◆「鑑定医の無罪、訴えていく」
奈良県で母子3人が死亡した放火殺人事件を題材にした「僕はパパを殺すことに決めた」(講談社)の出版から21日で1年。長男(18)を精神鑑定した崎浜盛三医師(50)が秘密漏示罪で逮捕・起訴された。著者の草薙厚子さんは毎日新聞のインタビューに初めて応じ、崎浜被告の無罪を訴えていく考えを明らかにした。【高瀬浩平、阿部亮介、臺宏士】
◆強制捜査は青天の霹靂 公権力の介入は、あってはならない。
--出版から1年がたちます。
--長男を精神鑑定した崎浜医師が秘密漏示罪で逮捕・起訴されましたが、彼が取材源なのですか。
--なぜ地検は強制捜査までしたのでしょうか。
--捜査官が作成する供述調書を直接大量に引用することに批判が出ました。
--著書の記述で後悔していることはありますか。
--調書を見せてもらった情報源と問題意識を共にするなど信頼関係はあったと思いますか。
◆合意めぐる認識で対立--講談社・取材側と第三者調査委
「僕はパパを殺すことに決めた」の出版経緯などを検証する講談社の第三者による調査委員会(委員長・奥平康弘東京大名誉教授)は4月9日に報告書を公表した。
委員会は、報告書の中で、著者の草薙厚子さんや取材チームと、自宅に放火した長男を精神鑑定した崎浜盛三医師との間で供述調書の取り扱いについて、(1)コピー禁止(2)直接引用禁止(3)原稿の事前確認--の3点について「合意が存在した」と認定した。
草薙さんらは、崎浜医師が不在の京都市の自宅で、デジタルカメラで無断で調書を撮影。著作では、調書からの直接引用を多用し、事前に原稿のチェックを求めず、単行本化も明確に告げないまま出版した。この点について、委員会は、「取材源との約束に反した重大な出版倫理上の瑕疵(かし)がある」と指摘した。
委員会は直接引用に関して「比較的に容易に取材源を探り出せるような表現方法をとってしまったことは弁解の余地がない」とし、取材源秘匿についても「入手ルートを特定されることが容易であるという想像力が決定的に欠如していた」と断じた。
報告書によると、草薙さんは単行本の出版に先立ち「週刊現代」に2回、「月刊現代」に1回の計3回、事件についての記事を執筆しているが、その際は(2)と(3)の約束を守ったため問題は表面化しなかったという。
草薙さんは4月21日に会見し、3点の約束についての合意はなかったとし、「酒席での言葉尻をとらえての事実認定だ」と批判した。講談社も「明示的な約束があったとは認識していなかった」との反論を公表している。
◆鑑定医「後悔ない」
一方、毎日新聞の取材に対し崎浜医師は「長男は広汎性発達障害で、殺意がなかったことを広く社会に訴えたかった。草薙さんに供述調書を見せたことは後悔していない」と語っている。
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◆「僕はパパを殺すことに決めた」の重版中止、ネットで売買
「僕はパパを殺すことに決めた」は6月18日までに4刷(約3万2000部)を重ねた。7月12日に東京法務局が草薙さんと講談社に人権侵犯に当たるとして関係者に謝罪を求める勧告を出した後、重版を取りやめた。
奈良地検は9月14日に草薙さん宅などの強制捜査に着手。4日後の18日に講談社は出庫停止を決めた。同社広報室は「約3万部は売れたと思うが、残りの約2000部は社内にある」と話す。
インターネットのオークションサイトでは、単行本が手に入りにくいという状況も手伝ってか、現在も入札額の設定が1万9800円となっており、高値で売買されているようだ。単行本の価格が1500円のため、10倍以上の値がつくケースも多いとみられる。
更に単行本の取り扱いを巡り、全国の図書館で対応が分かれた。京都府亀岡市立図書館中央館は東京法務局の勧告が出てから、閲覧や貸し出しの中止措置を決め、中止は現在も継続中だ。山形県上山市立図書館では強制捜査後に貸し出しと閲覧を禁止した。片桐繁雄館長は「内容が個人や家庭を題材としたもので、人権が侵害されていると判断した」と理由を述べる。
一方、閲覧・貸し出しの中止を撤回したのは、松江市立図書館だ。強制捜査後に中止措置としたが、著者の草薙さんが起訴されなかったため、捜査が終結した11月初旬から措置を解除した。大西高志副館長は「著者が逮捕される事態にならず、読みたいというリクエストも多かった」と話す。
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◆調書漏えい事件を巡る主な動き
6・20 奈良県田原本町の医師宅で放火殺人事件が発生。母子3人が死亡
22 奈良県警が高1の長男を殺人と現住建造物等放火の疑いで緊急逮捕
10・13 対人関係や情緒面に障害のある広汎性発達障害と診断された長男の精神鑑定書が奈良家裁に提出される
26 奈良家裁が長男を中等少年院送致とする保護処分を決定
5・21 草薙厚子さんが、長男の供述調書などを引用した単行本「僕はパパを殺すことに決めた」(講談社)を出版
6・ 5 長勢甚遠法相(当時)が、供述調書が引用された草薙さんの著書について「人権侵犯にあたる可能性がある」と述べ法務省人権擁護局に調査を指示
7・12 東京法務局が「人権侵犯にあたる」として、講談社と草薙さんに関係者への謝罪を勧告
9・14 長男の精神鑑定をした崎浜盛三医師宅と草薙さん宅などを奈良地検が家宅捜索
28 奈良地検が京大教授の自宅や研究室を家宅捜索
10・14 奈良地検が崎浜医師を刑法の秘密漏示容疑で逮捕
11・ 2 奈良地検が崎浜医師を秘密漏示罪で奈良地裁に起訴。草薙さんは不起訴、京大教授は関与なしと判断
4・ 9 講談社の第三者調査委員会が「取材源秘匿について無防備、無理解」と単行本出版の問題点を指摘
14 奈良地裁で秘密漏示事件初公判
毎日新聞 2008年5月19日 東京朝刊