッキング」で切り抜けていくのはごくイレギュラーな存在だった。
では、これからどうするのか。一応僕が漠然と考えているのは、オタクが過剰に人工的であることによって、戦後日本の人工性=虚構性と対峙していたのだとすると、今度は過剰に自然的であることによって、ポスト戦後の無風状態と拮抗するしかないのではないか、ということです。僕がモデルにしたいのはテレビとゲームです。たとえば、テレビが面白いのは、それが「つくられた世界」ということが明らかになっているからです。ある意味では、特撮を駆使したハリウッド映画と近い。テレビとは「こんなことがあるわけがないだろう」というところに、笑いを生む装置です。ニュースもCMも、基本的にはそういう論理で動いている。まさに過剰に人工的な世界。
それに対して、ゲームというのは、世界の事物をいかに「自然」に見せるかに多くがかかっています。それができなければ、プレイヤーはずっと疎外感を抱いたままプレイしなければならない。「こんなことがあるわけがない」ことから、いかにして人工の匂いを取り去るか。それがゲームの論理であり、あるいは理論的には構造主義の発見でもあります(構造主義者はそれを「中性的」と呼んでいました)。実はつい昨日、まさにこの論理で動いている映画を見たんですが(それにはあえて触れませんが)、ともかくそういう表現がニコ動や京アニを動かしていることは明らかで、そこではすべての欲望を人工的に全開にするのではなく、むしろ(妙な言い方ですが)人工的に自然さをつくることが目指されています。
いずれにせよ、僕としては、「オタクはまだ生きている」とも「オタクが死のうがどうでもいい」とも言うつもりはありません。そういう楽観的な感情は抱けない。実際僕の見る感じでも、若い学生にとっては、オタク文化はもはや一種の教養主義のように、むかしの「デカンショ」みたいになっている。『Fate』は教養でやって、ニトロは名前も知らないという感じ。京大生もそのレベルです。これはたんにヌルくなっているだけなので(僕も決してひとのことは言えませんが)、岡田さんの主張は基本的に正しいわけです。ヌルいといえば、たとえば批評にしても、ひとりの作家やひとつの思想体系を徹底して突き詰めるという態度は、かなり薄れている。つまり、見知った対象をとりとめもなくずらずら羅列していくのがセオリーという感じになっている。これこそが「ゼロ年代の想像力」でしょう。
ただ、岡田氏の言い分はおおむね正しいとしても、彼はもうポスト戦後、ポストオタクの評論家として生きていく感じではない。つまり、単純に彼は投了している。けれども、僕たちは当然そういうわけにもいかない。ゼロ年代がオタクの遺産を食いつぶしていく10年だったとして、2010年代の実作や批評はその厳しさに直面することになると思います。『オタクはすでに死んでいる』というのは、少なくとも僕にとっては、そういう事態を改めて考えさせる本でした。