ビールス・パニック


 

 
第4話


 柿本ミチルは焦っていた。
 今日は婦長の須永が、用事があって大学病院を訪問しているとのこと、シフトのメンバーの中では、自分が最もベテラン看護婦なのだから、自分が目を光らせて、後輩たちのミスの芽を摘まなければいけない。
 一番のベテランといっても、まだ30前のミチルだが、大学病院、看護学校との長年の関係から、新人看護婦の受け入れが多い、この慈光院総合病院では、シフトによってはこの病棟の一番の先輩になってしまう。
 普段は若いナースたちの一挙一動に厳しく目を光らせる、「スナ婆」こと須永婦長がきっちりと統制をとっている。
 しかし彼女がいない今日は、ミチルの肩にチームの差配が委ねられていた。
 それなのに、こんな日に限って朝から、普段では考えられないような初歩的なミスが頻発している。
 処分すべき患者さんの尿を、間違えて点滴のパックに入れて他の患者さんに注入しそうになるナース。
 付き添いで来た患者さんのご家族に、間違えて注射をしそうになるナース。
 ある新人は、血液検査を指示した医師本人から、血を抜いてしまった。
「スナ婆」がいないだけで、自分がリーダーを務めるだけで、これほど問題が頻発するのか・・・。
 ミチルは悲しい思いを抑えて、大問題が起きないよう、必死に走り回った。

 普段は冷静に丁寧に仕事をしてきた後輩まで、平気で信じられないようなミスを起こしそうになる。
 詰め所に呼んできつく叱責しても、相手は深刻な表情一つせず、ヘラヘラと謝るばかり・・・。
 昼前には既にミチルは、心労でフラフラになってしまった。
 誰かの風邪が移ったのだろうか、鼻まで調子が悪い。
 それでも、今、自分が病欠したら、すんでのところで回避されている医療ミス未遂の数々が、いよいよ現実のものとなってしまう。
 ミチルは、熱っぽい頭のモヤモヤを振り切って、後輩たちのフォローとミス予防に走り回った。

 そろそろまた、入院患者の様子も見てこなくては・・・。
 ミチルはフラついた足どりで、懸命に入院患者のいる3Fへと向かった。

「宮口さん、昨日の夜から、4回もナースコールされてるみたいなんですけど、大丈夫ですか?具合が悪ければ、先生呼びましょうか?」

 ミチルが親身に声をかける。
 宮口は、得意げに、隣のベッドにいる里村をチラチラと見ながら、ミチルの問いかけに答える。

「いやー、毎回、来てもらった看護婦さんらに良くしてもらっているんで、今のところ大丈夫です。」

 ミチルはホッとして、笑みを浮かべる。
 問題行動だらけの今日の看護婦チームだが、こうして感謝してくれている患者さんもいる。
 そう思うと、ミチルの必死のフォローも報われる気がする。

「そうですか。よかったです。あの、念のためにお熱と心拍数を測りましょうね。」

 宮口が、「待ってました」とばかりに、ニヤリと唇の端を上げた。

「えぇ、お願いします。でも、いつも看護婦さんにやってもらってばっかりじゃ悪いんで、まずワシからやってあげますよ。えぇっと、柿本さん、上着を脱いで、そこの椅子に座ってください。」

「え・・・?私が?・・・いいんですか?・・・はぁ。」

 ネームプレートを読み上げた宮口に勧められるままに、柿本が付き添い用のパイプ椅子に腰掛ける。
 患者に看護婦が診てもらうなんて、聞いたことがない。
 しかし、いけないことでも・・・別にないように思える。
 普段自分たちがしていることを、される側の立場に立って見てみるというのも、患者と看護婦のコミュニケーションには役立つのかもしれない。
 そんなことをボンヤリと考えながら、宮口の言葉に素直に従ってしまった。

 白衣のボタンを外し、上着を脱ぐ。
 下着が響かないように薄手のシャツを中に着ていたのだが、それも捲り上げて脱いでしまう。
 宮口だけでなく、隣のベッドの患者、足を骨折している里村君もミチルのことを凝視しているのがわかる。
 カーテンを閉めようかと迷ったが、あれこれ考えるのが億劫になってしまった。
 頭がとにかくボンヤリしてしまって、自分の考えがまとまらない。
 逆に他人の言葉にすっかり身を任せていると、なぜだかとても心地よい。
 上半身、ブラジャーだけの姿になったミチルは、姿勢よく両手を膝に置いて、患者さんである宮口の診察を待った。

「おや、柿本さん、心拍数も診ますから、ちゃんとブラジャーも外してください。」

「あ・・・はい。ごめんなさい。」

 手際の悪い自分を戒めながら、慌ててミチルが水色のブラジャーを剥ぎ取る。
 少し外側を向いた、ボリュームのある乳房がこぼれ出る。
 宮口が、聴診器も使わず、いきなりその乳房を両手で鷲掴みにした。

「こうした方が、よくわかるんだよ、アンタら看護婦さんも、知らんだろ。」

「はい・・・、知りませんでした。でも、なんだか、自分でもさっきより心拍数が上がっちゃってるような気がするんですが。」

「大丈夫、ワシの言うとおりにしとれば、間違いないよ。」

 その言葉を聞くと、ミチルの頭の中で、キューッと気持ちがよくなる。
 まるで脳の中で快感が湧き出るように、ミチルは不思議と幸せな気持ちに包まれた。
 自分で何か考えるよりも、全てこの人たちの言うことに身を任せたくなる。
 押し寄せる歓喜の波に、ミチルの端正な顔が、だらしなく緩んだ。

「はい。ミチルは、宮口さんの言うとおりにします。」

「そうそう。その調子。ほら、診断結果が出たよ。ミチルちゃん。アンタはね、ちょっと栄養のバランスが悪いな。風邪っぽいだろ?アンタは、精子が足りてないんだ。」

「せ・・・、精子・・ですか?」

 ミチルは首をかしげて、目をパチクリさせる。
 すでに彼女の表情からは、婦長の不在を受けてリーダーの重責を担っている緊迫感が、すっかり消えていた。

「そう。精子。最近、上の口や下の口から、目一杯、精子を味わったってこと、ないんじゃないかい?それはいかんよ。急いで処置しないと大変なことになる。今すぐなんとかしなきゃならん。」

 精子を思いっきり味わったということ・・・。
 そんなこと、恋人にも避妊具を使うよう常にお願いしているミチルには、あるわけがない。
 しかし、宮口に指摘されると、急に不安になってしまう。

「あ・・、精子・・・、そう言えば、不足・・してるかもしれません。成人の推奨摂取量には足りてないかも・・・、どうしよう。」

「成人の何?ま、専門用語はよくわからんが、心配することはない。ワシがなんとかしてやるから、急いで全部脱いで、スッポンポンになりなさい。」

「はいっ、スッポンポンになります。お願いします。」

 ミチルは元気な声を出して、急いで制服のスカートを、パンストを、そしてショーツも脱ぎ捨ててしまう。
 あんぐりと口を開けたまま見つめている里村君を尻目に、宮口に促されるままに、彼に背を向けるかたちに跨った。

「よし。それじゃ、ワシのモノを思いっきりしゃぶってくれ。夕べからの連チャンなんで、出るのに時間がかかるかもしれんが、頑張ってくれ。ワシもアンタの割れ目。仕事で大いにムレた割れ目ちゃんを舐めまくってやるから、どっちが先にイクか、競争だな!」

「はいっ、頑張りますっ!」

 ミチルは元気よく返事するや否や、宮口の赤黒い竿にしゃぶりついた。
 神聖な病室で、白衣の天使が淫靡なシックスナインを繰り広げる様を、里村俊喜は呆然と見つめていた。

「ほら、里村君。これで4人目。夢じゃないだろ?そろそろ認めた方がいいぞ。年上のオッチャンの言うことは聞くもんだ。この看護婦さん、なかなか美人だろ。ワシのあとでちゃんと回してやるからな。転がってるチャンスはちゃんと掴むのが男ってもんだ。この看護婦さんも今じゃ、精子を貪って回る、どスケベナースだ。なぁ?柿本さん。」

「はひ、ほうでひゅ。」

 嬉しそうに柿本ミチルは、宮口のモノを咥えたままで頷いた。
 宮口が言うんだから、そうに違いない。
 自分はきっと、患者の精子を上の口と下の口を使って呑み干すために巡回する、どスケベナースなのだ。
 ミチルにとってその自覚は、きらめくような喜びとともに訪れていた。


。。。



 女医の京野薫は、煮詰まって外来診察室から出た。
 フラつく足に言うことを聞かせながら、待合ロビーの長椅子に座る、大勢の女性患者の前で、大きな声を出す。

「あのー、もう、風邪気味の女の患者さんが多すぎて、裁ききれないです〜。申し訳ないんですが、風邪気味で頭がモヤーっとするっていう症状で来ている方は、みんなこの場で一度に診察しちゃってもいいですかー?」

 ロビーで順番を待っていた患者たちは、いっせいに首をかしげて目をパチクリする。

「はいっ。」

 みんな声を揃えて大きく頷いた。
 ただ一人、長椅子で診察を待っていた男性である、新井保だけは呆然と左右を見回した。

「では皆さん、診察をするので、上着を・・・、あー、面倒くさいから、全部脱いで下さい。」

「はいっ。」

 4列の長椅子に座って順番を待っていた、若い女性たちが、誰一人疑問も呈さず、文句も言わずにその場で服を全部脱いでいく。待合ロビーは異様な空気に包まれていった。
 様々なファッション、スタイルの服が次々と剥ぎ取られていって、公衆の面前である、病院の待合ロビーに若い女性の裸身が並ぶ。
 女医も、看護婦もそのことに一切疑問を抱かずに、鼻をかみながらニコニコしている。

「それじゃ〜、皆さん、まずは体温からはかりますね。えーっと、じゃー、お尻の穴に体温計を入れさせて頂きますので、椅子に膝をついて、お尻を突き出して頂けますか?やりかたがわからなかったら・・・どうしようかな、じゃ〜、私たちがお手本を見せるので、皆さんこのようにやってください。」

 薫が言うと、薫と看護婦たちも白衣を脱いでいく。
 全裸になった彼女たちが四つん這いになって、尻を突き上げると、診察に訪れた若い女性たちも同じポーズを取る。
 順番に、全裸のナースの一人が体温計を女性たちの肛門に丁寧に体温計をさして回る。

「時間がないんで、一緒に検尿もしていきますね。紙コップを回しますから、検温と並行して、コップに尿を出していって下さい〜。やり方がわからない方は、私たちの模範例を見てくださいねー。」

 髪をウェーブにした、美人女医の薫、そして若いナースたちが、笑顔で肛門に体温計をさしたまま、その場で紙コップに放尿する。
 患者の女性たちも、何の疑問もなく、それに従った。
 ただ一人の、男性の患者であった新井保が頭を抱えて突っ伏した。

 つい一昨日、喫茶店で起きた不思議な出来事を同僚に語った時に、「ありえない」と嘲笑されて偏頭痛が悪化した。
 営業成績が振るわない今月、ノイローゼ気味になっているのではないかと上司にまで心配された保は、外回りのついでに、診察に訪れた。

 いきなり精神科に行くのは抵抗があった保が、まず訪れた一般外来で、彼はしかし、より強烈な光景に出くわしてしまった。

 やはり、精神科のある、病院にいかなければいけない。
 自分がおかしいのか、世の中がおかしくなっているのか、いずれにせよこれは、保の知っているまともな世界ではない。
 彼は頭痛の止まない頭を抱えながら、待合ロビーを後にしようとした。

 正面玄関の大きな自動ドアを通り過ぎようとした新井保は、巨体を揺すって病院に入ってきた、白衣の壮年女性とすれ違った。
 鬼瓦のような顔をした、巨体の女性は、白衣とヘルメットに身を包んだ、多くの男性を引き連れて、病院に堂々と入ってきた。

「婦長・・・」、「スナば・・、いえ、須永婦長。」と受付の職員たちが背筋を伸ばす。
 巨漢の壮年女性は、床が揺れるような大声で、待合ロビーに指示を響き渡らせた。

「そこまでっ!みんな、静かに服を着て、衛生班の方々の指示に従ってください!落ち着いて、皆さん。落ち着いて行動して下さい。婦長の須永の権限で、本日、当慈光院総合病院を閉鎖させて頂きます。」


。。。



報告書 ヒグチ・ウイルスMC−A群について (その3)

VII.ウイルス発見の経緯

 ヒグチ・ウイルス発見の経緯においては、慈光院総合病院看護婦長(当時)、須永和子の功績が大きいとされている。
 2008年5月末時点で、定年まであと半年を残すのみであった須永がもし、もう半年早く退職していたならば、ヒグチ・ウイルスの発見はさらに遅れており、被害も拡大されていただろうと考えられている。

 看護婦たちどころか、慈光院総合病院の勤務医からすらも畏怖されていた婦長、須永は、「スナ婆」という新人ナースからつけられた異名とは裏腹に、厳しさの中にも後輩看護婦たちへの気遣いを欠かさない人間であったことは、同僚看護婦の証言からも明らかにされている。

 彼女は、5月中旬より増加していた、風邪気味で判断力、注意力の減退した女性患者の外来診療への殺到と並行して増えていた、看護士の初歩的ミスに注視していた。
 激務である看護士一人一人の勤務状況を細めに把握していた須永は、看護士の当直日誌への記述が変化していったことを敏感に察知していた。
 緻密に患者の容態を書き込んでいた看護士が突如、「オッケー」、「いたそー」、というシンプルな記述に終えるようになる。
 やがては、笑顔や泣き顔など、単純な人の顔を描いて、容態を表現してしまうようになる。須永はそれを注意深く確認していた。
 増えつつある「風邪気味の」患者と看護士たちの初歩的ミスの増加に不安を感じた彼女は、精密な血液検査を大学病院に依頼する。
 医師たちが「夏風邪と過労」と診断し、「自宅での安静」を推奨して済ませようとする中、信念に基づき強硬に精密検査依頼を続けた須永は、大学病院の感染症研究チームに、新種のウイルスを発見させるに至る。

 しかし当初、看護士の初歩的ミスを、激務から来るものと考えた須永は、看護士たちのシフトをより短縮し、細めにローテーションさせることで解決しようとしていた。
 このことが看護士間でのウイルス蔓延を促進させてしまったと考えた須永は、ウイルス発見後、半年後の定年を待たずして、辞表を提出した。

 本来であれば、新種ウイルス発見の功労者として、脚光を浴びるべきであった須永和子は、予定よりも少ない退職金を手にして、惜しまれつつ郷里の山形県に帰った。
 その後は殆ど取材も受けず、現在は地元の過疎地にある開業医のもとで、唯一の看護婦として僻地医療に携わっている。


VIII.ウイルス発見後の対応

 ヒグチ・ウイルスの存在が議論された2008年5月26日、既に潜在的感染者は日本で千人超を数え、海外にも伝染しつつあった。
 新種ウイルスとしての国際的な公式認定は6月18日を待つこととなるとなるが、日本の国立感染症研究所と厚生省からの速報を受けて、最も早く政治的決定を行なったのは、オーストラリアとシンガポールであった。
 ともに日本と経済的関係が深く、多くの日本人観光客を受け入れていた両国は、日本政府の非常事態宣言よりも1週間早く、緊急対応のための国会決議をそれぞれ行なっていた。

 オーストラリアは元来、世界有数の特殊な生態系を維持するため、外来の感染症に対して敏感に反応していたため、対応が早かった。
 そしてシンガポールは、2002〜2003年のSARSウイルスによるパニックの教訓を生かし、オーストラリアに遅れをとらないスピードで、他国に先駆け、いち早く手を打った。
 5月末以降に風邪らしき症状を示している入国希望者を、全て検疫に送り、ヒグチ・ウイルス感染の有無を確認している。

 両国の次に行動を起こしたのは北欧諸国、そしてEUが続いた。
 アメリカ合衆国は行動を起こすのは遅かったものの、カリフォルニア州、ウェスト・ヴァージニア州を始め、いくつかの州が合衆国政府の決断の前に既に行動を起こしていた。
 そして合衆国下院で緊急対応が承認された後は、その対応は徹底された。

 それら、対応の早かった国々に対して、いくつかの国々は対応が後手に回った。
 大韓民国は、当初日本でのパニックを「民族的な問題行動」と報道していたが、アメリカ合衆国の対応を確認して急遽空港封鎖の決定をし、その判断の遅れについて、突如「日本国政府の恣意的な連絡遅滞のため」と非難し始めた。
 中華人民共和国は、女性の社会進出の進展度合いから、国内で既に多くの事故、事件を起こっていると推測されている。
 しかし依然として、自国内ではそのようなウイルス感染を確認していないという公式発表を行い、WHOより非難を受けている。
 そして日本国は、感染を確認した最初の国であったにもかかわらず、対応について各国の大勢が決まるまで、一切自分たちでは対応策を決定できずにいた。

 日本の行政機構はしかし、手をこまねいてウイルスの感染拡大を見守っていた訳ではない。
 5月29日の時点で既に、内閣情報調査室の主幹で警視庁公安部、厚生省、防衛省・統合幕僚監部、公安調査庁の該当部署を集約した、ヒグチ・ウイルス統合対策本部が設立される。
 しかしこの、統合対策本部は、縦割り行政の限界から、効果的な対策は打てずにいた。

 このアプローチに限界を感じた警視庁公安部、板倉管理官は6月4日、独自に警察庁長官の許可を取り、ウイルス緊急対策分室を設立するに至った。

( 報告その4に続く )



。。。



「はい、おはようさん。・・・おはようさん。」

 警視庁公安部、公安第5課(国内大型組織犯罪、新種テロ対策)に足を入れた男は、安っぽいグレイのスーツを身にまとい、長めの髪を手で撫でつけていた。
 無精ひげ以外にはあまり特徴のない、茫洋とした顔つきの男だった。

「芹沢さん、板倉管理官がお待ちです。あと、科警研からお客さんがお見えのようですよ。」

「科捜研じゃなくて、科警研?ふーん。柏の奥座敷からわざわざお出ましかい。」

 芹沢勇人警部補が、若干ダルそうに会議室を横切り、管理官が来ている際に使われる、役員職務室に向かう。
 途中で何人もの見知った顔と会い、そのたびにお互い嫌な顔をする。
 仲が悪い同僚ではない。腕の悪い連中でもない。
 むしろこの公安第5課では、最も腕利きの連中だろう。
 彼らが一堂に招集されているということは、事件の深刻さを意味する。
 そこに芹沢勇人も加わる・・・。
「狸オヤジ」と言われている板倉管理官が、また何か重大事件に首を突っ込もうとしているということだ。
 顔を会わせる同僚同士が、そのように察して、嫌な顔をする。

 役員職務室のドアをノックし、芹沢が入室する。
 中には、好々爺のような顔をして肘掛け椅子に納まっている板倉と、その前で起立している白衣の女性の姿があった。

「おう、芹沢。こちら、科警研の生物第5研究室から、捜査の協力に来て頂いた、芳野渚分析官だ。お前の捜査を手伝ってくれる。美人と仕事が出来て、幸せだな。」

「はぁ?分析官と一緒に捜査? ちょっと板倉さん・・・」

「芳野さん、こいつが芹沢だ。まぁ、言ってみればこいつも公安部のウイルスみたいな奴だから、アンタなら扱えるだろう。問題児だが、広域捜査のスピードと的確さは私が保証する。二人仲良くフィールド捜査を行なってもらいたい。」

 板倉は、芹沢の驚きをよそに、話を進める。
 36にもなって、問題児、さらにはウイルス扱いされた芹沢は閉口した。
 その芹沢に、ストレートヘアを後ろで束ねた、メガネの女性が敬礼をする。

「科学警察研究所から参りました、芳野と申します。一昨年、警察庁技官として生物第5研究室に配属になりました。専門はウイルス学です。」

「ウイルス学・・・。板倉さん、ヤマは例の・・・。」

 芹沢は、ダルそうに後頭部を掻きむしる。
 板倉は机の上で手を組んだまま頷いた。

「うん。こないだから対策本部がバタバタしとる、新種ウイルスの騒動だが、本部は図体ばかりデカくて、どうにも動きが悪い。このヤマ、うちがかっさらうぞ。重野やお前をはじめ、今、比較的手の空いてる精鋭はみんな集めた。ヒグチ・ウイルス緊急対策分室だ。詳しい説明は女王様から受けとくれ。よろしくな。」


。。。



「以上が、対策本部の活動経緯です。ウイルスの症状についてはおおよそ学者間での見解は一致しているものの、行動原理、構造の詳しい解明はまだ、これからというところです。一般にもこのウイルスの効果の一部はまだ伏せられています。本部から官邸へは、若い女性による公共交通機関の運転業務や危険を伴う業務を一時ストップさせるよう提言を出していますが、経済産業省が経済へのインパクト試算をまだ終えていないので、具体的な決定はまだ出来ていません。法務省も、市民団体、弁護士会から性差別との拒否反応が出ることを見越して難色を示しているようです。」

 重野千春警部補が、暗くなった会議室のスクリーンの前で、対策分室メンバーに報告を行なう。
 芳野分析官は几帳面にノートをとっているが、隣の芹沢はあくびをしている。

「この調子じゃ、迅速な集団隔離なんて夢のまた夢だな。去年の、生物テロ対策の諮問なんて全く意味なかったわけだ。」

 芹沢のいつものボヤキに、重野の目が光る。
 公安第5課では犬猿の仲の二人が、同じチームに入ることは滅多に無い。
 今回も、トラブルが多くなりそうだ。

「芹沢警部補。厳密には生物ではありません。もちろん、生物の定義自体、明確なものではありませんが、細胞を持たず、自身で自己増殖を行なえないウイルスは、生物と非生物の中間的存在とされています。基礎の基礎も理解していないと、パートナーの先生に笑われますよ。」

 両手を腰に当てて、厳しく指摘する重野。
 公安部内ではひそかに「女王様」、「ドロンジョ様」と仇名される、男顔負けの腕利き捜査官だ。
 対する芹沢は、一部で文句の多さから「ボヤッキー」と呼ばれている。
 等々、芳野の耳もとで、情報管理が専門の北峰巡査長が予備知識を囁く。

「へいへい、ご丁寧なご指摘、痛み入ります。しかし、その樋口耕蔵博士ってのは、今、どんな容態なんだい?ノイローゼになって、厄介なウイルスばら撒いて、ご本人は意識回復の見込みありかい?」

 ノートに書き込みをしていた芳野の右手が、ボールペンを握る指に力を入れる。
 左手も、強くこぶしを握り締めた。
 目ざとい芹沢は、それを横目で確認しつつ、ヘラヘラと重野に問いかけた。

「樋口は現在も意識不明。国分寺の西東京警察病院に収監されています。意識を回復したら、ウイルスの詳しい構造、原理、対処法等々について、尋問が行なわれる予定ですが、このまま容態が変化しない可能性もあります。今の時点で分かっているウイルスの詳細については、芳野分析官から報告を行って頂きます。」

「はいっ。」

 緊張気味に、芳野渚が起立して、スクリーンの脇に立つ。
 メガネの位置を直して、若干震え気味の声で報告を始めた。

「科学警察研究所、法科学第一部、生物第5研究室より参りました、芳野渚と申します。どうぞよろしくお願い致します。」

 深々と頭を下げる芳野に、場の雰囲気が若干和んだ。
 同じ美人でも、荒っぽい重野の報告とは打って変わって、生真面目で初々しい芳野の報告が始まった。

「ヒグチ・ウイルスと仮称されるこのウイルスは、先ほどの重野警部補殿のご説明通り、一本鎖のRNAウイルスです。皆さんご存知かと思いますが、RNAウイルスはDNAウイルスと違い、自己遺伝子情報の補正システムを持たないため、増殖の過程で変異を起こしやすく、異なる型の増加が早いために、早期の伝染拡大防止措置が必要です。当該ウイルスは現在のところ人体の致死的な影響は確認されておりませんが、まだ発見されたばかりで、患者の容態変化が注視されております。脳内及び神経系への影響が注目を集めておりますが、同時に血液内、赤血球の細胞が若干の遺伝情報複写不良を起こして、体外に排出されていることも確認されております。ただしこれは不活性化されている染色体のコピーエラーですので、人体への影響は極、微弱。そしてウイルスの活動によるものかどうかも、まだ推測の域を出ておりません。特に問題視されている、脳内物質の過剰分泌による感染者の異常行動及び批判的判断力の減退ですが、ウイルス自身の増殖活動によるものというよりも、人体の侵入ウイルスに対する拒絶反応から来ていると考えられております。そのため、アレルギーを緩和する抗生物質による症状の緩和が現在最も有力な対症療法として研究を進められておりますが、実用段階になるまでは、まだ時間がかかると思われます。」

「質問です。感染経路ですが、体液感染、接触感染、飛沫感染とありますが、飛沫核感染の可能性について、芳野先生はどうお考えですか?」

 ベテランの都筑巡査長が質問をする。
 芳野は頷いた時に眼鏡にかかった前髪を、耳にかけながら、丁寧に答えた。

「RNAウイルスですので、亜種の発生によって将来的に起こりうるという可能性は否定できません。しかし、現在確認されているウイルス群の中には、長時間空気中を浮遊するものはおりません。あくまで感染者のクシャミや咳によって飛散する唾液や鼻汁の水分に乗って新しい宿主に付着するという経路が最も多いとされています。ただし、感染の確立が最も高いのは、体液感染です。性交渉の場合、ほぼ100%感染すると言われております。」

「空気感染がないとすると・・・、都内の、かなり離れた場所で、同時多発的に発生しているってのは、樋口がいくつもの場所でバラ撒いたか、他にも協力者がいる・・・。そう捉えてよいですか?」

 14人の特命分室メンバーが、都筑の方を振り返る。
 階級は低いものの、刑事部捜査一課で長年捜査を行なってきた、ベテラン都筑の発言には、誰もが一目置いている。

「あの・・・、疫学的見地からはそう考えられますが、捜査の観点から、樋口博士の行動や共犯者の存在を指摘しているという訳ではないんです・・・。私はあくまで、ウイルスの生態として・・・。」

 先ほどまで眠っているような目で静かに聴いていた、ベテラン捜査官のうってかわった迫力に圧倒されて、芳野が縮こまって口ごもった。

「大体、都筑さんの思ってる通りなんじゃないっすか?板倉さんもそう思ってるから、俺たちに捜査を指示してる。」

 会議室の暗さのせいで、先ほどからあくびが止まらない芹沢が、軽いトーンで芳野に助け舟を出す。
 重野も芹沢に対抗するように発言した。

「樋口と近年仕事をしていた助手は3名。半年以上前に研究所は辞めていましたが、全員任意での事情聴取に応じています。例の資料盗用事件以来、樋口は学会でも製薬会社との関係においても完全に孤立していましたので、その他に接触した履歴のある研究者はほとんどいません。あとは2年前まで助手のリーダーを務めていた、諏訪岳人という者がいますが、妄想的発言の増えた樋口と2年前に決裂して、コロラド州立大学の客員研究員になっています。現在はカナダで休暇中とのことで、コンタクトは取れていませんが、彼も公安のマークからは外れているようです。」

「今のところ、協力者と思われる人間なし、それでも人為的にウイルスの感染拡大が図られてる可能性が高い・・・か。こりゃ頭であれこれ考えとっても始まらんな。足使って、ネタヌキだ。」

 両手で膝をポンと叩き、都筑巡査長が老体をゆっくり起こして立ち上がる。
 話が学術的報告から捜査方法に移ったと見て席に戻った芳野に、北峰巡査長が耳打ちした。

「ネタヌキって、業界用語で、情報を取ることです。下ネタじゃないですよ。一応、確認しときますね。」

 囁く北峰の頭を芹沢がはたく。

「じゃれてねぇで、お前はデータベース精査だろ。先生は俺と、フィールド捜査だ。ムサい男とのコンビで現場回るのは、お嬢ちゃん先生にはキツいだろうが、板倉さんの指示だ。我慢の限界が来るまで、ちょっとの間、付き合ってもらうぜ。」

 頃合をみはからうように、分室のメンバー全員が、席を立つ。
 芳野は芹沢の言葉に不快感を覚えつつも、急ぎ後を追った。


。。。



 日曜日の昼下がり、潤也と大樹は、珍しく圭吾のアパートに呼ばれて、遊びに来ていた。
 潤也にしてみれば、本当は自宅で真弓と遊んでいたい。
 一昨日、昨日のように恋人同士、昼も夜も無く抱き合ってじゃれついていたい。
 しかし、あまり大樹や圭吾の誘いを断ってばかりいても、変に怪しまれるかと思い、午後だけ圭吾の誘いに付き合うことにした。

「おうおう、よく来たね。入って。」

 サラサラヘアーをなびかせて、圭吾が気取った感じで二人をリビングに案内する。
 中学時代は、あまり男らしくない、ナヨナヨとした感じで、パッとしなかった圭吾だが、高校に入ってから、洒落っ気が出て、女子の人気が高まった。
 今ではすっかりモテる男を意識している。
 チャラチャラした言動が時に大樹や潤也の癇に障るが、基本的には、西中以来の友人だ。

「あれっ? 今林・・・さん。来てるの?」

 大樹が驚いた声をあげる。
 男同士でコーラを飲みながらゲームをするはずの、いつもの集まりに、今日は圭吾の彼女、今林果帆が来ている。
 しかも、ただいるだけではない。
 今林は、シースルーのピンクのスリップを身につけて、セクシーにソファーの上に寝そべって微笑んでいた。
 グラビアモデルのように、うつぶせに寝そべって、足を交互に跳ね上げている。
 快活でサッパリとした性格の美人である、普段の今林からは、考えられないような、アンニュイなセクシーさを醸し出している。

「ウフフ。上里君、八木原君、こんにちはー。いつも、私の圭吾がお世話になってます。今日は、私も一緒に楽しませてもらっても、いいかなー?」

 お姉さんが小さい子供に言い聞かせるように、果帆が上目遣いで大樹と潤也に語りかける。
 二人は、圭吾の手前、目のやり場にも困り、なんと返事してよいかもわからずに、まごついてしまった。

「おや?大樹、気に入らない?お前、グラビア大好きだろ?せっかく、果帆もグラビア風のいでたちでおで迎えしたのになぁ?」

「うん。そうだよ。どう? 大樹君、潤也君。」

 今林果帆が立ち上がり、スリップの裾を少し広げて、クルリと一周する。
 スケスケのスリップの下には、下着もつけていないことがわかって、大樹と潤也は生唾を飲みこむ。
 小ぶりの胸には真ん中にポッチがはっきりと見え、短いスリットの裾には黒い恥毛が透けて見えている。
 一回転すると、尻の谷間の線もうっすらと見えていた。

「もっと過激な格好の方が好みだったっけ?こんな感じで。」

 圭吾がふざけて、果帆の肩紐をずらすと、スリップがするりと下に落ちそうになる。
 胸が半分露出された状態で、果帆が慌ててスリップと胸を押さえた。

「きゃっ、ちょっと、サービスしすぎだってば。アハハ。」

 楽しそうにふざけあう、圭吾と果帆。
 お熱い二人を見せつけながらも、大樹と潤也への「おすそわけ」を忘れない。
 大樹は心の中で、圭吾に向けて親指を立てて押し出した。

「あ、あの。僕たち、お邪魔かな。今林さんが来てるって知らなかったんで、のこのこ来ちゃったけど、もしあれだったら、僕ら、帰るよ。な、大樹。」

 潤也が大樹の腕を引っ張るが、大樹は果帆の姿に釘付けになっていて、潤也の言葉にはなかなか反応してくれない。

「いやいや、そんなこと言うなよ。今日は、こないだ大樹に話したことを、全然信用してくれないから、わざわざ証明するために果帆も呼んだんだぜ。あ、果帆だけじゃないぞ。まぁ、見てろって。おーいっ、姉貴。大樹と潤也来たぞーっ。」

「えっ、ツカネエもいるの?」

 大樹が色めき立った。
 潤也は、早いところ帰らせてもらおうという目論見が、完全に失敗したことを理解した。
 圭吾や潤也たちよりも5つも年上の進藤ツカサは、短大を出てから、靴のバイヤーをやっている。アネゴ肌のいい女で、昔から大樹の憧れの人だった。
 そのツカサが、圭吾の呼びかけにしたがってドアを開けて部屋に入ってきた時、潤也と大樹は、ド肝を抜かれた。
 圭吾の「グラビア攻撃」は、終わってはいなかったのだ。

 ツカサは自分のアパートで、弟の彼女と友達が集まっている前で、ほとんど服らしい服を着ていない姿で顔を出した。
 胸と股間には、白い帆立貝の貝殻と紐で、下着のようなものが作られている。
 スタイルのいい彼女がこのような姿をしていると、本物の過激なグラビアのように見えた。

「ツ・・・ツカネエ? 何・・・着てんの?」

 目が点になっている、大樹が質問する。ツカサは以前よりもボンヤリとしたトーンで、ニコヤカに答えた。

「え・・・、貝殻だけど。・・・変?いつもの部屋着なんだけど。・・・いつものって、おとといからか。」

 先ほどの果帆と同じように、ツカサが微笑みながら一回転して自分の体を披露する。
 ほとんど放り出されてしまっている、豊満な胸。
 ムチムチした尻は、紐のTバックが谷間に食い込んでいるだけで、ほとんど全容が曝け出されてしまっている。

「な?大樹。俺の言ったこと、今なら信じるんじゃない?」

 圭吾が大樹に耳打ちしてくる。

「なんか風邪っぽいとか果帆が言ってたと思ったら、いつのまにか俺の言うこと、何でも聞くようになっちゃった。おまけに姉貴まで、果帆と挨拶とかしてたあと、鼻がムズムズするとか言い出して、おととい以来、完全に俺の言いなりなんだよ。あの姉貴がだぞ?」

 大樹はツカサの体から、一瞬も目を離さない。
 圭吾の方に顔を向けることもなく、頷いた。

「こ・・・、こんなこと、本当にあるんだな。でも、なんか、怖くない?お前、ツカネエとか今林とかが、このままの状態でずっと人の言いなりになっちゃったら、どうすんだよ?」

「俺に聞かれたって、わかんないよ。そんなの、なるようにしかならないんじゃないの?それよりは、状況を精一杯利用して楽しませてもらった方が、精神衛生上いいと思わないか? なぁ、潤也?」

 圭吾が、意味ありげな視線を潤也に送る。
 潤也は真弓のことを考えて、俯いていた。

「姉貴なんか、ずっと俺のこと尻に敷いてきたんだから、こんな嘘みたいな状況の時ぐらい、ちょっとは、からかったっていいだろ。大樹も、姉貴のこと、好きだっただろ?もっと面白いもん見せてやるよ。」

 圭吾が、ニヤッと悪戯っぽい笑みを浮かべて、ツカサに呼びかけた。

「姉貴、昨日の約束覚えてる?せっかく大樹が来てるんだから、例の約束を果たすチャンスじゃない?」

 ツカサはしかし、首をかしげて目をパチクリさせている。

「約束・・・。ん・・と。」

「おい、ドジ姉貴。まさか約束を忘れたわけじゃないよな?俺との約束を忘れたら、ケツ百叩きだって決めただろ。ほら、大樹と潤也に、姉貴の全裸を披露するっていう約束だよ。」

 ツカサの表情が変わる。何かをごまかそうと必死に装っているような笑いを浮かべる。

「わ・・、忘れてないよ。お姉ちゃんが、約束を忘れるわけないでしょうが。そ、そうよ。裸を見せるんだったよね。約束は、守んないとね。」

 進藤ツカサが貝殻と紐で出来た水着を慌てて外していく。
 帆立貝が皮膚に当たって擦れていたのだろうか、内腿には赤い筋がうっすらと浮かんでいた。

 潤也は思わず、目の前のツカサのダイナマイトボディと真弓の裸とを、頭の中で比較してしまう。
 乳首と乳輪は、ツカサの方が真弓のものよりも大きくて、色が濃いように思える。
 陰毛の生えている面積も大きい。
 恥丘のふくらみは、真弓の方が盛り上がっていたように思える。
 しかし、ツカサの体は、とにかく成熟した女性の凹凸のメリハリが迫力を生んでいた。
 大きな胸と肉付きのいいヒップ。間のウェストがキュッと上に引き締まっている。
 大人のイイ女の魅力と迫力が満点の進藤ツカサが、弟と高校生男子たちの目の前で、言われるがままに裸を晒している。
 その顔には苦悶の表情は全くなく、約束を果たすことが出来た安堵感で一杯のようだった。

「ツカサさん、綺麗。女の私もドキドキしちゃう。」

「オッそうだ。果帆は、ドキドキすると、ところ構わずオナニー始めちゃうのが、癖じゃなかったっけ?」

「うん・・・。そうなの。困った癖・・・。」

 陶然とした目つきでいた今林が、男子たちの目も気にせず、ソファーの上でスリップの下に手を入れる。
 もう片方の手は胸もとから中に入れて、胸を弄くり始めた。
 潤也はツカサと果帆、思わず二人を交互にチラチラと見てしまう。

「潤也君、悪いんだけど約束だから、私の裸、ちゃんと全部見てくれる?」

 ツカサが床に寝そべって、両足を開く。
 キョロキョロしてしまった潤也の視線をもっと誘うように、淫靡なポーズを取った。

「姉貴、他にも約束あったよな?何だったっけ?」

「え・・・、うーんと、忘れてないよ。ちょっと待って。」

 尻を突き上げて、女豹のようなポーズをとったかと思うと、両腕で胸の谷間を押し上げて乳房を強調するポーズ。
 体勢を次々と変えながら、ツカサが圭吾の言う「約束」を思い出そうと必死で考えている。

「大樹の童貞を頂いちゃって、女の味をガツンと教え込むんだっただろ?」

 進藤ツカサが、コブシで手のひらをポンッと叩く。

「そうっ!そうなのよ。・・・私、全然忘れてたわけじゃないからね。圭吾が忘れてたりしないかと思って、ちょっとからかってただけよ。大樹君に私をしっかり味わってもらって、初体験の相手を勤めるんでしょっ。忘れるわけないじゃない。今日はずっとそれに向けて気分を高めてきたんだから。ねっ、大樹君?お姉さんが約束を守るために、協力して欲しいの。エッチしましょ?」

 全裸で床をはいつくばって、エロ雑誌のグラビアモデルみたいな姿勢をとっていたツカサが、四つん這いで大樹の膝もとに身を寄せて、上目遣いでおねだりする。
 大樹はすでにそれだけでイキそうになってしまっていた。
 ツカサのその悩ましい様子を見ながら、ソファーでは果帆が、ほとんどスリップを剥ぎ取って、若い体を見せながら、ニチュニチュと卑猥な音を立てながらオナニーに励んでいる。

「大樹。姉貴の部屋で好きなことしてきたらいいんじゃない?もし、大樹自身が姉貴としてた『約束』とかあったら、姉貴はどんな約束でも守ってくれるしさ。」

「お・・、おぅ・・・。おう。」

 ツカサから一秒たりとも目を離さない大樹は、彼女に手を引かれるままに、奥の部屋へと連れて行かれた。

 潤也は呆然と、ツカサと大樹の後姿を見送った。
 そんな潤也に、圭吾が声をかける。いつのまにか圭吾は、潤也の真隣に来ていた。

「潤也はどうする?大樹の後でよかったら姉貴とヤッてもいいし、果帆でよかったら、今もう、準備万端みたいだぜ。」

 潤也がチラリとソファーを見ると、自慰行為の激しさをいっそう増している今林果帆が、両手で水浸しのような秘部を弄くりまわしていた。
 快感を噛み締めるように、ソファーのレザーに歯を立てて耐えている。
 潤也は慌てて目をそむけて、俯いた。

「なんで・・・、圭吾はこんなことしてるんだよ?自分の姉貴や彼女を、なんで俺たちとヤラせようとしてるんだよ?こんなの、おかしいよ。」

 圭吾は、ジーっと潤也の顔を覗き込む。

「友達なんだから、喜びは分かち合わなきゃって思ったんだよ。こんな、宝くじに当たったみたいなラッキーパンチ、独り占めするのはおかしいだろ?」

 圭吾の顔は真剣だった。
 突然与えられた、強力な力に、酔っているかのような目だった。

「だから・・・。お前も果帆とヤッてさ、そのかわり、俺に・・・、支倉真弓を共有させてくれよ。」

 潤也がハッと息を飲む。笑みを浮かべた圭吾の目が細くなった。

「支倉も、あの風邪を引いたみたいな様子だったから、モノに出来ると思ったのに、全然コンタクトとれねえんだ。木曜お前と二人して早退するところを見た奴がいるぜ?金曜は二人とも欠席か。果帆に支倉の携帯番号調べさせて何度もかけてみたけど出ない。お前・・・、支倉真弓を囲ってんじゃないのか?」

 奥の部屋から、「ウッヒョーッ!」と大樹の能天気な歓声が聞こえる。
 しかし潤也は、その声も頭に入らないぐらい、追い詰められていた。


。。。



「エアバッグ、ないんですね、この車。」

 助手席に座ってノートパソコンを開いた芳野渚は、運転席の芹沢勇人の方に顔も向けずに話しかけた。

「そういうのが標準装備される前の車だからな。トヨタ・コロナ1.6GT。もう10年以上の付き合いになる。俺の運転は荒いから、パソコンなんか打ってると、酔うぞ。」

「さっきノートに取ったメモを、清書してるんです。これをすぐやらないと、あとから情報が整理出来なくなるので。乗り物酔いにはなりにくい体質なので、私のことはお構いなく。」

 芹沢はシートベルトも締めず、片手でハンドルを回す。

「几帳面な先生だな。でも、あんまり潔癖で完全主義だと、公安警察とはお付き合い出来んぜ。あと、いくら美人でも、男が寄ってこなくなる。」

 ムッとした芳野が、スクリーンから目を離さずに答える。

「もう一度言いますが、私のことはお構いなくっ。先ほど板倉管理官殿が貴方のこと、公安部のウイルスみたいな奴だって仰ってましたけど、お似合いのお車に乗ってるんですね。ウイルス学の世界でコロナって言えば、近年最も注目されていた凶悪なRNAウイルスですよ。」

 芳野渚なりの、精一杯の憎まれ口だと理解して、芹沢は小さく含み笑いを見せた。
 ほんの少しでも反発する根性がなければ、この先の捜査は付いて来られないだろう。

「そいつはどうも。ところでさっきから気になってたんだが、RNAってなんだ?DNAの親戚みたいなもんって理解でいいか?」

「RNAはリボ核酸のことです。リボヌクレオチドがホスホジエステル結合でつながった核酸です。」

「分かりやすい説明、痛み入ります。」

 少し車高が高く見える、グレーの四角い中古セダンは、スピードを上げながらバイパスに入っていった。




 30分後、バイパスの脇、騒音防止の並木が立っている部分に、ハザードランプを点滅させたコロナが停車していた。
 木に寄りかかってかがみこみ、胃の中のものをもどしている芳野渚分析官。
 芹沢警部補はコロナの車体に寄りかかり、頭を掻いてボヤいていた。

「やっぱり時間がかかるかな? こりゃ・・・。」

 
 
< 第5話に続く >


 

 

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