現在位置:asahi.com>文化・芸能>芸能>音楽> 記事 「ホットファイブ」の後川清、東京砂漠で噂の男2008年05月17日14時25分 直立不動の姿勢、しびれるような渋い歌声。足立区に住む歌手、後川(うしろかわ)清さん=本名・鈴木勉=の人気が、じわじわと広がっている。がっちりした体格も、ひょうひょうとした雰囲気も、前川清さんにそっくりと評判だ。デビュー13年。7月には、クールファイブで歌っていたメンバーと組み、歌謡ショーを開く予定もある。
♪こーべー 泣いてどーなるのーか…… 5日夜、地元、足立区内のキャバレーで「後川清ショー」があった。内山田洋とクールファイブの大ヒット曲「そして神戸」のメロディーが流れる。スポットライトが身長178センチのスーツ姿を映し出すと、満員の客席からは「待ってました!」「ワワワワ〜」と掛け声が飛んだ。 「年齢は内緒です」。前川清さん(59)より少しばかり年上で、還暦は過ぎているという。本職は自動ドアの取り付け工事業。普段は髪の毛はボサボサで、前川清さんと似ていると気づく人は少ないという。 北区生まれ。父親は鉛職人だった。家は貧しく、中学を卒業後、電気の配線工事などの仕事などをして家計を助けた。 前川清さんが「内山田洋とクールファイブ」のボーカルとしてデビューした1969年、鈴木さんの自宅でも、ようやくテレビが見られるようになった。家庭の話題の中心に歌番組があった。「前川清って、お前とどこか似ているなあ」と兄たちが笑った。 芸能界にデビューするきっかけは90年、職場の仲間らとの飲み会だった。行きつけのスナックで「長崎は今日も雨だった」「噂(うわさ)の女」「そして神戸」などを歌うと大受けだった。店の壁に、北区で開かれるカラオケ大会のポスターが張ってあった。「面白そうだな」と軽い気持ちで参加したら、約3千人の参加者のうち最終組の20人に残り、敢闘賞を受賞した。 自宅近くのカラオケボックスで練習を重ねた。音楽会社からCDを出したのが95年。知人の紹介でクールファイブで歌っていた宮本悦朗さんや小林正樹さんと知り合い、05年には「後川清&ホットファイブ」を結成。「長崎の今日は晴れだった」という歌をCD化した。「単なる物まねではない。歌声も一流」と業界での評価は高く、前川清さんとNHKの番組で共演したこともある。 小学校の同級生だった妻も長女(31)や長男(29)も、最初のうちは「大丈夫なの」と心配そうだったが、すっかり応援団に。現在はフリー。自家用車に衣装や小道具を積んで自分でハンドルを握り、営業に回る。ホテルやスナックなどの宴会芸だけでなく、病院や福祉施設の「慰問コンサート」も開き、「前川節」をたっぷりと聞かせている。 「どこでもみんな喜んでくれる。前川さんの歌に男の哀愁を感じるんでしょうね」 7月26日、江戸川区の温泉施設「東京健康ランド」で、宮本さんや小林さんと組み、歌謡ショーを開く。「デビューして13年、ようやくここまで来たなという感じです。いつまでも歌い続けたい」(小泉信一) PR情報この記事の関連情報文化・芸能
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