空襲で工場を破壊され、ゼロから再起を期した日本のモノづくりが今日の地位を築くのに、旧海軍関係の技術者の活躍があったことは広く知られている。
文藝春秋六月号の特集記事にも登場する。ソニー創業者の井深大氏はレーダー開発に携わり、技術将校の盛田昭夫氏と出会った。石川島播磨重工業(現IHI)の社長を務め、NTTの初代社長になった真藤恒氏は呉海軍工廠(しょう)にいたそうだ。
岡山市に本社があるプロペラの世界トップメーカー「ナカシマプロペラ」にも、そんな人がいたことを同社の中島保名誉会長から聞いた。戦艦大和など旧海軍の艦艇建造をつかさどった艦政本部で、プロペラの設計に携わっていた技術者だ。
終戦後、病気で妻の実家がある岡山市にいたのが縁で入社した。同社も空襲で工場が焼け、再建の真っ最中。そこへ艦政本部の技術者が来たのだから、プロペラの性能はたちまち向上したそうだ。在社した一年ほどの間に、当時世界一とされた海軍の設計技術が手に入ったという。
コストを度外視してでも性能を追い求める軍の技術が、スピンオフ(民間転用)した典型例の一つだ。
技術は互いに絡み合ったり、組み合わさったりする中で新たな展開が生まれ、価値が高まっていく。かつての陸海軍のような巨大な軍事組織がない現在、スピンオフは産学官の間で多面的に進められなければならない。技術立国でグローバル経済時代を切り開いていく日本にとって大切な課題の一つだ。
(特別編集委員・佐々木善久)