東京・調布市の不発弾処理終了 当時、米軍機撃墜の瞬間を目撃した男性がその様子を語る
東京・調布市で18日午前、不発弾処理が行われた。周辺に住むおよそ1万6,000人に退去命令が出されたが、2時間ほどあとに安全宣言が出され、警戒態勢は解除された。
今回処理された不発弾は、1945年4月7日に東京に襲来したアメリカ軍のB29爆撃機に、日本の戦闘機が体当たり攻撃した際、落下したものとみられている。
その瞬間を目撃し、日記帳にスケッチしていた77歳の男性が、爆撃機撃墜の様子を克明に語った。
調布市内に住む岡田敬造さん(77)は、日記を見ながら「(不発弾は)この昭和20年の4月の、あのときのものだなと思いました」と語った。
岡田さんは「電車で、空襲警報ですよってサイレンが鳴って、電車がストップした。乗客は全部、ほとんど駅で降ろされて」と話した。
当時アメリカ軍は、中島飛行機武蔵製作所など、軍需工場を狙って爆撃を続けていた。
その日も、100機以上のB29爆撃機が頭上を飛び、岡田さんは、駅の近くの防空壕(ごう)から見上げていた。
岡田さんは「(日本軍戦闘機の)体当たり攻撃を目撃しました」と話した。
日本軍の1人乗り戦闘機「飛燕(ひえん)」が、巨大なB29へ向かっていったという。
岡田さんは「(飛燕がB29に)うまく、バタンと当たったわけですね。体当たりした瞬間、(飛燕が)ぴかっと光って。(B29が)ぐるんぐるん回りながら落ちて。拍手をしたわけです、地上で見ていて」と話した。
「飛燕」のパイロットは、パラシュートで脱出したという。
岡田さんは「(飛燕のパイロットは)三軒茶屋の方に落ちた。桜の木に引っかかってて。(飛燕のパイロットは)『ああ、こりゃご苦労さんです』ということで、丁重に隊へ送り返されたようだ」と話した。
岡田さんは、その翌日、墜落したB29の一部を付近の畑で発見した。
岡田さんは「(B29の尾翼は)ちょん切れて、(プロペラは)散らばって」と話した。
畑は、今回の処理作業現場のすぐそばだった。
岡田さんは「まさか、この日記にからんでくるとは思わなかったですが。(不発弾は)60何年も、よく爆発しないで。人もいっぱい、その辺り住んでいたでしょうに。無事でよかったと思いましたね」と話した。