市民公開講座「癌(がん)を生きる~癌患者学のすすめ」(和歌山南ロータリークラブ主催)が4月26日、和歌山市の県民文化会館で開かれ、がんを体験した医師らが講演した。会場には約300人が詰めかけ、体験談やアドバイスに聴き入り、がんとどう向き合うか考えた。がんを克服した4人の医師と、うち1人の主治医だった医師の講演内容を紹介する。【最上聡、嶋谷泰典】
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<講演者>
和歌山済生会病院長 林靖二(大腸がん)
酒井小児科院長 酒井宏巳(ぼうこうがん)
田中内科医院長 田中章慈(悪性リンパ腫(しゅ))
金沢大名誉教授 永野耐造(肺がん)
大阪府立成人病センター副院長 児玉憲
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体力だけは誰にも負けないと思っていた。76年、鼻っ柱をへし折られた。トイレで下血に気付いた。その後も便に血が混じったり、便意の変化があった。3週間たって検査に行った。
検査の結果、医師から「がんではないが、手術するのが良いだろう」と告げられた。私自身、医師だから「がんに違いない」と思った。自分で組織を確認した。あまり驚かなかった。症状から40日後、入院した。出血の時点で早く検査を受けるべきだった。心配は家族のことばかり。寝ても覚めても「次男が大学に合格するまであと5年、生かしてください」と思った。
手術は順調に終わった。一日一日の大切さを身をもって感じた。人工肛門(こうもん)にも感謝している。のど元すぎれば熱さを忘れる。毎日、洗腸するたび、思い出させてくれる。
納得したうえで治療法を選択するためのインフォームド・コンセント(十分な説明に基づく同意)。「賢い患者学」は、自分の生き方を考えておくことから。がんになったらどうしてほしいか。医師に対して、聞きたいことを整理し、積極的に質問することだ。不安があればセカンドオピニオンを求める。大事な命を買うのだから。
楽天的でいる方が、がんの再発が少ないという。がんが見つかると、新しい生き方が見つかると思う。
医者の不養生で検診などろくに受けなかった。糖尿病の症状が出ても生活を改めなかった。2年前に血尿が出て、頭の中が真っ白になった。妻の前では落ち着きを装いながらも、「ぼうこうがんじゃないだろうか」と不安にさいなまれた。専門医にかかり、やはり「ぼうこうがんでしょう」と告げられた。
内視鏡検査はつらかった。痛みはないが、下半身丸出しで医師や看護師に姿をさらさないといけない。私が医師であることは伏せていたが、主治医は丁寧に説明してくれた。手術後は「半年に1回の内視鏡検査が必要」と言われ、続けている。
セカンドオピニオンを患者の判断材料にするのは当たり前。全国のがん拠点病院には、セカンドオピニオンのための患者相談センターが設けられているので、活用してほしい。がん保険についても考えさせられた。高い保険料を払っていても、受給を制限する条項が設けられたりしていることが多いので、注意が必要だ。一般医療とがん医療をセットにした保険がいいだろう。
がんを患ったことは、子どもにはこれまで隠しておいた。今回、公開講座に出演したことで、子にも知られることになる。しかし、親子でじっくり考えるいい機会になると思う。
私は本当に症状がなかった。97年、検診で腹部の異常を言われたが、どうせ脂肪だと。医師であることで、かえって放置してしまった。3年たって、調べると明らかに形が違っていた。半信半疑だったが、腫瘍(しゅよう)マーカーが高く悪性リンパ腫だと分かった。
インフォームド・コンセントは患者と医師が情報を共有し、信頼感を高めることができるのが利点。セカンドオピニオンの制度は、日本ではまだ整っていないが、納得するまで自由に聞くのは患者さんの権利だ。
化学療法は劇的なものでない。抗がん剤は量が多ければ効くが、副作用もある。治療は最近は外来でもできるようになった。抗がん剤は細胞活動の活発なところに集まり、活動を邪魔して抗がん効果を生む。毛根や胃壁は細胞活動が活発なところで、取り込まれやすい。副作用で髪の毛が抜け、吐き気が出てくる。抗がん剤治療は副作用が当然。風邪、けがをしないなど、ささいなことから気を付ける。現在、腫瘍マーカーは正常。がんは克服できた。
療養生活で大事なのは環境づくり。家族、友人、社会のさまざまな支援が必要だ。そして、信頼できる医師を得てほしい。コミュニケーションが大事。覚悟を決めて、積極的に闘う意志を持ってほしい。
早期発見の大切さを話したい。日本では、1日約150人が肺がんで亡くなっている。肺という臓器の特性で、早期発見が難しいことが大きな要因だ。胃がん、大腸がんなどは内視鏡を使って見ることができる。乳がんは手で触っても目で見ても分かり、比較的診断がつけやすい。肺がんは、そうはいかない。
職場での健康診断では、異常は全くないとされた。しばらくして、風邪が治りにくく、せきも出て声がかれるようになった。ヘリカルCT(エックス線をらせん状に当てて体内を見る診断)による検査を受けたら、右肺の中央に陰影が見つかった。入院検査で、初期のがんと判断された。肺は難しい臓器なので、最初から大きく切ってほしいとお願いした。手術後の経過は良好で再発なく現在に至っている。
入院していた病棟で、肺がんを手術した初老の患者が「ヘリカルCTで命を救われました。小さな段階で見つかったおかげ」と話していたのが印象深い。
早期の内視鏡でできる手術と、進行がんとなってしまった段階の手術とでは費用も10倍の差になる。従来の検診を見直し、費用がかかっても早期発見できる検診方法を導入していくべきだ。
男女とも、胃がんにかかる人が圧倒的に多い。次いで男性は肺がん、女性は乳がんとなる。死亡するのは、肺がんが一番多い。
がんの1次予防の代表はたばこ。映画で、登場人物がたばこを吸うシーンがある。たばこは、肺がんのみならず、食道がんも心臓病も、あらゆる病気に関係する。たばこをやめることが医療費の節減につながる。
2次予防は早期発見。ヘリカルCTを搭載した検診車で市町村を回り、肺がんの死亡率を下げる取り組みは、良いデータが出そうだ。胸部単純写真による検診では意味がない。小さいがんであっても、肺がんは危険ながんだ。
20世紀後半のがん治療は定型の手術法、古典的な化学療法、放射線治療による。既製品の治療を、いろいろな人にやっていた。有効であれば良いが、有効でないときは家族が悲しむ結果となる。
画像診断が進歩し、小さながんが見つかるようになった。内視鏡手術も行われる。患部以外への負担を軽減する放射線の三次元照射も行われ、抗がん剤が多種多様になった。21世紀のがん治療は、個人個人に合った治療をする方向に向かってきた。遺伝子を調べ、効く薬がないことが採血で事前に分かるなら、早期発見できるよう、そういう人を集中的に検診すればいいということにもなる。
講座には事前に多くの質問が寄せられた。主な質問と講演した医師らの回答を紹介する。
Q 父を肺がんで亡くしました。高齢で抗がん剤が本人にとって良いのか悪いのか、少しでも長く生きてほしいと思いつつ、本人のつらさを考えてしまいました。
A 日ごろから自分や家族ががんになったときどうするか、考えておいてください。本人の望まれるようにしていくことが大切です。ただ、つらさは治れば一過性のエピソードに過ぎません。治らなかったとき「あのようなつらさを味わわせて」と後悔の念が起こるかもしれませんが、がん末期の苦しさとの比較はできません。
Q 夫が前立腺がんを手術しました。後遺症も半年足らずで消え、以前と同じく仕事に励んでいます。悩んだり暗い様子もなく不安も口にしませんが、今後どのように努力すればより長く生きられるか不安が先走ります。
A 私の妻も同じことを漏らします。しかし不安の先走りに意味はありません。定期検査で数値が基準内なら心配の必要はありません。悩んだり暗い様子がないことは素晴らしいことで、がん封じに役立っていると思います。おおらかに包み込んでいくような気持ちで過ごしてください。
Q がん患者を抱えている身内とのかかわり方に悩んでいます。いつも返ってくる言葉は「これは経験者でないと分からない」。普通の会話がしづらくなりました。今後、どのように接していけば良いのでしょうか。
A 経験した者しか分からないとしても、その経験を教えてもらえなければ近づけないという悩みはとてもよく分かります。言っても仕方ない、分かってもらえないという心でいっぱいなのだと思います。がん療養では患者だけでなく、患者を支える方々へのケアも必要です。あなたがいらついてはいけません。がん患者を支えるつらさを推し量り、温かく心が解けるのを待たねばならないのです。
Q 人生設計を変えざるを得ないような場合、精神的なサポートを含め、助言をもらえる施設などがありますか。
A まだまだ整備が行き届いているとは言えない状況です。しかし県では難病・子ども保健相談支援センターができ、精神的サポートを受けられるようになってきました。がん患者特有の精神の動きが解明され、家族の悩みなどへの対応が大切などと、だんだん認識されてきました。1人で悩まなくても良いのです。
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■人物略歴
1939年生まれ。脳外科医。国立南和歌山病院(現・南和歌山医療センター)院長などを歴任。
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■人物略歴
1941年生まれ。小児科医。81年、医院を開業。和歌山市医師会理事。
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■人物略歴
1947年生まれ。内科医。和歌山市医師会長、和歌山南ロータリークラブ会長。
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■人物略歴
1931年生まれ。法医学者。科学警察研究所長などを歴任。和歌山市介護保険監視委員。
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■人物略歴
1947年生まれ。呼吸器外科医。大阪府立成人病センター呼吸器外科部長などを歴任。
毎日新聞 2008年5月18日 地方版