スクープ 母の古希祝う写真展をプロデュース
皇室をなお支える黒田清子さんのちから
2008年5月9日(金)0時0分配信 AERA
掲載: AERA 2008年5月12日号
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年内がタイムリミット
それには理由がありそうだ。宮内庁関係者が明かす。
「皇后さまの古希のお祝いとして写真展の企画が懸案だったのですが、紀宮さま(清子さん)がプロデューサー的な役割を引き受けられているそうです」
日程や開催場所はまだ公にはなっていないが、都内のデパートが会場の候補として挙がっているという。なぜ、古希から3年以上たったいまなのか。詳細はつまびらかになっていないが、
「東宮家は雅子さまが療養中で、皇太子さまがお一人で公務をこなされている。秋篠宮ご夫妻は公務に加え、悠仁さまの子育てでお忙しい。そんな中、皇后さまのお気持ちをもっとも理解され、写真の細部にまで気を配れるのは紀宮さまのほかにいないというのです」(宮内庁関係者)
来年になれば天皇、皇后両陛下は結婚50年の金婚式、さらに天皇在位20年の式典がある。美智子さま単独の写真展となると、今年中がタイムリミット。膨大な写真から美智子さまのベストショットを選ぶ作業は、母の心を誰よりも深く知る清子さんが適任だろう。
振り返れば、美智子さまが古希を迎えた04年は皇室にとって波乱の年でもあった。
「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあった」
スーパーバイザー
前年末から雅子さまが長期療養に入り、皇太子さまがヨーロッパ訪問を前に発したいわゆる「人格否定発言」が波紋を広げ、皇太子さまに説明を促すよう天皇陛下が意向を示すまでになった。最終的には雅子さまの意向が強かったと言われるこの説明文書だが、内容を練り上げるために皇太子さまが助言を求めて相談していたのが紀宮さま(当時)だとされている。
03年、天皇陛下が前立腺がんの手術で東大病院に入院したときも、さらにさかのぼれば93年、皇室バッシングの後に美智子さまが倒れて声を失ったときも、清子さんの存在が両陛下の大きな支えになったと伝えられた。
天皇家のスーパーバイザーだった清子さんが皇室を離れることによる影響は婚約当時からささやかれていたが、民間に嫁いでもなお、美智子さまの写真展に向けて精力的に動いているのならば、皇室の外からがっちりと天皇家をサポートする清子さんの覚悟が見て取れる。
4月12日。天皇、皇后両陛下の49回目の結婚記念日を祝し、皇太子ご一家が東宮御所に両陛下、秋篠宮ご一家、黒田夫妻を招いた。その2日前、愛子さまが学習院初等科に入学したその日はまさに両陛下の49回目の結婚記念日で、清子さんが両陛下を自宅に招いて夕食をともにしている。
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