被災者が語る地震の瞬間、現地報告
病院に運ばれてくる被災者たちから、地震発生当時の状況を聞けました。生々しい当時の様子です。 成都市内にある第3人民病院。ここには15日から、震源地のブンセンから多くの患者が運ばれてきています。 震源地に近いブンセンから運ばれてきた患者は、15日もしくは16日に来た患者が非常に多いということです。スペースがないので地下駐車場が病室になっています。 16日も引っ切りなしに患者が運ばれてきます。家族を失った人、学校や家の下敷きになった人、事情はさまざまですが、「地震の瞬間はあっという間だった」と口を揃えます。 「揺れがひどかったんです。家は全壊しました」 「ビル全体が揺れたんです。一瞬で壊れました」(ブンセンから来た人) 今でも1万4000人が生き埋めになっているという状況は変わりません。地震発生から72時間が過ぎると、生存率は著しく下がるといわれています。すでにその時間は過ぎましたが、院長は「可能性がある限りあきらめない」と語気を強めました。 「生きている人がいる可能性はあると思います。2日前に雨が降っていたので、すき間から雨水が漏れ水分があるので生き延びられるはずです。しかも、気温も上がっていないので、体力も消耗していないはずです。生存者がいる限り、われわれは頑張ります」(第3人民病院院長) また、学校で生き埋めになった子どもたちも、この病院で治療を受けていました。彼女たちは、あの瞬間に何を見たのでしょうか。 Q.どこで地震にあったんですか? 「学校です」 Q.学校はどうなった? 「壊れました。(地震の揺れは)ジェットコースターにようだった」(被災した女の子) 私たちが病院で出会ったもう1人の少女は、900人が生き埋めとなった都江堰の中学校から光を頼りに自力で脱出しました。 「揺れが止まらなかった。自力で出てきました」(倒壊した中学校から脱出した少女)(16日23:43)
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