「中国ではチベット人だけでなく、一般市民も苦しみの中にある」。亡命チベット代表者議会(ATPD、国会に相当)議長として今月6日、チベット支援団体の招きで来日。東京都内で約1200人を前に訴えた。2日半の滞在で、チベット亡命政府の所在地インド北部のダラムサラにとんぼ返りした。
3月のチベット暴動を機に設立された政府、議会、民間の「緊急統一委員会」委員長も兼任する。過激な意見も出る亡命社会の世論をなだめ、中国政府への要請を一本化し、情報を集める。4月には欧州3カ国を訪問。不眠不休でダライ・ラマ側情報発信の最前線に立ってきた。
1949年、西チベットのガリ(チベット自治区阿里)生まれ。59年、ダライ・ラマ14世とともに家族で国境を越えた。難民学校で学び、卒業後は亡命政府の仕事や政治活動にかかわった。94年に「チベット国民民主党」を創設。議長就任で党を離れても「政党政治が機能してこそ民主社会」と信じる。今回も、親交のある日本の政治家らの招きを受けた。
家族思いの温厚な人柄で、亡命社会での人望も厚い。9歳で離れた古里の記憶はほとんどないが「家族が私の故郷。兄弟には孫も生まれた」と目を細めた。「孫のためにも、チベット問題の解決を目指す」<文と写真・藤田祐子>
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■人物略歴
来日は02年以来2度目。デリー大卒。難民学校の教師、亡命政府の教育担当局を経て議員。
毎日新聞 2008年5月16日 東京朝刊