「裕福ではないけど、あのころは人と人が本当につながり、助け合っていた。住民の心の中にそんなまちを再現したい」。こう話す江草正光さん(70)は、高梁市備中町平川で昭和三十年代の町並みの絵図を作っている中心人物だ。
同地区は広島県境に近い標高四五〇メートルの高原部に位置する。農業が盛んだった昭和三十年代には人口約三千人を数えたが、都市部への流出が続き、現在は約七百人にまで減少。土地陥没が相次いだ時期もある。
衰退への懸念が増す中での絵図制作には、住民が往時の記憶を思い起こし、活力を取り戻す狙いがある。江草さんらが聞き取り、再現した民家や商店のイラストを基に、倉敷市の画家・岡本直樹さんが趣深い「鳥瞰(ちょうかん)図」に仕上げている。
厳しい地理的条件にもかかわらず、同地区は高梁市内でも屈指のまちづくりが盛んな地域だ。旭川学園(岡山市)との相互訪問、ミニコミ紙発行、かかしまつり開催―など多彩。本年度からは新規就農希望者の受け入れ事業も始めた。
そんなパワーの源は住民の結束の強さ。江草さんによると、江戸期に年貢米確保のため、大庄屋が農民を土地に縛り付けたことが影響しているという。息苦しい封建時代の“遺産”が現代の活力となるのは皮肉だが、長く地域に根付いた人たちだからこそ、土地への愛着も深いのだろう。
ふるさとに対する思いが詰まった鳥瞰図は十一月末に完成する。地区の新たな財産として、人々のきずなをさらに強めてほしい。
(高梁支局・神辺英明)