二話

村の外れで孤児が泣く。
公安に連れ去られた両親を呼び、泣く。
眼球のはまっていない両目から涙を流して、泣く。
俺達は奴隷だった。
体を陵辱され、心を蹂躙され、命を踏み躙られる奴隷。
血液の強制抽出、臓器破壊、致死量の毒物注入、性器破壊、宗教の弾圧、自由の剥奪、強制不妊、強制中絶、核実験、拷問、殺害。
今日もあのきのこ雲を見た。
放射能に汚染された俺の生まれ故郷。
白血病で死んでいく仲間達。
核実験に巻き込まれ全身に大火傷を負って死んでいく仲間達。
取り残される幼子達。
命を失ったいたいけな少女の死体は蹂躙され放置されている。
体の左半分を全て吹き飛ばされた少年が脳漿と臓物と鮮血の中で呻いていた。
目の前で絶命していく命達。
俺達の命にはどれほどの価値があるのだろうか。
殺されるために、弄られるために、陵辱するために生まれてきたのだろうか。
俺は孤児の方へと歩み寄り、その子を抱き締めた。
力いっぱいに。
血濡れの顔を拭ってやり、瓦礫と化したそこから彼の手を引いて歩き出した。
父と母を呼び、泣きじゃくる幼い少年。
彼はかつての俺自身だった。
両親を公安に殺され、偶然生き残った俺と、同じなんだ。
しばらく歩けば漢民族が経営している露天が目立つ。
職にあぶれたウイグル人達の乞食が憐れな物乞いをしているが誰にも見向きもされずに痰唾を吐きかけられていた。
助けてやりたいが、俺も自分が生きていくだけで精一杯なんだ。
「よっ。何してんだ、イット。」
少年の手を引いてぼんやりとしていた俺に掛けられた明るい声。
振り返ればウイグルの活動家であるエハメットがいた。
頬をほころばす俺にエハメットは朗らかに笑い頭を撫でる。
「やめろ。俺はもう子供じゃない。」
「えー。俺から見たら子供だし。三つも年下の癖に大人ぶるんじゃねー。」
少しだけ頬を膨らませてみせると余計に笑われて悔しくなる。
エハメットは俺を育てた活動家仲間内でも一番若い少年だ。
年が近いせいかよく俺をかまってきた。
俺はエハメットが好きだった。
いつからこの気持ちを抱き始めたのか分からない。
淡い恋心なのか、それともただの憧れなのか。
俺が連れている少年に気が付いたエハメットが彼を抱え上げ歩き出した。
俺はエハメットの後を追う。
「あ、あのさ。ラビアに子供が生まれるのいつなんだ。赤ちゃんって細長いのかな。」
ラビアは知り合いのウイグル人。
同じウイグル人の夫の子供を身ごもったと、子供が生まれてくるのを楽しみにしている可愛らしい女性。
強制断種と計画生産という名の民族浄化に減り続けていくウイグル族。
ラビアの子供が幸せになれるかわからない。
けれど俺達は子供のためにできる限りの協力をしたいと思っていた。
覗き込んだエハメットの表情には影が落ち窪んでいる。
嫌な予感が俺の脳内を過ぎっていく。
「ラビアは当局に連れて行かれた。」
俺はその意味を知っている。
堕胎させられたんだ。
赤ちゃんは生まれてこなかった。
母親になるのだと喜んでいたラビアは母親になれなかった。
特権階級である漢民族の学生達が道の真ん中を大手を振って歩いていく。
俺達は無言のまま隅により彼らに道を譲った。
背伸びをしたくなるような青空に波打つのは真っ赤な中国の国旗。
それはウイグル族の血で真っ赤に染まったような国旗だった。
この東トルキスタンにどれほどの血が今までに流されたのか俺は知らない。
俺達東トルキスタンの青い国旗は燃やされてしまった。
数日後、大規模なデモが起こされた。
エハメットはそれに参加したが俺と、俺が拾った子供の参加は許されなかった。
危険だから、子供だから、と。
行くと言って聞かなかった俺をなだめすかしエハメットは他の仲間達とデモに行ってしまった。
いつまでも子ども扱いをして、と不貞腐れていた俺は彼に行ってらっしゃいとすら言わなかった。
すぐに帰ってきてくれると信じていたから。
だが、デモに参加した大人達が俺の参加を認めなかったのは、デモに参加した人々が逮捕され拷問されて殺されるからだった。
それを知った時、俺は自分自身が壊れてしまったような気がした。
エハメットは連れて行かれてしまった。
そして二度と帰ってこなかった。
二度と・・・。



肋骨を蹴り上げられる。
胸に響く痛みに目を覚ませばそこは鉄格子の内側だった。
頭を挙げれば能面のような囚人の列ができている。
肩を電気棒で強打され、俺はふらふらと列に並んだ。
痛む頭を片手で押さえこれまでの事を思い返す。
俺達は東トルキスタンの国旗を高らかに掲げ自由を求めるデモをした。
そこで人民解放軍に戦車で突っ込まれ何人かひき殺された。
デモに参加した全ての人が逮捕され、男は銃殺された。
虐殺者は無表情で、まるで雑草を刈るかのように頭といわず腹といわずナイフでめったざしにして女達を殺していた。
その中に俺の恋人も含まれていた。
俺の子を身ごもった恋人が。
取調べを受け、銃殺に処された仲間、刑期を言い渡され刑務所に行く事になった俺。
後には、何十とも知れぬ血まみれになった犠牲者の屍が転がっていた。
頭を失った老人、内臓を露呈させた女、四肢を切り落とされた子供。
無抵抗で何の力もない人々だったのに、虐殺者はまるでゲームでもしているかのように彼らを切り刻んでいった。
電気棒を持ち、列を監視している看守に向かって俺は声を張り上げる。
「お前達は俺達から何もかも奪う。父さんも、母さんも、妻も。俺の子も！」
「黙れ。」
帰って来たのは血も涙もない冷たい声。
手錠の内側に取り付けられている針が手首に食い込んだ。
不自由な腕を下ろしたまま俺は列から離れ看守の目の前で叫ぶ。
「だが正義は奪えない！暴力で正義は奪えない！」
「黙れといっているのが分からないのか、このゴキブリが。」
振り下ろされる棍棒。
倒れ伏す体。
近寄ってくる看守達。
何本もの電気棒で殴られ、蹴られ、それでも俺は叫んだ。
何も変わらない、何も変えられない、それでも俺は叫ぶ事を止めない。
誇りを忘れない！
「正義は死なない！」
「黙れ！」
リンチが始まる。
顔面をコンクリートに叩きつけられ頭といわず腹といわず蹴られる。
床を引っ掻く手の甲にナイフが突き立てられた。
奥歯を食い縛って耐える。
肉を抉り取るように傷口の中でかき回されるナイフ。
その間も体への攻撃は止まない。
痛みに再び意識が飛びそうになる。
「お前達は穢れた民族だ！汚らしいゴキブリだ！俺達が解放してやった恩を忘れたてつくとは何事だ！」
暴力でウイグルを奪えるとでも思っているのか。
俺達は奪われない。
どれほどの屈辱を受けようとも。
ウイグルは決して奪われない。
「馬鹿じゃないのか、あのウイグル。」
列の前の方から声が聞こえて来た。
親を殺したと言っていたあの日本人だ。
俺にはお前の方が馬鹿に見えるよ。
支配され弾圧されているくせに、それを当たり前だと受け取れるお前の方が馬鹿に見えるよ。
日本人は誇りを忘れてしまったのだろうか。
民族としての誇りも、愛国心も、仲間を想う心さえ忘れてしまったのだろうか。
目の前で虐殺が行われているのに世界は俺達に見向きもしない。
くだらないラブロマンスを見て泣いているくせに・・・。


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