調布不発弾:墜落B29から落下 中学生が克明スケッチ

岡田さんの日記帳45年4月7、8日のスケッチ。「味方落下傘」「キリモミ」「国領ニ落チタB29」などの書き込みがある=佐藤浩撮影
岡田さんの日記帳45年4月7、8日のスケッチ。「味方落下傘」「キリモミ」「国領ニ落チタB29」などの書き込みがある=佐藤浩撮影
当時の日記帳を持つ岡田さん=佐藤浩撮影
当時の日記帳を持つ岡田さん=佐藤浩撮影

 東京都調布市国領町1の民有地で3月、不発弾1発が発見された。1945年4月7日に来襲した米軍爆撃機B29編隊の1機が、日本の戦闘機「飛燕(ひえん)」の体当たり攻撃を受けた際、機体から落下したものとみられる。当時中学生だった同市仙川町の岡田敬造さん(77)は地上で目撃し、日記帳にスケッチしていた。岡田さんは63年前の記憶をたどりながら「落ちた時に爆発しなかったのが不思議だ」と感慨深げだ。

 調布市によると、不発弾は1トン爆弾(長さ約180センチ、直径約60センチ)。京王電鉄京王線地中化工事の事前調査で3月27日に発見された。

 1トン爆弾は、軍需工場などを標的とし強力な威力を持つ。市や郷土史家の古橋研一さん、飛燕を操縦して落下傘で生還した少尉の手記などによると、B29などの大編隊は45年4月7日午前、調布に近い中島飛行機武蔵製作所などを狙って来襲した。

 迎撃のため調布飛行場を離陸した少尉の飛燕が高度約5000メートルで大編隊に遭遇。B29の左エンジンに体当たりした。飛燕は右主翼がもぎ取られ、少尉はとっさに脱出し、落下傘で世田谷に舞い降りた。B29は空中分解しながら国領周辺に墜落。乗員11人中、10人が死亡した。

 この一部始終を、勤労動員で下北沢から府中に向かう途中の岡田少年が見ていた。「(2機が)ぶつかった瞬間、ピカッと光った。飛燕はすぐに燃え尽きた感じでした」

 岡田少年は目に焼き付いた光景を、当時付けていた日記帳に「体當(あた)りによる一機撃墜を見た」などと記してスケッチ。翌日、周辺を歩き、畑に落下した尾翼を再び日記帳に描いた。

 不発弾は発見場所や大きさから、この時のB29の落下物と推定される。岡田さんも「間違いない。よく残っていた」と語る。

 不発弾は今月18日に自衛隊が処理する。調布市は半径約500メートル以内を立ち入り禁止とし、住民約1万6000人に避難を求める。京王線も一時、区間運休する。【佐藤浩】

毎日新聞 2008年5月12日 2時30分(最終更新 5月12日 2時30分)

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